第115話 魔族領からの援軍
「何だ、あれは」
遠くからそんな声が飛んできた。緊迫感と猜疑心に溢れる男性のもの。
低い地鳴りが小刻みに続いていて、神殿の建物が崩れていくのも止まらない。地下から這い出してきた怪物もまた、のろのろと動き始めていた。その巨大化した肉塊から目をそらすのも躊躇っていると、背後から鋭い声がかかった。
「お前たちは何だ?」
「神殿長様は?」
そこで、三峯やジャックを制止して俺だけがそちらに顔を向けた。
そこにいたのは聖騎士たちの姿だった。おそらく戦闘の後なんだろう、甲冑に傷がある人間もいた。そうしてさりげなく視線をめぐらすと、少し離れた場所でサクラとカオルが聖騎士の連中と派手にやり合っているのが見えた。
サクラの派手な必殺技が炸裂するたびに、暗い中庭が昼間のように明るく照らし出されていた。
「巫女様? 何があったんですか?」
目の前に立った聖騎士が、俺のコスプレ――巫女服を見て少しだけ声音を和らげた。俺を庇うようにして立ったミカエルがいかにも忍び込みました、みたいな黒装束だったから、すぐに聖騎士の態度は緊張したものに戻ったけれど。
「……魔物か!?」
いつの間にかサクラたちとの戦闘から逃げてきたらしい聖騎士たちが集まってくる。そして、甲冑の面を上げていて骸骨の顔がむき出しのジャックと、天使の翼を出したままの三峯に目をやると剣を抜いてこちらに向けた。
「我々は違う。下がれ」
ミカエルがそう言っても、俺たちを取り囲むようにして立っていた聖騎士たちは動こうとしなかった。
だからミカエルは続けて叫んだ。
「こんなことをしている場合ではない! あの化け物と戦うつもりがないのなら下がれと言っているんだ!」
「お前たちが呼び出した魔物なのだろう!」
聖騎士の一人が叫び返す。それを皮切りに、他の連中も口々に俺たちに対する敵意を込めた言葉を投げつけてくる。
「あー、うるせえ」
ジャックがそこで甲冑の胸当てを乱暴に剥ぎ取り、地面に投げた。「役立たずは後ろで震えてろよ。俺たちが代わりに戦ってやるからさ?」
「そうだとも」
三峯もジャックの言葉に頷き、神に祈るようなポーズを取った。「この俺を魔物と呼ぶような節穴連中には用がない。さあ、俺の神々しさにひれ伏せ」
「……はあ?」
胡乱気に言った聖騎士だったが、三峯の身体が白く輝き始めると言葉を失ったようだった。さすが天使アバター、確かに神々しい。
しかし、ジャックと三峯が肉塊に向き直り、攻撃を仕掛けると俺もこのまま手をこまねいているわけにもいかないと気合を入れ直す。
だって、そうだろう?
未だサクラたちは聖騎士たちと戦っている。
そして俺たちの目の前にも聖騎士が剣を抜いて立っている。
戦う相手が違うってわけで。
「さて皆さん」
俺はコスプレしているせいか、少しだけ聖騎士たちから受ける視線が違う。これを有効活用しなくてはいけない。それと、吸血鬼の美少女っぷりをいつ使うのか。今だろ!
「あなたがたは神殿長様の味方でしょうか?」
小首を傾げながら微笑む俺、困惑する聖騎士たち。
「それは当然ですが……」
聖騎士たちが顔を見合わせる。そして、やはり疑惑に満ちた目がミカエルへと向かう。
「あの、巫女様? そちらの男性は……」
「無駄な話をしている時間はありません。手っ取り早く説明しますが、神殿長様は邪神を信仰なさっていました」
「は?」
「邪神!?」
「邪神を復活させるために、神殿長様は自ら生贄となって命を落としました。あなた方もその遺志を継ぐものとして考えていいのでしょうか」
一瞬、呆けたように誰もが言葉を失っていたが、我に返れば当然ながら反論しようとしてくる。どうやら彼らは『あの』地下に何があったのか知らないらしい。つまり、関わることが許されなかった下っ端ということか。
「神殿長様が邪神など崇めるはずがない!」
と叫ぶ彼らの言葉を遮り、俺はさらに軽く手を上げて続ける。
「強大な魔力を持つ神殿長様が命を捧げたことにより、邪神がこうして復活し、人間の領地を穢そうとしています! それを阻止せねば我々は終わりです!」
「いや、しかし」
「そして、邪神復活の阻止のため、協力を仰ぎました。王都へと、そして魔族領に」
「魔族領!?」
「さあ、あれを見てください!」
そこで、俺は遠くの空を指さした。
いいタイミングだと言えるだろう。星も見えないくらい曇った空、暗すぎる夜の街。しかし、確かにその空にはドラゴンらしき群れがこちらに向かってきているのが見えたのだ。ドラゴンが身に纏う魔力が輝いているのか、三峯のような神々しさすら感じられる。
「あれは敵ではありません! 我々を助けるために、そして邪神を倒すために駆けつけてくれた援軍です! 恐れる必要はありません、戦える人間はここに残ってください。怪我人は安全な場所に退避、もしくは街の住人を避難させるため警護にあたってください!」
いつの間にか、サクラたちと聖騎士たちの戦いは中断されていた。
誰もが空を見上げ、口を開けたまま呆然としている。
そして、ドラゴンの群れが巨大な肉塊へと一直線で向かっていることに気づくと、それぞれ声にならない悲鳴を上げた。
逃げる者もいれば、その混乱を押さえるべく動く聖騎士たちもいた。そして、いつしか宿舎にいたはずの巫女、聖女といった女性たちも建物の外に出て空を見上げている。
肉塊が地面を歩くと、その大地に黒い染みのようなものが広がっていく。
あれが穢れなのだろうか。
しかも、黒く汚れた場所から小さな黒い蛇が生まれて這い出てくる。その蛇は素早く地面を滑るように動くと、近くにいた人間たちに襲い掛かろうとしているのも見えた。
だから俺は聖女様たちに向かって叫んだ。
「浄化ができる人は援助をお願いします! あの黒い蛇を消す努力を!」
その返事を待っている時間はなかった。
その頃には飛来したドラゴンが肉塊へと攻撃を開始していたが、炎を吹くドラゴンの攻撃も、雷を落とすドラゴンの攻撃も、さして効いている様子はなかった。肉塊の表面を鋭い爪で引き裂いても、それはあっという間に塞がってしまう。ただ、修復中の間は肉塊の動きが止まるだけで。
三峯とジャックの攻撃は、ドラゴンたちよりもずっと的確で効果的だったようだが、それでも致命傷は与えられないでいる。
さすがに援護に入らなくてはいけないだろう。
「我が女神」
ミカエルが俺の横で剣を抜き、そっと笑った。「母の移動魔法ですが、一度に王都騎士団の全員を運ぶことは無理だと思います。だからいっそのこと、王都からの援護が来る前に我々だけで退治してしまいましょうか」
「いいね」
俺も笑う。そしてついでにこう言っておく。
「そろそろ、敬語はやめない?」
「……敬語をやめたら、紳士的な態度が取れなくなりそうなんですが」
「何だそりゃ」
「まあ、我が女神が言うならそうしよう」
ニヤリと笑ったミカエルは、剣に精霊魔法をかけて地面を蹴った。肉塊より随分と離れた場所から剣を一閃しただけで、空間すら切り裂くような刃を作り出し、肉塊へと放つ。
そういうのを見てしまうと、俺だって負けてはいられないというものだ。
「お兄ちゃん!」
「援護に入るにゃ!」
サクラとカオルもすぐにこちらに駆け寄ってきて、俺と並んで必殺技の準備に入る。特に、カオルは武器のマグロをぶんぶん振り回しながらという格好で。
その背後から、待ちに待っていた魔族領の援軍の力強い声が轟く。
「お前たち、待たせたな! わたしが来たからにはもう安心……って」
お気楽な感じの幼女魔王の声であったけれど。
幼女はふと、何かを思い出したかのようにこう訊いた。
「『わたし』って言ってた! この場合、我、とかわし、の方が威厳があるのではなかろうか!?」
「どうでもいいですー」
ワニ氏が苦々しく突っ込みを入れた後、すぐに俺たちに向かって叫ぶ。「住民は避難させ始めました! 少し暴れても問題はないと思いますから!」
そこに響くのは、マチルダのものらしい密やかなくすくすという笑い声。
「よっしゃ、暴れるか」
俺は魔王様たちの方を振り返ろうともせず、ただ手を上げて見せる。そして肉塊に攻撃を始める前に伝えた。
「怪我したら俺のところまできてくれ! 蘇生薬、まだまだあるからな!」
そう言い終わった直後、俺はサクラたちと同時に地面を蹴って戦いに参戦した。
人間であるミカエルはいくら精霊魔法が使えるとはいえ、アバターの俺たちより分が悪い。守ってやらねば、と彼の横に並んで戦うことにしたのだが――意外とミカエルは強かった。
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