第113話 外に出れば贄はいくらでも

「アキラ様!」

 唐突に、ミカエルのほっとしたような声と共に俺の肩が掴まれる。

 眩しい光が少しずつ薄れていくと、俺の目が焦点を結んで目の前にはイケメン大天使が現れた。まるで、さっきの闇の世界なんてなかったかのように、夢の中での光景であったかのように、俺の周りは――大惨事の神殿の地下。


 肉塊は前に見た時よりもさらに巨大化していた。白い女性がだらりと両手を前に伸ばすと、肉塊はそのまま前のめりになって床へと倒れていく。

 奇妙な足を動かしながら蜘蛛のように歩いてこようとしている光景は、どうしても生理的嫌悪を感じずにはいられなかった。

 いや、それよりどこまで大きくなるんだろうと不安に駆られる。肉塊は表面を這い回る血管から悪臭を伴う液体を吹き出しながら、化学反応でも起こしてるんじゃないかと思えるくらいの異様な変貌を遂げようとしていた。


 アルセーヌと聖獣がそれの足止めしようと躍起になっていた。アルセーヌが放った魔術の鎖で拘束しようとしているが、ガラスにひびが入るような音がして鎖が少しずつ壊れていく。

 聖獣も隙あらば肉塊に飛び掛かり、爪や牙で切り裂き、食いちぎる。でも、肉塊から噴き出た液体を浴びると苦痛に似た呻き声を上げるのだ。


「もう持ちこたえることができません!」

 そこでアルセーヌの切羽詰まった声が響いて、俺は我に返って三峯とジャックを探した。三峯は俺の後ろに立っていて、少しだけ眉根を寄せて右手を上げてくる。

「……よう」

 三峯は苦笑しながらどことなくぎこちなく続けた。「助けてくれたのかと訊いてる暇はないな。俺は援護に入るから、お前はそっちを急いで何とかしてくれ」

 え?

 と俺が顔を顰めた前で、三峯は天使の翼を広げて床を蹴った。アルセーヌの援護のため、必殺技攻撃を流れるような動きで開始させる。雷撃に似た攻撃が三峯の手のひらから放たれると、それを受けた肉塊の表面が焼けていく。

 それは凄まじい悪臭だった。

 肉の焦げる煙が地下を充満していくと、俺の傍にいたミカエルが鼻を腕で覆ってこちらを見る。

「すみません、私も動きます」

 そう彼は静かに笑った後、三峯たちのいる方へと走っていく。そして、精霊魔法で肉塊の周りに結界のようなものを作り上げていた。いや、光の檻のようなものだろうか。


「ジャック」

 俺は先ほど三峯が合図した方向を見やると、床に力なく座り込んでいるジャックの――死神アバターの背中に気づく。彼は暗い床を見下ろしたまま、身じろぎ一つしない。

「大丈夫か?」

 俺はすぐに彼のすぐ横に膝をつくと、彼は俯いたまま小さく言った。

「……尽くせば、好きになってもらえるって思った」

「ん?」

「こっちの世界なら俺は歩けるし、強いから」

「……ああ」

 どうやらジャックは周りの光景が目に入っていないようだった。こんな状況でも、さっきの暗闇での光景に囚われたまま、立ち上がることすらできないでいる。

 彼は仄暗い光を放つ双眸を床に向けたまま、その骸骨の歯を震わせた。

「誰でもいいから、好きになってもらえたらって思った。俺、もう一度、誰かを信じたかった。だから、頑張って尽くそうとしたんだ。相手に望まれることは何でもした。守ってやろうと思った」

「ロクサーヌのことか」

 ジャックの肩が少しだけ震えて、ちらりとこちらを窺うような様子を見せた。

「……俺に、声をかけてくれたんだ。ギルドで依頼をこなそうとした時」

「ああ。その点では、目の付け所はよかったんだろうな」

 俺はできるだけ軽く聞こえるようそう言いながら、彼の肩を叩いた。すると、彼はその俺の手をじっと見つめながら続けた。

「何が悪かったんだろう。何で俺、好きになってもらえないんだろう」

「……うーん……」

 俺は何て応えるか悩んだ。俺はあまりジャックのことを知らない。「リア充」とか「粗品」とかミカエルに色々言っていたけれど、その言葉の裏には色々あったんだって気づかされたのが今なんだし。


「多分」

 俺はやがて笑って言った。「お前が女を見る目が残念なんだろ」

「は?」

「きっと、ジャックにも運命の相手はいると思うよ。まだ出会えていないだけで、どこかにきっと、すげーいい子がいるんじゃないかな。だから、諦めるのは早いだろ」


 ジャックはしばらく、何も言わなかった。

 やっぱり、俺の言葉は彼には他人事のように響いたんだろうか。でも、今の俺に言える言葉はこれが精いっぱいだ。

 大体、俺だって誰かを好きになるっていう感情がまだよく解っていない。あの母親を見て育ってきたから、恋愛ってものに何の期待も持てない。

 こんな俺に、言葉に重みを持たせることなんてできないんだろうと思う。

 だからジャックには届かないのかもしれない。俺の言葉なんて。


「……そうだといいな」

 そこで、ジャックは苦笑と共に立ち上がった。ただ、虚ろに響いた声から判断すると、あまり納得しているような感じはしなかった。でもきっと、俺よりジャックは考え方が大人なんだろう。思考の切り替えが早い。

「とりあえず、目の前にある問題から片づけるか」

 そう言いながら大鎌を構えたジャックは、ぐるぐるとそれを振り回しながら床を蹴った。

 その背中を見て、俺も気合を入れる。

 そう、目の前の問題。

 肉塊を拘束していたアルセーヌの光の鎖が砕け散ったところだった。


「贄が必要……」

 そこで、神殿長の声が微かに響いた。床に座り込んでいた神殿長は、そっと両腕を広げて笑った。

「外へ出れば、贄はいくらでも」


 ヤバい、と思ったその時、肉塊の巨大化は一気に進んだ。白い女性を呑み込むように膨れ上がり、地下の広い部屋すら内側から壊そうとするかのように。


 俺もそこで攻撃を仕掛けようと身構えたが、すぐにミカエルが聖獣を引き連れて俺の傍に駆け寄ってくる。アルセーヌも同じように、危険を察知して肉塊からできるだけ遠くへと逃げようとしている。

「退避!」

 ミカエルが肉塊の傍で戦い続けている三峯とジャックに叫ぶ。

 あの二人の戦闘能力はとんでもなく高い。それに、死に戻りができるから人間と違って安心なのだけれど。

「おい!」

 退避と言われても戦い続けている二人に向かって俺は叫ぶ。「死に戻りできるからって無茶すんな! お前ら、ペナルティ時間あんの知ってんのかよ!」

「あん?」

 ジャックが遠くから胡乱気な声を上げたから、多分、こいつ知らないなと思った。

「死に戻りしたら、シティの外に出られるようになるまで一時間かかるんだよ! お前らが戦闘不能になったら困る!」

「マジか」

「一時間!?」

 どうやらジャックだけじゃなくて三峯も死に戻りしたことがないんだろう。驚いたように俺に視線を投げた後、素早く肉塊から距離を取って俺たちと一緒に唯一の逃げ道である階段へと近づいた。


 そして、みるみるうちに肉塊は地下の部屋の壁にまで膨れ上がり、床に座り込んだままだった神殿長へと迫り、その身体を呑み込んだ。そして、ばきばきという骨の砕ける音も響くのだ。

 ――死んだ!? こんな簡単に!?

 俺は茫然とそれを見た。でも間違いなく、神殿長の身体を取り込んだことで、その肉塊はさらに魔力を得たように思えた。動きが少しだけ早くなり、巨大化するスピードも早くなる。


「やべえ」

 ジャックが寒気を覚えたかのように腕をさすりながら、肉塊から目をそらす。

 そして、合図もしなくても皆で一気に階段へと走り出す。

 背後に神殿の建物が崩れる音を聞く。


「増援はまだか……」

 ミカエルが悔しそうに呟くのを、俺は走りながら聞いた。


 凄まじい地鳴りと、誰かの悲鳴。

 あっという間に崩れていく地下の階段。

 地上へと出て息をつく暇もなく、崩れた瓦礫を跳ね飛ばしながら這い出てくる肉塊の方を振り返る。

「ちょっとした地獄だな」

 ジャックがそう言い、三峯が深いため息をつく。

「まるで、映画みたいだ」


 俺たちが肉塊を目の前に次の手段を考えているちょうどその時、フォルシウスの街にも少し異変が起きていた。

 俺は後で知ったけれど、フォルシウスを取り囲む高い塀が吹き飛んだのを、フォルシウスの門番たちが見ていた。

「どーん!」

 というお気楽な叫びと共に塀をぶち破って登場した幼女魔王と、「修繕班ー!」と泣きそうになりながら叫んでいたワニ氏の姿も、しっかり人間に見られていたそうだ。

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