第97話 死神

「だからお願い。神殿の連中の後始末を、何とかして欲しいのよ」

 やがて、マチルダが酷く真剣な顔で俺を見つめてきた。俺から少しだけ離れて、困ったようにため息をこぼす。

「神殿? そうだ、あいつらがやっていることって……」

「残念だけど、遥か昔、人間と魔族はお互いの世界を不可侵でいることを契約しているのよ。だから、いくらわたしたちでも人間の生活圏まで監視するのは難しいし、表立って戦うことは避けたい。でもきっと、あいつら――神殿は契約を破って魔族領と戦いを起こす。それを阻止するのは難しいかもしれないけど、でも、眠っている蛇を起こすことは絶対に駄目。もし目覚めてしまったら、こちらの世界は邪神のための餌場になってしまう。人間も魔物も、全滅するまで捕食されるのが目に見えてる」

「捕食……は、厭ですね」

 俺は唸りながら考える。

 もちろん、戦うのは別にいい。

 どうせ死に戻りできるんだから怖いことは何もない。それに、『そのため』に俺たちはこっちに呼ばれたんだ。

「ごめんなさいね。残念ながら、わたしは戦力外に近い」

 心底申し訳なさそうに言った彼女は、続けて言うのだ。「わたしがこちら側にこられるのは、一時的な時間だけ。随分弱体化してしまったから、こうしてこちらに来ることはできても、道があろうとなかろうと、日本へと強制的に戻されてしまう。まあね、わたしは向こうでマチルダ・シティ・オンラインを維持しないといけないから仕方ないんだけど」

「維持?」

「だって、わたしがゲーム会社の社長だし、あっちに社員もいるし。ユーザー確保のための定期的なイベントも考えないと、オンラインゲームの会社なんかあっという間につぶれるわよ」


 ――何とも世知辛い。


 俺が眉を顰めていると、彼女は苦笑した。

「こっち側のあなたたちの本拠地、マチルダ・シティを維持しなきゃいけないし、向こう側で魔力を集め続けないと」

「なるほど」

「だからごめんなさいね。急にわたしがこちら側の世界から消えたら、察してちょうだい」

「んー」

 つまり、神殿とこれからやり合うのが確定しているとはいえ、マチルダの協力はあまり期待できないということか。

 じゃあ、幼女魔王は……とも思うが、さっきマチルダが言っていたことを思い出すと難しいのだろう。魔族は人間の世界を不可侵だとかいうやつ。

 ちょっとだけ、幼女魔王様たちに援護してもらって神殿とやり合う……なんて期待していたんだが、それが無理なら。


「あ」

 俺はそこで、俺たちの長い話に飽きてしまって、ソファにもたれかかって船をこぎ始めた幼女魔王を見やる。「謝礼って何ですか? 何かいいものもらえますか? 凄い武器とか」

「ふえ」

 幼女は俺の声に目をぱちくりさせると、唇の端のよだれを手の甲で拭いながら首を傾げた。「何でもいいぞ! この城の中にあるものなら、欲しいだけ持っていくといい!」

「……そんなことを言われても、何があるんだか」

 城の中? 確かに高級そうな家具だったり、彫刻やらに紛れて剣やら盾やら飾ってあるけれども。

 俺がどうしたものかと首を傾げると、マチルダも少しだけ考えこんだ。そして、手をぽんと叩きながら言った。

「だったら、血ね」

「は?」

「ふえ?」

「ほら、あなたは吸血鬼アバターでしょ? 魔王の血を吸ったら、凄い魔力を得られると思うのよね。アバターの血より人間の血、人間の血より魔族の血。絶対その方が強いはず。しかもそれが魔王ならとんでもないはず」

「なーるほど」

 と、俺がまじまじと幼女を見つめると、少しだけ幼女魔王は居心地悪そうに笑った。

「痛いのだろうか、それ……」

「大丈夫、気持ちいいはずです。実績あり」

「どんな実績だぁ……」

 ふにゃりと幼女の顔が歪んで、僅かな罪悪感を覚える。うん、もっと見た目が大人だったら心は痛まなかった。


 そんなことを話していた時だった。

 いきなり、応接室のドアが乱暴に開けられて、黒い影がひょっこりと覗き込んできた。

「魔王様ー? 人間だか何だかのお客さん来てるって聞いたけどー」

 と、お気楽そうな声で言ったのは、全身黒ずくめの男だった。黒い大きなフードをかぶっているから顔は見えない。その体つきも、妙に大きな黒いマントに覆われているからはっきりとは解らない。

 ただ、その背中には大きな三日月形の鎌があって。


 ――鎌だよ鎌!


「ああああ!」

 俺は思わず、ソファから立ち上がってそいつを指さしていた。ぎくりと身体を強張らせた黒装束の男は、驚いたせようで数歩後ずさった。

「お前! お前、アレだろ!」

「アレって何だ。っていうか、可愛いな。何だ、これがお客さんかぁ」

 黒フードの下で、その双眸が光ったと思った。ぼんやりと見えた青白い輝きは、とても人間のものとは思えない。

 しかし。


 そう、絶対こいつだ。


「お前、ミカエルに呪いをかけたやつだろ!」

「は?」

「顔見せろ、顔! 絶対お前、あのろくでもない女に惚れて」

「ろくでもない女って誰だよ」

 そいつは困ったように首を傾げた後、何か気づいたように小さく笑った。「あ、そっか。やっぱりあんたたちもマチルダ・シティのユーザー? 何だ、せっかく可愛いのが来たと思ったのに」

「いや、それはどうでもいいから呪いを解け! 何かしたんだろ!?」

「あー……」

 そこで、黒装束はフードの上から頭を掻きながら俺たちの傍に歩み寄ってきた。そうしてみると、こちらの人間や魔物とは気配が全然違う。俺たちの仲間と直感できる何かがそいつにはあった。

「ミカエルってあいつか。俺が必死に口説いてた美少女を横からかっさらっていったリア充。リア充は死ねばいい。あんな美形、粗品で充分だ」

「いや、お前」

「っていうか、不公平だと思うのよ」

 と、彼は酷く落ち込んだ様子で幼女魔王とマチルダの方を見やる。「俺のアバター、こんなんなのに。もっとイケメンで呼び出してくれたら、あんなことはしなかったよ」

 そう言いながら、彼は顔を覆っていたフードに手をかけて下ろした。

 そうやって晒されたのは、予想していたとはいえ残念なもので。


 死神アバター。

 見事なまでに骨格標本というか、どこからどう見ても骸骨である。綺麗な形の頭蓋骨、それを支えている頸椎、鎖骨辺りまでが露になる。

 その手は黒い手袋に覆われているから見えないが、きっとそこも骨だろう。

 ぽっかりと空いた眼窩の奥で、青白い光が輝いているが――うん、どう見ても死神。人間の世界で生きていくのは難しいだろうと思える姿だ。

 ある意味、よくその姿でギルドで活動していたと感心するくらいだ。それで、あのろくでもない女――ロクサーヌと恋仲になろうと努力していたんだろうから恐れ入る。


 まあ、恐れ入るのは別としても。


「頼むから呪いを解いてくれ」

 俺が彼にそう言って、「面倒くさい」と渋る死神と問答をしている横で。


「あの、少しだけお話が」

 と、凛さんが真剣な表情でマチルダに声をかけていた。マチルダは穏やかに笑い、少しだけ応接室の中を見回した後、イケメンエルフの手を引いて廊下へと出て行った。ここではできない会話なんだろうか、と一瞬だけ疑問を覚えたが。


「とにかく、あんたもマチルダ・シティのユーザーだったら、クエストが出てるんだろ? 邪神復活を阻止しろとかいうやつ。手伝え!」

 俺は目の前にいる死神もこちら側に引っ張ることに必死になっていた。

 というのも、直感で解っていたからだ。

 目の前にいる死神アバター、かなり強いはずだ。と。

 こいつが俺たちの仲間になってくれたら、いい戦力になる、と。


 っていうか。


 もっと早く魔族領に来てたら、こいつを早々に見つけられていたんだ、と気づいてしまって頭を抱えたくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る