第85話 王宮魔術師がやってきた

「走れー! 一年ー!」

 と、森の中で素材を回収して回るポチ――リュカに檄を飛ばした日の夕方、俺たちはまた三峯の喫茶店へと向かった。

 リュカは「見てるだけなら暇なんだろう。手伝ってくれても」とか「一年って何だよ」とかずっとぶつぶつ言っていたが、とりあえず無視しておいた。

 完全に部活動のノリである。それにポチの借金のせいなんだからお前だけで頑張れ。……とは、表立っては言えない。


 まあ、そんな感じでリュカを見守るだけの昼間の活動は、暇すぎて俺たちもろくなことを考えない。だからサクラも暇だったようで、レジーナかフォルシウスの街で買ったらしい化粧品を大量に持ってきて、俺の顔で遊んだわけだ。

 セシリアもノリノリで頑張ってくれたおかげで、鏡がなくてどうなったのか自分では解らないものの、いい仕上がりだったんだろうと思う。

 三峯も『可愛くなっちゃって』みたいなことを言ったしな。

 俺がため息をつきつつ店内に入ると、それなりにお客さんが入っているようだった。少しずつだが、男性客も見られるようになった。

「あれ、今日は店番じゃないの?」

 と、猫獣人に声をかける男性客もちらほら出てきた。サクラを見かけて連れの友達ときゃーきゃー言い出す女の子も増えた。

 俺も女の子にモテる人生を送りたかった。


「悪いけど、今夜はこの店で待ち合わせなのよ」

 いつものように、奥のテーブルに陣取ってのんびりする俺たち。どうせだからここで食事を、なんて話をしていたらセシリアが頭上にいる聖獣を撫でながら言った。

「待ち合わせ?」

 俺が首を傾げると、彼女は小さく頷いた。

「そう。この子を陛下のところに使いに出したの。そうしたら、暇ではないけど有能な王宮魔術師を一人、送ってくれるって話があって」

「へー」

 まずは一人だけ派遣ということか、と俺は運ばれてきたコーヒーを飲みながら相槌を打つ。

 そして、それを聞いて微妙な顔をしたのはリュカである。

「王宮魔術師……」

 と呟いて固まってしまったが、誰もそれを追求しようとしない。基本的に放置である。だんだん哀れに感じるようになってきたが、それはそれである。


 で、俺たちが飲み物をそれぞれ飲み始めた直後辺りに喫茶店の扉がカランと鳴り、待ち人がやってきた。

 リュカが嬉しそうにそちらに目をやったものの、本人を見た瞬間に見えない犬耳が垂れ下がったような気がした。どうやら彼が考えていた人物とは違うらしい。


「こんばんは。お久しぶりです」

 そう言ってテーブルの脇にやってきたのは、背の高い――魔術師というより剣士とか騎士と呼んでも間違いではないだろう、立派な筋肉を持った美丈夫である。

 短い金髪に緑色の瞳、こめかみにある剣によるものだろう古い傷。どことなく神官服に似たシンプルな上下を身に着け、黒いマントを羽織っている。多分、二十代前半くらいなのだろうが、妙にその目つきは落ち着いていた。

「ああ、久しぶりだ」

 ミカエルが一番最初にそう返し、空いているソファに腰を下ろすよう促す。すると、彼は軽く頭を下げてそれに従った。

「ご無事そうで何よりです、殿下……とは呼ばない方がよろしいですね?」

 そっと声を潜めた彼の台詞に、ミカエルが「そうだな」と短く肯定した。


「アクセリナが来るんだと思ってたのに」

 そう言ったのは、コーヒーカップを弄びながら不機嫌そうな顔を隠しもしないリュカである。「未来視が得意な彼女なら、神殿……いや、監視対象を調べるのも簡単だろう?」

 店内の他の客を気にして、リュカは少しずつ曖昧な言葉を選ぼうとしているようだ。しかし、何となくだけれど俺は――このテーブルの周りには奇妙な魔力が漂っているのが解っていた。

 おそらく、セシリアがここでの会話が漏れ聞こえないよう、何かやってくれているんだろうと思う。そんな思いを抱きながらセシリアを見やると、彼女は俺が訊きたいことに気づいたようだ。

「読唇術ができる人間はいないと思うけど、念のため、ね?」

「なるほど」

 そこまでは考えてなかった、と俺が感心している間に、ちょっとした修羅場が俺たちの横で開始していた。


「確かにアクセリナは優秀ですから、可能であればそうすべきだったのでしょうが――今回の件、私が責任をもって任務を請け負うことになりました。それに、今の彼女はそれどこではありませんので」

「どういうことだ」

 ふと、ミカエルが怪訝そうに首を傾げた。彼は少しだけ遠くを見るような目で何か考え込んだ後、不思議そうに目の前の男性を見つめ直した。

「私が彼女と最後に会った時、確かに『最後の予言をさせていただく』とか言っていたと思う。彼女の身に何かあったのか?」

「はい」

 彼はそう頷いた後、眉を顰めたミカエル、慌てたようなリュカの表情を落ち着いた様子で見つめて微笑んだ。「実はこのたび、私、アルセーヌ・スリエと、アクセリナ・ノルディンは婚姻の儀を上げさせていただきました。今、彼女のお腹には新しい命が宿っておりますので、当分の間は仕事に復帰することはできませんし、させません。むしろ、このまま王宮魔術師の立場から引退を……と考えているところです」


「婚姻の儀……」

 リュカは茫然とそう呟いた後、がたんと音を立ててソファから立ち上がった。「嘘だろう!? 彼女が結婚した!? 俺は……俺は彼女のことが好きだったんだぞ!? それを……まだ返事をもらってな」

「いいえ、アクセリナ……我が妻はリュカ様に申し上げたはずです」

 にこりと笑った彼――アルセーヌ・ルパン……じゃねえ、アルセーヌ・何とかさんは挑むような目つきでリュカを見上げていた。「リュカ様のことは、出来の悪い弟のようにしか思えない、と」

「お前!」

「言ったのは妻ですがね」

「つ、妻!? いや、俺は認めないからな!?」

「リュカ様に認めてもらえなくても、神には認めてもらったわけですし。いい加減、妻に固執するのはやめていただきたく」

「そ、それに子供まで!? やっていいことと悪いことが」

「ないですね」


 こんなに騒いでいても、他のテーブルの客は俺たちの声が届いていないようで、のんびりと食事とコーヒーを楽しんでいる。その分、気楽だとも言えるがいい加減にして欲しい。

 いつの間にかオーダーを取りに来た三峯も、声をかけられずに眉を顰めていた。


「いや、それより、アクセリナはミカエルに惚れていたんじゃなかったのか?」

 リュカはおろおろとしつつ、ぎこちなく両手を動かしながら何か言葉を探しているようだった。「だから俺は、ミカエル相手だったら奪えるだろうと思って……」

「いい迷惑だ」

 短く呟くミカエルと、冷え冷えとした視線を投げつけるセシリア、相変わらず我関せずのアルト。そして、アルセーヌという男性は嬉しそうに、明らかに勝者であることに満足したように続けて言ったのだ。

「話になりませんでしたな、リュカ様」

「お前……お前……!」

 くしゃりと顔を歪めたリュカの横では、ミカエルが俺に視線を投げて「我々はいつ婚姻の儀を上げましょうか」とか言い出しているが、お前は黙ってろ。記憶喪失になってしまえ。


「それより、セシリア様よりお話があった件について話をしたいのですが」

 アルセーヌはどこかの有名な泥棒のごとく女性の心を奪い、心の底から満足したのだろう。彼は完全なる余裕の笑みを浮かべたまま、セシリアに向き直った。


 そしてリュカは力なくソファに腰を下ろすと、頭を抱えてしばらくこの場にどす黒いオーラをまき散らした後、必死な眼差しを俺やサクラに向ける。

「……お前ら、凄い美女の知り合いがいたら紹介してくれないか」

 駄目だこいつ、頭の中がお花畑だ。

 俺は目を細めて彼を睨んだ後、短く言った。

「凄い美形のエルフと狼の獣人は知り合いにいますけど、どっちも男です」

「役立たずが」

 ――はあ?

 助走付けて殴っていいかな、こいつ。動物虐待になるから駄目だろうか、くそ。


 何はともあれ、それから少しの間は意味のない会話が続いたものの、やっと本題に入れることになった。疑惑の神殿の調査の件である。

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