第83話 幕間16 ロクサーヌ
――魔石の回収は無理だよね……。
ギルドの壁に貼り出されている依頼の紙をじっくりと見ていくと、それなりに危険なものが多い。魔物討伐は今のわたしでは無理だ。強力な武器を買うために、何とか安全だけど報酬の少ない依頼をこなしていくしかない。
少なくとも魔道具を造るための素材――魔石以外のものが大量に募集されているから、わたしがやれそうなやつを選べばいい。
だったら……。
と、比較的条件の良さそうなものを見つけて受付カウンターに向かおうとすると、急に背後から男性の声が飛んできた。
「なあ、パーティは組んでないのか?」
眉を顰めつつ振り返ると、そこには身長の高い――顔を見上げるとわたしの首が痛くなりそうな赤っぽい茶髪の男性がいた。顔立ちは平凡に近いけれど、柔和な目元が印象的な男性だ。背中にはその巨躯に似合う大剣を背負っていて、動きやすそうな形の甲冑を身に着けている。
年齢はわたしよりも年上。多分、二十代後半くらいだろうか。
でも何となくだけど、強いんだろうと思う。甲冑は年季の入ったものであると解るけれど、傷がそれほど見当たらない。丁寧に手入れされていることも見て取れる。
でも、そんなのはどうでもいいことで。
「……それ、あなたに関係ある?」
警戒した台詞が出てしまったのが自分でも意外だった。今までの自分だったら、男性に媚びた表情を作っていただろう。
「興味があったから聞いただけだ。ここのところ、あんたは一人でギルドに来ているだろう? 女一人で活動するのは危険が伴うから念のため訊いてみた」
ふ、と笑った彼の言葉には嘘の響きは感じられない。
とはいえ、何故かあまり他人に関わりたくなかった。
本当、わたしってどうしちゃったんだろう。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫、そんなに危険な依頼を受けるつもりはないから」
「そうか」
そこで彼は少しだけ逡巡する様子を見せた後、続けて言った。「もしもよければなんだが、一緒にやれないかと思ってな」
「どうして?」
そこでわたしは思わず一歩後ろに下がった。わたしたちが立っているのは受付に近い場所で、ちょうど他の人間も集まりやすい時間帯だ。邪魔になる場所から逃げつつ、わたしは首を傾げる。
「あなたは強そうだし、一人で依頼を受けた方がいいでしょ? パーティなんて組んだら報酬は山分けになるもの」
「ああ、あんたには都合いいだろう?」
――ふうん。
わたしは少しだけ、鼻で嗤ってしまった。
今までの経験からして解るのは、目の前の男性はわたしを『女』として見てるだろうってことだ。わたしに声をかけてきたのは、単なる親切心だけだとは思えない。
ギルドで活動しているような男たちというのは誰だって、女に飢えているから。街の外で戦うことが多いと、何かと『発散』したくなるものだ。
手の届く場所に『タダでヤれる』女がいると便利だものね。
まあ、わたしの方がそういった奴らの扱いには長けている。本当にヤバそうな相手からは関わらないようにしたし、女に慣れていない純情そうなやつを狙ってきた。
だって、身体の関係を持つわけにはいかなかったから。
わたしの最終的な目的は、幸せで裕福な結婚をすること。そのためには、男性経験はない方がいい。貴族とか、身分の高い男性は女性の処女性にこだわるからね。
だから――せいぜいキスどまりの、生ぬるい関係で誤魔化しがきくような男と付き合ってきたから解る。目の前の男は、そこまで甘いわけじゃないだろうって。
「悪いけど、面倒なのは避けたいの。しばらくわたし、一人で行動したくて」
以前のわたしだったら、強くて守ってくれそうな男に飛びついたかもしれない。わたしの代わりに魔物と戦ってくれる男は貴重だ。まあ、以前のわたしだったら、の話。
「でも、最近はこの街も治安が悪くてな。行方不明者が随分と増えてるんだ。しかし、魔物の出現率が下がっている今、魔物に襲われて死んだとは思えない。盗賊とか……人間の仕業じゃないかって思われてるんだが……あんた、自分の剣の腕に自信はあるか?」
「大丈夫よ」
と、心にもないことを言ってみる。
わたしの背中にある剣は、何の力もない平凡なものだ。ここのところ、剣の練習をさぼってきたわたしには盗賊とかと戦って勝てる自信はない。それに、相手は一人とは限らないわけだし。
……盗賊、か。
大丈夫と言ったけれど、不安になってきた。
どうしよう。
わたしがまじまじと目の前の男性を見つめていると、彼は急に気が付いたように右手を差し出してきた。
「エリゼという。あんたは?」
「……ロクサーヌよ」
躊躇ったものの、一応自己紹介しておく。でも、手を握り返すことはしない。
「でもあなた、女の子みたいな名前ね?」
「言うな。これでも気にしてるんだ」
少しだけ悄然と眉根を寄せた彼――エリゼは、気の良さそうな笑みも同時にこぼした。悪い人間ではなさそうだけど、信用はしないから。
「っていうか、何でわたしに声をかけてきたの?」
「気になったから」
「はーん」
「いや、変な意味じゃなく」
エリゼは慌てたように手を上げて、そして困ったようにわたしから目をそらした。「あんた、俺の妹に似てる」
「やだあ、女を口説くには古すぎる口実じゃない?」
「だから違う! そういう意味じゃなくて!」
そこで、さすがにギルドのホールでやり取りするには声が大きかったらしいと気づく。他の人間の視線がわたしたちに向いているのに気づき、わたしはそこで会話を切り上げようとした。でも、エリゼはわたしの手を掴んでギルドの建物の外へと連れていく。
「力技すぎない?」
わたしが不満を口にすると、巨大な背中が微かに震えた。
「だから本当に違って……俺の行方不明の妹に似てると思ったんだ」
「行方不明?」
そこで、厭な予感がしてわたしも声を潜めた。「さっき言ってた、ここ最近増えているとかいう?」
「いや、もっと前のことだ」
そこで彼は明るい太陽の下、ギルドの建物の壁際で足をとめ、わたしを見つめ直して表情を引き締めた。
「もう二年前のことになる。あんたを最初に見た時、髪の色は少し違うけど顔立ちが似てると思ったから声をかけようか悩んだ。まあ、こうして会話してみたら別人だって解ったけどな」
「別人だって解ったならもういいでしょ?」
「……まあ、そうとも言えるが……気になって」
気まずそうな彼の声と、歯切れの悪い台詞。何か言い淀んでいるところが、彼が『話したい』んだろうな、と予想がつくわけだ。胸に抱えているものを吐き出したい、そうでしょ?
「妹さんを探してるんなら忙しいんじゃないの? わたしに関わってないで、他を当たった方がいいわよ」
「解ってるんだけどちょっとな。妹は……俺が目を離した僅かな時間でいなくなったから、ずっと後悔しててな? 何となく、あんたと重なったから助けたくなったというか。あんたの身のこなしを見ていると、戦い慣れしているってわけでもなさそうだし」
「ふーん」
わたしはそこで腕を組み、わざと『悪女』っぽい笑顔を作って見せた。明るくて根は純情そうな女を演じるのは慣れているけれど、こういうのは滅多にない。
「わたしのこと、確実に守ってくれるなら一緒に行ってもいいわよ?」
エリゼが言う通り、もしも彼がわたしのことを妹と重ねて見ているのであれば、積極的に口説いてくることはないだろう。無害な男であるならば、有効活用できるってことだ。
「強気で強かなところも妹に似てる」
そこで眩しそうにわたしを見下ろした彼は、ちょっとだけ困ったように笑う。「妹は俺と一緒にギルドで活動してたんだが、魔力が凄く強かった。魔術の制御が下手で問題ばかり起こしてたし、困った奴なのは確かだったが。でも、強がっているだけで弱いところも多かった。何となく、そういうところもあんたに似てる気がする」
「ばっかみたい」
わたしは苦笑した。「わたしはきっと、あなたの妹さんより強いわよ? 男を利用することも慣れてるし、厄介な女だからね」
「そうか」
そう返すエリゼの表情が、妙に優しいのが居心地悪かった。
わたし、本当は当分の間、どんな男性とも関わるつもりなかったし……そう、わたしは貧乏人とは付き合うつもりはないのだ。
少なくとも、目の前にいるエリゼは――貴族ではない普通の身分の男だろう。だから、そんな対象にはなり得ない。
それに、あの――ティールームの店主の男性が気になっているからでもある。
まあ、彼が金持ちの貴族ではないのも解るけれど、でも、凄く綺麗な人だし。
それに、あの……顔に似合わぬ言動が面白い。そう思ったのは初めてかもしれない。何だか胸がちょっと、もやもやする。次はいつ、あの店に行こうかって悩んでしまう。
「とにかく、早速素材集めの依頼を受けて街の外に出ようか」
エリゼがそう言って、わたしは静かに頷いた。
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