第74話 幕間14 三峯健吾

「うぃっす!」

 俺がドアを思い切り開けて手を上げると、その部屋にいた男が心底厭そうに息を吐いた。

 住宅兼、作業場といった感じのその家は、木造二階建てのこじんまりとした造りをしていた。懐かしい感じのするログハウスにも似た感じで、俺はこういった家は温かみがあって好きだった。

 入ってすぐリビングルーム、その向こうにはキッチンが見える。食器や鍋が雑然と並んでいるようで、その実、居住者によって使いやすいように並べられているのが解る。唯一、まともな空間は台所、そんな気がした。

 リビングも足の踏み場もないほど色々なものが転がっているし。本とか石とか金属の塊とか植木鉢とか怪しげな液体の入った瓶とか。


 ちょうどこれから昼食の時間だったのだろう、台所に立って鍋を見下ろしていた若い男性――セバスチャン・オルドワンが目を細めて俺を見る。寝ぐせのついたままの茶髪に灰色の瞳、可愛い感じの丸眼鏡。年齢は多分、二十代半ば。身だしなみさえ気を付ければそれなりにイケメンのはずだが、くしゃくしゃの服に身を包んでいるせいで女の子受けは悪いだろう。

「……ミッチー、ドアはノックすべきだって子供の頃に教えてもらわなかったか?」

 セバスチャンは出来上がったシチューを皿に盛り付けると、その場に立ったままスプーンで食べ始める。テーブルも椅子もあるのに、と思うが、そのテーブルの上には雑多なものが積み上げられているから掃除をしてからではないと使えないだろう。

「過去は振り返らないんだ、俺」

「胸張って言えることじゃないな」

 俺は軽く手を振りながら、空いている椅子に腰を下ろした。勝手知ったる他人の家。


「頼まれてる魔道具はまだできてないからな? できたら連絡するって言っただろ?」

 シチューを早々に食べ終わると、セバスチャンがぐったりとした様子で俺の前にあった椅子に座った。寝不足らしいその顔は、ずっしりとした疲れが見える。かわいそうなので、そっとアイテムボックスからアップルパイを出してやった。

「相変わらずどこから出てくるんだか解んねえな」

 最初は凄く驚いたセバスチャンも、慣れたものでフォークも添えてあるデザートの皿を受け取り、早速口にした。マチルダ・シティ産のアップルパイは美味しい。それは俺も体験済みだから知ってる。


「頼んでいた魔道具は後回しでいい。忙しいんだろ?」

 俺がそう言うと、彼はほっとしたように「まあな」と笑った。

 俺がこの街に住むようになってから、俺が経営する喫茶店の道具――これまでこの世界にはないだろう器具を制作してもらう職人が必要になった。

 だから、ギルド窓口で聞いてみたのだ。

「魔道具を作ってくれる職人を知らないだろうか」

 と。

 本当ならば、ギルドが間に入って職人に依頼をする形になるらしい。そうすることで、ギルドにも紹介料やら商品の売り上げの何割かが入るシステム。

 しかし、仲介とか入っていたら、作って欲しい器具なんか何年かかっても出来上がらないと思った。

 だから、俺のこの美形天使アバターを利用して、ギルド受付のお姉さんに頼み込んだのだ。俺の天使顔を見て頬を染めてくれた純情そうなお姉さんに。

「直接会ってくれる職人を紹介して」

 その結果、会うことができたのがこの若手の職人である。

 魔道具を作ることに関してもかなりの腕を持っているが、どうやらこだわりが強いらしく、依頼した魔道具が出来上がるまで時間がかかるとかで人気がない。納期期限をあっさり破るということで、急ぎの依頼は他の職人のところに流れてしまうらしい。

 そのため、万年金欠。

 だから、俺としても仕事が頼みやすかった。


 そんな彼だったが、ここ最近、魔道具制作の依頼が多くてどこも仕事が終わらないらしく、セバスチャンのところにも回ってきている。

 それも、とんでもない量なのだという。

 そのせいで、俺が以前に頼み込んであったエスプレッソマシンの制作は頓挫しているというわけだ。

 まあ、急がないけどな。エスプレッソやらカフェラテなんかはアイテムボックスを埋め尽くしているし、店で出す分には問題ない。


 で、今日ここに寄ったのはまた別のものが欲しくなったからで。


「でじかめって何だ」

 俺の説明を聞いて、セバスチャンが眉間に皺を寄せた。

 そう、俺が欲しいのはデジタルカメラ。いや、別にデジカメじゃなくてもいい。コンパクトカメラみたいなやつでもいいんだけど、できれば何度も写真をプリントしたいから、本体にデータを残しておけるタイプが欲しい。


「いや、俺はこの世界にカメラというものを普及させたいんだよ」

「だから、カメラって何だ」

「人物や風景を、そのまま紙に印刷する魔道具」

「印刷?」

「ああ」

 俺はそこで、持参したバッグの中から先日買ったばかりの聖女様の絵姿を取り出した。A4サイズよりも小さいくらいの額縁に入った、俺の推しの聖女様、ジョゼット様。

 繊細な線で描かれたジョゼット様の表情は、とても柔らかく美しい。儚げな風貌と長い睫毛、ふっくらした唇、何もかもが尊い。美しいと書いてジョゼット様と読む、そんな感じだ。

「これは銀貨一枚だ」

「……買ったのか」

「もちろん買った。観賞用、保存用、布教用と三枚」

「買いすぎだ」

「でもな、俺はここで熱く語りたいんだよ」

「語らなくていいよ、面倒だし」

「俺としては、ジョゼット様はもっと人気が出ていい美少女なんだと思ってる! ジョゼット様の素晴らしさを皆に知らしめるためには、こんな絵姿では全ての人民の手元には届かない」

「届けなくていい」

「大体な、銀貨一枚って高すぎだと思うんだよ。そりゃ、手描きなんだから仕方ないよ? 俺が買った三枚も、それぞれ微妙に違って微妙にいいけど、しかし、本物はもっと美しいと断言できるんだ。だから、もっと簡単に、そして安く、ジョゼット様のあの美しい姿を紙に転写できるような魔道具が欲しいと思ったんだ!」

「自分で描いたらどうだ。その辺に画材が売ってる。そしてお前が売りさばけ」

「それができたらやってるって!」

 俺はそこで、目の前にあるテーブルの上をきょろきょろと見回した。本やら紙やら積みあがっているが、その中で明らかにいらないだろうと思われる紙の切れ端を引っ張り出し、床の上に転がっていたインク補充型のペンも拾う。

「俺の名を、または画伯という」

「画伯? 上手いのか」

 俺はテーブルの上の僅かなスペースに紙を置き、ぱぱっとペンを走らせる。

「違う、下手すぎるから画伯。皮肉として画伯と呼ばれる、それが俺」

「よく解らん」


 そう、俺は子供の頃から絵が下手だった。小学生の頃は、先生が味のあるいい絵だね、勢いがあっていいね、とほめてくれた。

 しかし、それが許されるのは小学生までである。

 目と鼻と口があれば人間には見えるが、俺の描くものはバランスが悪い。だから考えた。できるだけバランスよく可愛くするには。

「可愛い絵を描こうと思うと、こうなるんだよ。俺の描く絵とは、『ちょんちょんさんかく』で表される」

「は?」

「目と目と口だ」

 そう言って、ばばん、という擬音を誰かに演出してもらいたいと考えながら、描いた絵を彼に見せた。見た瞬間、セバスチャンの目に同情の光が灯る。それで彼が何を考えたのかよく解るよな。


 そう、これが俺の画力の限界である。

 よく言えばゆるキャラ。悪く言えば手抜き。

 ちょん、ちょん、さんかく、目と目と口。鼻はない。描くと余計に間抜けになるから。


 真面目に写実的に描けば、ごちゃごちゃしたモンスターになる。人間とは思えない姿だ。

 駄目だ、俺の画力ではジョゼット様が残念になってしまう。いわゆる、呪われた絵画。

 かといって、絵姿を買うといっても種類がない。どれも似たり寄ったり、同じような角度で同じような表情。

 だからもっと種類豊富で新しいのが欲しいのだ。

 そこで必要なのはカメラである。

 カメラが魔道具として完成したら、プリンターも依頼しよう。できればポスターサイズに印刷できる奴。壁にも貼って、天井にも貼る。

 そのうち、抱き枕を開発しよう。

 肖像権があるから商売への道は遠いだろう。でも、せめて小物グッズぐらいは売れるような権利を勝ち取りたい。それはギルドに話をつければいいんだろうか。


「帰れ」

「もっと話を聞いてくれよ!」

「いや、今は本当に忙しいんだって! 神殿からの依頼なんだぜ? そっち優先だよ」

 がくりと肩を落としたセバスチャンを見ながら、俺はそっと息を吐いた。

 確かに忙しいのは理解できる。聖女様の浄化の旅を控えて、魔道具制作が急がれているからだ。

 でも多分なのだが、今回の浄化の旅はジョゼット様が行くような気がするのだ。ローテーションを組んで誰が行くか決まるらしいから、ここしばらく神殿にいたジョゼット様に話がいくだろうと予想できた。


 実は俺、こっそりついていこうと目論んでいる。

 旅の間は聖騎士とやらがジョゼット様を守るらしいが、どれだけ強いか解らないし、それ以前に俺が聖女様を守りたい。

 で、バレないように遠くから見守っていて、万が一危険なことが起きそうだったら偶然を装い、俺がヒーローのごとく助けに入る!

 そうすることで、まるで恋愛漫画みたいな出会いが演出できるじゃないか。


 憧れのラブコメ展開だって期待できる。

 パンを口に咥えてぶつかりに行くのは俺になるだろうけど、運がよければ握手くらいできるかも。ついでにシャツにサインをもらいたい。もらえたらうちの店に神棚作ってご神体にする。ところで、この世界に榊ってあったっけ。米と酒をお供えしなくてはいけないはずだ。それと、天井には……天、だっけ、雲、だっけ。何か書かなきゃいけないんだよな?


 ラブコメって何だっけ。あれ?


「もう本当、お前は黙っていればいい男なのに……」

 セバスチャンは俺がこの家にやってきた時より遥かに疲れ果てたような顔をして、深いため息をこぼした。いやいや、黙ってなくてもいい男のはずなんだが。

「とにかく、そのカメラってやつも後で作ってやるから帰れ! それで、自分の行いを反省しろ」

「反省すべきところがない。引かぬ、媚びぬ、省みぬ、ってやつ!」


 そこで、無言で家から追い出された。何故だ。


 しかし、あまり情報は引き出せなかったな、と思う。神殿から依頼を受けているっていうから、もうちょっと何か新しい情報があると思ったのに、気が付いたら全部俺が色々喋ってたわ。

 駄目だな、ジョゼット様のことになると俺の口は饒舌になりすぎるんだ。しかし反省はしない。


 俺がそのまま自分の店に帰ると、店の前で所在なさそうに立っていた女の子を見て手を上げた。

「こんにちは! ごめんね、ちょっと出かけてたから。今開けるね」

 俺はそう言ってから、店の鍵――魔道具によって鍵のかかっている扉を開けた。これでも俺、女の子には優しいのだ。いや、お客さんには、だろうか。

 俺のジョゼット様布教活動のためには、資金が必要だ。お客様は大切にしなきゃな!

 ドアのところに下げてあった『準備中』の札も回転させ、『営業中』に変えながら続けて訊いた。

「随分待ってた?」

「いいえ、そんなことないです。急がせてしまってすみません」

 恐縮しているような表情で頭を下げたのは、先日お店に引っ張ってきた女の子だ。名前は確か、ロクサーヌ。気まずそうに俺を見た彼女は、控えめに笑って見せる。

「あの、前回食べたパンケーキが美味しかったんですけど、今日もありますか?」

「うん、あるある。準備するからカウンターにおいでー」

 俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。

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