第67話 ポチ(小型犬)

 誰だこいつ。


 俺はミカエルの劣化版みたいな顔立ちの男性を見ながら、そっと目を細める。とりあえず、大天使ご一行様の関係者なのは一目瞭然だし、俺には関係ないことだ。

 何だか知らないが、誰だか解放しろとか言ってるし、話が長くなりそうだからさっさと屋敷の中に入りたいな、と思いながら隣を見る。


 俺はカオルの左手を引きながら歩いていた。そして、猫獣人の右手を引いているのはサクラである。何だろうな、この子供の手を引いている両親の図、みたいになってる。

 まあ、それより俺は腹が減っているのだ。

 門の前で邪魔をするように立つ青年なんかどうでもいい、このさい塀を飛び越えていけば――と考えている間にも、彼らの会話は続いていた。


「何故、アクセリナの名前が出てくる?」

 ミカエルは素で驚いているようで、困惑して首を傾げている。それに、口調も態度もすっかり砕けていて、俺に接するような感じではない。


 そのミカエルを睨みつけ、すぐ目の前まで詰め寄ってきた男は――うん、喧嘩を売るのはまだ早いと言いたくなるような体つきである。

 何だかんだ言って、ミカエルは剣士だ。細身ではあるが、鍛えられた肉体を持った奴とひょろガリともなれば、どんなに顔が綺麗でもそれ以外で負け確定である。

 多分、喧嘩を売ってる奴もそれを理解しているから、表情に余裕がない。

「俺の周りには役立たずばかりしかいないから、アクセリナに俺の側近になるように言ったんだ。あれだけ優秀な王宮魔術師はなかなかいないからな! でもあいつ、お前に忠誠を誓ったとか何とか言って、逃げようとする。そんなの許せると思うか? お前なんか、王族の恥さらしみたいなもんだろ? 呪いなんか受けて何もできなくなってるんだからな!」

 まるで噛みつくように言った台詞だが、迫力がないというか……何だろうな、大きな犬に立ち向かう小型犬という感じだ。


「アクセリナって女性の名前かな」

 サクラが怪訝そうにそう囁き、ミカエルと類似品の顔を交互に見やる。「何、ミカエルさん、うちのアキラちゃんと二股?」

「おい」

「違います!」

 俺が突っ込みを入れようと思ったら、地獄耳の大天使が急に叫んだ。「アクセリナ・ノルディンは私と何の関係もありません!」


「王宮魔術師なのです」

 アルトが頭痛を覚えたように額に手を置きながら、そっと俺たちに囁いた。「若い女性ですが、アクセリナ・ノルディンはこの国で五本の指に入るくらいの実力者です。王都にいた時は、魔物討伐に一緒に行くこともありました。でも、それだけですよ」

「その通りです、我が女神! 信じてください!」

「何だ? ミカエル、その貧相な女を気に入ってるのか」

 類似品がニヤリと厭な笑い方をすると、大天使の顔に明確なまでの嫌悪が浮かんだ。

 貧相って俺か? それなりに胸はあるけど。


「……ああもう」

 アルトはいつしか、胃の辺りを手で押えながら深いため息をこぼしていた。俺たちが眉間に皺を寄せているのに気付いて、色々と小声で説明してくれる。


 目の前にいるミカエルの類似品は、何とミカエルの兄なんだという。

 リュカ・アディーエルソン、二十歳。この国の第二王子。金髪に青い目はミカエルと同じ。でも表情が幼い感じがしたので、ミカエルの弟と言われても納得がいく。

 どうやら、ミカエルにとっては不肖の兄という立場のようだ。まあ、見ただけで性格の悪そうな問題児だとは解るけれど。


「さすがだねえ、ミカエルは。昔から次から次へと女を誑かすことだけは得意で。アクセリナの心を奪っておいて、今度は何だ? というか、何だその獣人。そんな下等生物を連れてるって何だよ? 王家の一員として恥ずかしくないのか?」

 上から目線、といった感じでそう続けた類似品――リュカだったが、ミカエルはそのまま彼の口を自由にはさせておくつもりがなかったらしい。


 おそらく、リュカには素早すぎた動きで見えなかったんだろう。ミカエルはリュカの腕を捻りあげ、そのまま地面に兄をうつ伏せになるように転がしていた。しかも、腕を捻りあげたまま、苦痛に呻く彼を冷酷な目で見下ろしながらそっと笑った。

「王家の一員として恥ずかしいのはどちらだろうな、リュカ殿下?」

「いて、離せ! 俺はお前より立場が上なんだ! 言葉遣いに気を付けろ……!」

 情けなく藻掻くリュカだったが、さらにミカエルは彼の腕を掴む手に力を入れたのだろう、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。オレンジ色の明かりの下でもはっきりと、その額に汗が浮いてくるのが解った。

「以前も言ったが、私は尊敬できる人間には敬語を使う。しかし、殿下は残念ながらそれに値しない」


 その冷ややかな笑みはイケメンだけに壮絶だとも言えた。我が女神とか叫んでいる時には見られない、別の一面。怒らせたらヤバいんだろうな、というのが解る光景だった。

 ポチ(小型犬)にはそれが解らないんだろうか。だとすれば、とても残念な頭をしている。


「貴様」

 怒りに満ちた目を何とかミカエルに向けようとしても、すっかり地面に押さえつけられていて情けないことこの上ない。

 しばらくミカエルはそんな彼を見下ろしていたが、そっと呆れたように息を吐いた。

「まあ、どうせ王城から逃げ出す口実なんだろう? 剣の腕も、上に立つ者としての知識も、ディオン殿下を補佐するための学習も、最低限の作法すらも学んでいないのが見て取れる。どうせ、それを教育係に指摘されて不貞腐れたんだろう? お前は一体何歳になった? いい大人のくせに、未だに教育係に叱責されているのか」

「う、うるさい」

「ああ、だから逃げ出したのか。いつも遊ぶことだけに夢中で、どこを尊敬しろというつもりだ、『兄上』? アクセリナがどう言って拒否したのかは解らないが、少なくともお前は二流の魔術師すら従えることはできないだろうな」

「うるさい、うるさい!」


「あー、ちょっとちょっと、質問!」

 そこで、セシリアが軽く手を上げた。「馬も何もいないけど、どうやってきたのかしらー。もう夜も遅いけど、どうやって帰るの?」

「追い返すつもりか!?」

 ぎょっとしたようにリュカが叫び、いい加減面倒になったのかミカエルが腕を解放する。すると、腕をさすりながらリュカが地面の上に座り、開き直ったように続けた。

「帰る手段はない」

「は?」

「移動は魔道具を使った。一回きりしか使えないから……」

 と、そう言いかけた時、セシリアが呆れたように大声を上げた。

「魔道具って、もしかしてあれのこと!? 一回しか使えないのに平民だったら一年は遊んで暮らせるくらい高価なやつ! え、馬鹿じゃない!? それ、王城の保管庫に管理されてるやつじゃない!?」


 一瞬だけ、辺りに沈黙が落ちる。


「保管庫から盗んだのか」

 ミカエルが冷ややかに――辺りの空気すら凍らせるような口調で言うと、リュカが言葉に詰まったように唸る。どうやら正解らしい。

「せめて馬車で来なさいよ! 馬鹿なの!? 馬鹿よね!?」

「馬車や馬できたらすぐに追いつかれるだろ!?」

 そこでリュカが叫ぶと、ミカエルはすっかり軽蔑したかのような目で見下ろした。

「王族とはいえ、不正に国庫の資産を使えば首が飛ぶ。これほど愚かだとは……」


 何だか――とんでもないことになっているようだけれど。

 俺、そろそろ屋敷の中に入りたいです。お腹空いたんですけど。

 そんなことを思いながらため息をつくと、セシリアがすっかり酔いが冷めたと言わんばかりに頭を乱暴に頭を掻いた。

「王妃様もコレが息子だなんて同情するわ……」

「いや、あの王妃だからこそコレが育った気がするが」

「でも、第一王子はまともよ? 若干、感情が抜け落ちてる気もするけど」

「それもやっぱり、あの王妃だからだろう」

 二人がそんなことを言いあっていると、リュカはむっと唇を引き結んで何やら考えこんでいる。そして、口を開いたと思えばこうだ。

「いい加減、中に入れてくれ。疲れたから休みたい」

「馬鹿も休み休み言え」

 ミカエルがそう言うと、セシリアは小さく「土下座で頼んだら入れてやってもいいけど」と苦々し気に笑う。


 何だか面倒臭くなってきたから、俺は屋敷の中に入ることを諦めて、ダッシュでマチルダ・シティに戻ろうかと頭の隅で考えていた。

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