第46話 皮膚の下に蠢くもの

「何だ、お前か? ここ最近、色んな奴を襲ってるってのは」

 相手を挑発するような口調の男の声が路地裏に響く。しかし、その声が少しだけ困惑したように変化した。

「……でもお前、どこかで見たことあるな? 確か、魔物の討伐で……」

 そう彼が続けた瞬間だった。

 鈍い打撃音の後に、何かが倒れたような――。


 マジか、もう倒されたのか、と俺が気配を殺しながらゆっくりとその音の方へ近づき、路地を曲がる。その途端、漂ってくる血の匂いと地面に転がった男の頭部が目に入った。少し離れた場所には、首を切断された身体だけが崩れ落ちている。


 悲鳴を上げなかったのではなく、上げられなかった。人間の死体を見るのは初めてじゃない。でも、慣れるものでもなかった。


「面白いなあ」

 その、掠れた声に俺は我に返り、視線を地面の上から上げた。

 路地裏に立っているのは、黒いマントとフードに身を包んでいる細身の男性。フードの下には、歪んだように笑う唇が見える。

 彼はプロレスラーのおっさんの身体から、剣を奪い取って手で弄んでいた。そして、俺が言葉を吐き出す前にその剣を――いや、その剣に付けられている魔石のようなものを握り込む。

 微かな光と共に、その魔石が男の右手に吸い込まれていくと、男の身体から放たれる魔力の気配が強くなった気がした。

「餌になりにきたのかな、お嬢さん?」

 そう言って笑った男の顔は、目元は隠れていて見えなかったものの、それなりに整っているようだった。しかし、白い頬の皮膚の下で、何かが蠢いているようだ。もぞもぞと盛り上がったりへこんだりする様子は、何か別の生き物が皮膚の下で規則的に息づいているようにも思えてぞっとする。


「餌?」

 俺はそこでやっと声を発することができた。声が震えなかったことを誰かに褒めてもらいたい。

「お前は何だ?」

「ああ? それはお前にも聞きたいなあ、お嬢さん? 何でこんなところに来たの? 君の気配は他の奴らと違うねえ?」


 そこで直感的に感じるのは、『これ』は俺たちの仲間じゃない。探している黒フードじゃなくて……この世界の人間だ、ということ。

 しかし、その気配は魔物が纏っているものと同じだ。

 普通の人間じゃない。


 俺は何とか笑みに見えるように唇の形を作ろうとしたが、失敗した。それでも、探りを入れてみる。

「そういうあんたは何? 魔物? その、皮膚の下は何だよ?」

「知らない、よ」

 男はそう言ってから、ふと我に返ったようにその場でびくりと肩を震わせた。そして、フードを手でまくり上げるとその顔を俺に晒した。どこにでもいそうな若い男の顔が現れる。でも、皮膚は醜く蠢いたまま。

「逃げろ!」

 彼は突然、理性を取り戻したかのように俺を見て、泣きそうな表情で叫ぶ。「俺には抑えきれない。俺は多分、もう駄目だから」

「え? あんたは」

 唐突な変化に俺はついていけず、困惑しつつも後ずさる。

「こいつが」

 男は自分の顔に手を当て、その爪先で顔の皮膚を抉ろうとする。「俺の身体の中に入ってから、俺は俺じゃない」

「何?」

「魔物の討伐の時に、黒い蛇のようなものが俺の身体の中に」


 黒い蛇。

 俺が見た魔物も、その身体に黒い蛇を纏わりつかせていた。

 あれが――こいつの中にも?


「あの蛇は、俺の魔力を食う。もう、俺の中には餌となる魔力がない。だから他から、他カラ、奪わね、ば」


 かたかたと震え出した男は、顔中を血だらけにしつつ笑いだした。


「餌なんだよ、お嬢さん! 人間は、魔力持ちは餌なんだ!」

 急速に消えた瞳の光は、狂気の色にとって代わる。おそらくこれは、元々の彼じゃない。魔物に乗っ取られたということだろう。

「人間は下等生物にすぎない! 弱いものは屠られる。それがこの世界の理というものだろう!」

 その男は、ゆらゆらと身体を左右に動かしながら、こちらに歩いてこようとした。


 倒さなければ駄目だろう。


 そう、一瞬で終わらせて。


 蘇生薬を使う。


 俺が地面の上に転がったおっさんの死体に視線を投げ、急がねば蘇生薬が効かなくなると焦りを感じた瞬間だった。


「……おじさん? 何かあった……え?」

 急に、背後に子供らしい声が響いた。

 え、と振り返った時、さっき屋台で売り子をしていた少年が驚いたようにこちらを見て、死体に気が付いたようだ。その口が悲鳴を上げるために大きく開かれたが。


 悲鳴を上げる前に、少年の喉から真っ赤な血が噴き出して、小さな身体がその場に倒れた。その身体が痙攣し、動かなくなるまでほんの一瞬。


「ああ、邪魔だなあ。子供は嫌いなんだ、勘が鋭いから」

 魔物に乗っ取られた男が、まるでハエでも手で払うかのような仕草をしながらそう言った。彼はおそらく、元々は魔術師か何かだったのだろう。魔術を使って少年を殺したと思われる残り香が空気に漂う。


「お前の方が邪魔だろうがよ!」

 ブチ切れる、という感覚。

 身体が勝手に動く。闘技場でやっていたかのように、必殺技を繰り出す。風の刃が虚を突かれて動けなかった男の腹を引き裂き、地面の上に転がった。

 浅い!

 俺の作りだした刃は、その男を倒すには小さかったらしい。

 でも、時間稼ぎにはなる。


 アイテムボックスから取り出した蘇生薬を、プロレスラーのおっさんと少年にかける。何とか間に合ったようで、おっさんの切り離された身体がつながり、意識を取り戻して目を白黒させているのが解る。当然だが、状況が把握できないらしい。

 少年もまた、何があったのか解らず、ぼんやりとした表情で地面から身を起こした。二人とも、自分が一度死んだということも解っていないはずだ。

「子供を連れて逃げてください。あの男が襲撃犯です。剣は奪われてしまったようですし、援護が必要です」

 かろうじて俺がおっさんに囁き、二人を守るように前に出て立つ。

 すると、おっさんが慌てたように俺の横に立った。

「馬鹿にすんな。俺の方が戦える。お前こそ逃げろ……」


 と言った男の巨体を、俺は片手で持ち上げた。

 見よ、俺の吸血鬼としての腕力!

「このまま大通りまで投げ飛ばしてもいいんですよ? 早く行ってください!」

 じたばたと足を動かすおっさんを地面の上に戻し、乱暴に背後に押しやると、今度は彼も俺の言葉に従ってくれた。何がなんだか解らないといった様子だが、俺が只者ではないということも理解したのだろう、そこからは話が早かった。


「面白い、面白いなあ」

 ばたばたという足音が背後から遠ざかるのを聞きながら、俺は地面から立ち上がった男を睨みつける。黒衣装の男は歪んだ笑みをこちらに向け、奇妙な動きで首を傾げた。

 知ってるぞ、そういうの、小説でよくあった。

 あざとい女が『こてんと首を傾げる』って奴だ。全くお前には似合わないがな!

 と、頭が恐怖に囚われないよう、ばかばかしい冗談で埋めようとする。そうしなければ、身体が強張ってしまう。

 しかし、男は地面を蹴り、凄まじい勢いで間合いを詰めてきた。

 気が付くと歪んだ血だらけの顔が目の前にある。


「お嬢さんは何だか変な気配だけど、お前を食ったら魔力はあるのかなあ? ああ、柔らかそうな肌だねえ? 食いたいけど……その前に犯してみたいなあ」


 ぞわり、としたのは恐怖からじゃなくて嫌悪感からだ。

 咄嗟に俺も背後にジャンプして、必殺技、滞空発動。空の上から男を見下ろす。


「空も飛べるんだ? 凄いねえ」

「あんたは諦めろ。あんたを放っておけば、もっと人が死ぬ。だから、俺がやらなきゃ……」

 それは自分に言い聞かせるための台詞だった。

 魔物に乗っ取られているとはいえ、相手は人間だったものだ。人間を殺すのと何が違う? 初めて俺は誰かを殺さなきゃいけない場面に出くわしてる。きっと、これからずっと後悔に襲われる。

 でも、やらなきゃ駄目だ。


「飼い殺しもいいかなあ」

 男がさらにニヤリと笑う。「好きな時に犯せるし、それに……人間を生き返らせるくらいの能力持ちなら、殺すのはもったいないしなあ」

 そして何か魔術を展開し始めたようで、地面の上に青白い輝きを放つ文字が浮かび上がる。

 何だあれ、と俺が警戒して近くにある家の屋根の上に移動する。このまま逃げてしまえ、と頭のどこかが警告を発している。

 俺の持っている必殺技は、かなり破壊力が強い。放てばこの辺りの建物も被害を食らうだろう、と一瞬だけ悩んだ。


「遅いね」


 急に、背後を取られた。

 俺のすぐ後ろから男の手が伸びて、俺の喉を羽交い絞めにしようとしている。振り払おうとしたが、人間離れした腕力で締め上げてくる。


「危険だね、君は危険だよ。閉じ込めよう。その力を封じなきゃ、俺が負ける」

「何?」

 俺はその格好のままで、右手を振り上げて風の刃を作る。背後の男を切り裂く音がしたが、血が飛び散っても男の手は緩まなかった。

 さらに、何か魔術を使うために呪文の詠唱を始めたのが解る。

 俺の身体の周りに、文字列が浮かび上がる。


 これはマズいやつだ、と直感した。


 ウサギが言っていたはずだ。

 こっちの世界で犯罪を犯したらペナルティとかあるのか、っていう質問をした時。


 ――どこかの優秀な魔術師によって、能力を封じられて投獄とか……。


 ――マチルダ・シティに戻れなくなったら、諦めてください。


 今がその時じゃないのか?


 男の腕を振り払おうと必死になるも、少しずつ身体から力が抜けていくような気がした。


 でも。


 まだ間に合う。そんな気がする。

 大丈夫、やれる。

 俺には最終手段が残されているんだから。


 俺は自分の右手を、自分の腹に当てた。

 自分の魔力を封じられて、こんな変な男に捕まっていいようにされるくらいなら。


「一緒に心中しようぜ」

 俺はそこで、自分の腹に向けて必殺技を使う。風の刃の竜巻を、手のひらから発動させる。近所の建物には少しだけ被害が出るかもしれないけどごめん。

 俺の手のひらから起こる凄まじい旋風と、俺と男の身体ごと引き裂く――というよりミンチにしてしまうくらいの破壊力の技が同時に発動した。


 そして俺氏、最初の死に戻りを経験する。


 魔物に乗っ取られた男の身体が引き裂かれ、吹き飛ばされていくのを視界の隅に見ながら。その男の身体から、黒い蛇も吹き飛ばされて、消え失せるのを見ながら。

 全部、吹っ飛ばしたのであった。

 辺りの家の屋根すらも。


 そして、急激に襲ってきたブラックアウトと共に、意識を失った。

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