第29話 血の匂いがする
――そこそこ、人通りはあるんだな。
俺は宿の外に出て、大通りに向かいながら辺りを窺う。まだ深夜というには早い時間帯だけあって、食事処みたいな店は明かりが煌々とついているし、出入りしている人間も多い。
俺はアイテムボックスの中にあった、着せ替えアイテムのマントを付けてから外に出たが、やっぱり小柄なだけあって暗闇でもすぐに女とバレてしまうらしい。幾度か酔っ払いに声をかけられそうになって、素早く逃げた。
余計な時間を使っている暇はないのだ。
三人がそれぞれ時間をずらして行動すると決めた時、俺は最初に行きたいと手を上げた。
ログインボーナスがもらえるまで――日付が変わるまでまだ時間はあるが、それまで我慢できそうにない。
っていうか。
マップで選択してマチルダ・シティに帰れたら簡単だったのだが、宿の中でマップを開いてタップしても反応がない。どうやら、一度街の外に出ないといけないのもがっかりポイントの一つである。
とりあえず、街の外に出るまで挙動不審にならず、目立たぬように移動――と思っていたら。
街の入り口、門のところが騒がしい。門の詰め所のようなところに、いかにも門番、という身体の大きな男性が立っているのだが、その彼に詰め寄っている人間たちがいる。それがどうにも切羽詰まっている感じなのだ。
街を取り囲む塀は高いが、俺だったら簡単に飛び越えられる。だから本当は、門で呼び止められるような気配があれば、人目のないところに移動してこっそり外に出るつもりだった。
しかし、やっぱり騒ぎがあれば気になるというもので。
俺はできるだけ門から遠いところで耳を澄まし、何を言っているのか盗み聞きしたのだった。
「しかしな、こんな夜中に森に行くのは自殺行為なんだよ」
門番が心底困ったような声を上げているのが聞こえる。
その彼の前に立っているのは、白髪の髪を綺麗に撫でつけた年配の男性と、若い男女。一見して、どこかの執事とか召使とかなんだろうか、と思われるかっちりとした服装である。
「しかし、今日の夕方には到着する予定だったのです。誰か、迎えに行ってもらうわけにはいかないのですか? もちろん、無茶を承知で言っているとは理解しておりますが」
そう言ったのは、年配の男性。詰め所の小さな建物から漏れる明かりで、その青白い顔が照らし出されている。
「無茶だと解ってるなら勘弁してくれ。そういうのはギルドに依頼を出してくれないと」
「行きましたが、夜の森は危険だと言われまして」
「あー、そりゃそうだ……。そうか、断られたのか」
門番が困ったように鼻の上を指先で掻く。それを見て、年配の男性が肩を落とした。
「はい。明日の朝一番なら、人数を集められると言われたのですが……当家に嫁いでこられた奥様が、とても朝までなんて待っていられないと」
「なるほどな」
門番はそこで肩を竦め、目の前の三人の顔を改めて見回した。「その奥様ってのはアレだろ? 魔物に襲われて、随分と酷い目に遭いつつ逃げてきたっていう……。だから、魔物の恐ろしさはよく解ってるはずだよな?」
「そうなのです。知っているからこそ、ということでしょうな」
年配の男性が頷くと、それまでそのすぐ後ろで落ち着かない様子で手を組んでいた女性が口を開いた。
「今日、遅れてやってくる馬車には奥様の信頼する侍女が乗っているんです。わたしも彼女とは仲が良くて、彼女に何かあったらと思うと……」
「そりゃ……まあ、そうだけどな。でもほら、必ずしも魔物に襲われて到着が遅れているとは言い切れないだろ? 安全な場所で、馬車が野宿しているかもしれないしな」
なるほど、何となく状況が解った。
俺はそのまま、彼らに気づかれないようにその場を離れる。門から遠い場所の塀を跳躍で飛び越え、街の外へ出る。
「……リセット……」
したいんだが。
さて。
俺は少しだけ考えこんだ後、目の前に広がる草原と森を見つめた。完全な暗闇ではなく、空には二つの月があり、街から森へと伸びている道がぼんやりと浮かび上がって見えていた。
俺はそっと唇を指で撫で、まだ犬歯がそれほど伸びていないことを確認してから、思い切り大地を蹴った。
目の前の道をたどって森の中へと向かう。
マチルダ・シティまで、全力疾走、そして必殺技を使えばあっという間に着く。
だから、ほんの少しだけ寄り道してもいいだろう。下手にあんな話を聞いてしまうと、無視するというのは厭な感じだった。
それに、安全な場所で野宿している可能性もあるんだし、それさえ確認してしまえば安心できる。
と、思うのに。
空腹が教えてくれる。
遠い場所から、僅かな血の匂いが漂ってきていることを。
「このままじゃ無理だ。朝まで保たない」
魔物に襲われ、倒れた馬車の傍で若い男性が苦し気に言っている。彼は剣を手に持っていたが、足を怪我しているようで血の匂いが広がっている。
意外にも呆気なく彼らの姿を見つけた俺は、近くにある木の上でどうしたものかと辺りを見回していた。
風もないのに森が騒めいている。
それほど遠くない場所に魔物の気配があるのが解る。おそらく、その魔物も獲物の血の匂いに気づいているだろう。じわじわとこちらの様子を窺いながら、進んでくるのも解って、俺は眉を顰めた。
敵は群れをなしているようだ。
大きな殺気と、その周りにいくつも小さな敵意の群れが存在している。
俺はもう一度、地面の上にいる彼らを見下ろした。
怪我をした男性は、他の人間を逃がそうとしているらしい。馬は二頭いたが、一頭はもうすでにこと切れていて、地面の上に倒れていた。
もう一頭は怪我はないようだが、完全に怯えていて大きな木の傍で震えている。
どうやら、魔物に襲われてここまで逃げてきた、という様相である。
「馬に鞍を付けてくれ。シーラ嬢を連れて、何とかユルハまで行って欲しい。そして、助けを呼んできてくれ」
怪我をした男性が、別の男性にそう囁いているのも俺の耳に届く。
明らかに囮になる気満々といったその言葉に、それを聞いた女性が泣きそうな声を上げている。
「そんな! あなた一人でここに残るなんて!」
「いいから」
よし解った。
考えるより行動。
俺は彼らに声をかけるのも面倒だと判断し、立っていた木の枝を蹴って魔物の方へと向かった。
こういう時に便利な技、瞬間移動。短距離しか飛べないとはいえ、幾度も繰り返せば、ほら。
俺は敵の総大将と思われる巨大な影の頭上へ出て、そのまま空気の刃を飛ばした。
魔物の悲鳴が闇夜を切り裂く。
粘ついた魔物の血が大地に降り注ぐ。
刎ね飛ばされた魔物の頭には、やはり黒い蛇のようなものがまとわりついていた。
巨大な躰も地面に倒れ、地響きが起こる。そこでやっと、そいつらが巨大な熊のような肉体を持つ魔物だと見て取れた。
司令塔となるリーダーを失ったせいか、他の魔物たちが蜘蛛の子を散らすようにこの場から逃げ出した。
そこで不思議に思ったのは、黒い蛇を纏わりつかせていたのは死んだリーダーだけだということだ。他の魔物たちは俺を警戒して、戦意喪失したと言ってもいいだろう。森の奥に必死に逃げ込もうとするその様子を見て、深追いする必要はなさそうだと判断した。
意識を集中して辺りを窺っても、他に魔物らしい気配はない。
これなら、あの馬車のところに戻らなくても大丈夫だろうか。喉の渇きもそろそろヤバいし、ここで俺も撤退してマチルダ・シティへ向かうか、と思ったのに。
地面に転がった敵の頭と躰から、生き残っていた黒い蛇が地面の中へと潜り込む。その禍々しい気配は、逃げた魔物を追い、ある一頭の魔物を足元から呑み込んだ。
その途端、一気に毛皮を覆いつくした黒い蛇が魔物を取り込んだのが解った。
凄まじい勢いで、その魔物がこちらを振り向く。俺に飛び掛かってくるのかと身構えたが、すぐに標的を変えたらしかった。
例の馬車の方へ走りだした魔物は、空気をびりびりと震わせる咆哮を上げながら地面を蹴って走っていく。
「もう本当、勘弁して」
俺は軽く舌打ちすると、それを追って走り出す。
血の匂いがする。
人間の血の匂い。あの男性だけじゃない、他にも……ああ、シーラ嬢とかいう若い女性も怪我をしているみたいだ。凄く、いい匂いがする。
犬歯が伸びて、唇に当たる。
だから、近寄りたくないんだよ、俺。
お腹、空いた。
そう心の中で呟きながら、馬車の傍にいた男を襲おうと飛び掛かる魔物を背後から攻撃する。
夜という時間は吸血鬼アバターである俺の力を増幅してくれる。
暗闇すら明るい。
身体が軽い。
攻撃力も遥かに上がる。
だから簡単に、その魔物の首と胴を切り離すことができた。
そして、魔物の死骸を見つめながら荒い呼吸を繰り返す。俯いて、軽く口を押える。
……血の匂いが、する。俺の頭の中を焦がすような、甘い香りが。
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