第20話 我が女神

 金髪はその場から起き上がることもせず、胸が苦しいのか心臓の上辺りに手を置いた。幾度も目を瞬かせ、何故かその目は俺を見つめたままなのだが。

「ああ、月から落ちてこられたのですか、我が女神よ」

「は?」

 妙に潤んだ瞳は、深い蒼。改めてよく見てみれば、凄まじいまでのイケメンである。おそらく、世の中の女の子が夢を見てしまうような典型的な『王子様』っぽい風貌というのだろうか。長い睫毛は色が薄く、整った目鼻立ち、笑うと白い歯が煌めきそうな雰囲気。

「ミカエル様……!」

 そこで、我に返ったようなアルトが、感極まったような声を上げる。「お怪我は! お怪我は!」

 アルトという青年はミカエルの傍に跪いたまま、恐ろしい怪我の残滓ともいえる破れた服の隙間から、擦り傷一つない鍛えられた身体に触れた。しかし、それすら気にした様子もなく、ミカエルはうっとりと目を閉じた。

「ああ、私は神の敬虔なる僕、これは神の奇跡。私は今まで、あなたのような美しい女性に会ったことがない。いや、あなたは女神であり、私が触れていい存在ではない。しかしながら」

「ミカエル様、落ち着いて!」


「頭を打ったみたいですね」

 俺はそっと彼らから後ずさり、辺りを見回した。

 すると、うちの魔人もミカエルの言動に困惑したのか、ふと頭上を見上げて肩を竦める。

「こっちの世界にも月がある……っていうか、二つあるよ?」

 うん、果てしなくどうでもいい。

 ここは異世界なんだから、月だって二つや三つあるだろ!

 と思いながら俺も空を見上げると、確かに随分と離れた場所に月らしき白い球体が天に存在していた。

「なあ、アキラ、どうする?」

 そこに、猫獣人が足音も立てずにやってくる。その手には俺が以前プレゼントした蘇生薬の瓶が握られていた。

「うん、それについては嘘をつき通すことにしよう」

 俺たちはそこで今後の話の辻褄が合うように、打ち合わせをしたのだった。


「我々はいわゆる、冒険者というやつでしょうか」

 歩きながら、アルトは俺たちに何があったのか教えてくれた。

 少し接しただけでも、アルトという青年が真面目な人間だということが解る。彼は、俺たちが窮地を救ってくれた恩人だということもあって、とても真剣に応えてくれていた。

「冒険者ということは、一緒に戦っていたはずの人たちもまた……」

 と、俺がアルトの横でそう問いかけると、苦々し気な横顔がそこに生まれた。

「ええ。私とミカエル様は色々な街で、ギルドに登録して仕事をしながら旅をしています。今回は、ユルハという街で今回の依頼を受け、その街の人間と一緒にこの任務を受けたのです」

「馬車の護衛と言ってましたね?」

「ええ。貴族の令嬢の乗る馬車の護衛です。彼女は違う街から、ユルハの貴族に嫁いでくる途中でした」


 なるほど、その護衛の途中で魔物に襲われた、ということか。

 そして、仲間割れが起きた、と。

 この世界、獣人にも厳しいが余所者も生きにくいのかもしれない。


「あなた方の助太刀に、心から感謝しています。その、名のある冒険者であるとお見受けしますが」

 俺が考えに沈んでいると、いつの間にかこちらを観察していたらしいアルトが微笑んでいる。いくら俺だって、それが上辺だけの笑みだってことくらいは気づく。

 余計な詮索をされるのも困るし、俺は彼と同じように笑って応えた。

 小さく、彼にだけ聞こえるような声で。

「むしろ、それはあなた方では? 陛下に謝罪がどうこう言ってましたよね?」


 ちょっとだけ空気が凍る。

 そして、アルトは笑みを消して頷いた。

「それは秘密にしておいてもらえます?」

「はい。その代わり、こちらも話を合わせていただけると嬉しいな、と」

 俺はできるだけ無邪気に見えるように笑い、小首を傾げた。

 やっぱり、金髪はどこかの国の王子なんだろう。身分を隠しての二人旅、とやらなのか。俺の頭でも、それが普通じゃないことだと解る。そして、下手に関わると逃げられなくなるだろうということも。


 そんな会話をこそこそやっている間、噂の当人であるどこかの王子様は、俺に話しかけようとして魔人と猫獣人に邪魔をされていた。こちらもまた、どんな依頼を受けたのかとか、今向かっているユルハという街がどんなところなのかとか、質問攻めにあっている。

 それでも。

「命を助けていただいて、お礼をしなくては気が済まないのです、我が女神よ。あなたほどの美しい女性を目の前にして、あれほどの失態を見せてしまったことについて、どうかこの汚名を晴らすための機会をいただきたく」

 と、必死に俺に話しかけてくる。

 何か……うん。

「初めてだと思うのです、この胸の高鳴りも。こんなにも感情をかき乱されることなど、生まれてから一度も経験したことがなく」

 ……ああ、うん。


「やっぱり、頭を打ったんじゃ」

 と、俺が引きつった笑みのままアルトに耳打ちすると、平然と彼は告げた。

「いつものことです」

 ……ああ、残念。


 俺たちの後ろからは、蘇生薬が効いて生き返った人たちが数人、ついてきていた。彼らもまた、ミカエルと同様に服装はぼろぼろの状態である。これは仕方ないだろう。魔物に――それこそ、身体を引き裂かれて一度は死んだ人間たちなのだから。

 実は、彼らにはこう伝えてある。

 俺たちの秘蔵の高価な治療薬で怪我を治した、と。

 つまり、彼らは死んでいなかったことになっているのだ。


「幻覚を見せるような魔物だった、とでも言っておけばいいじゃん」

 そう言ったのはカオルだ。

 死んだように皆には見えていたけれど、瀕死の重傷だった。しかし、彼らの仲間はその『死体』を置いて逃げたのだ、と伝えた。魔物を目の前にして戦っているミカエルとアルトも、余所者扱いされて見捨てられた……ということになっている。


 ただ、全員が助かったわけじゃなかった。幾人かは時間が経ちすぎたのか、蘇生薬が効かなかった。だから、生き残った彼らは後でその死体を回収にこなくては、と苦しそうに言っていた。それでも、ほとんどの人間がこうして無事に帰ることができるのは、喜ぶべきことだ。

「ギルドの長に言ってやらなきゃならんな」

 生き返った人間の一人、年配のごつい男性がそう言っている。彼の名前はマドッグという。

 顔立ちはいかつくても、その性格は正義感溢れる人間なのだろう。彼らを置いて逃げた連中に対して、明確な怒りをその双眸に灯していた。

「この任務の報酬は、先に行った奴らが山分けにしようとするだろう。だが、仁義に反した行動をとったこと、この責任は問わずにはいられんよ」

「そうだよな」

 その隣を歩く男性も頷く。「いくら幻覚を見ていたとはいえ、一緒に戦う冒険者を見捨てて逃げるとは男の風上にもおけん」

「それに、我々を助けてくれた旅の人たちにも謝礼を出したいしな」

 そこで、マドッグが俺たちに視線を向ける。純粋な感謝の気持ちが向けられると、少しだけこそばゆいような感覚が生まれた。つい、俺が頭を掻きつつ笑うと、さらにマドッグは揶揄うように続けた。

「まあ、こんな可愛い子に助けられたら、そっちの美形の兄ちゃんが惚れるのも解るがな」

「そうです、我が女神よ! 私の剣も、そして命もあなたに捧げると……」


 うるせえから金髪は黙ってろ。


「でも、獣人って……可愛いなあ」

 また別の男性が、カオルを見て頬を緩めている。最初に見た時だけ警戒したように猫獣人を見た彼らも、カオルがおそらく持っている能力を発揮したんだろう、可愛らしく首を傾げるとあっという間に陥落していく様は見事だった。

「可愛いなんて言ってくれると……嬉しいにゃ」

 カオルもノリノリで、尻尾をぶんぶん振りながら愛想を振りまく。獣人に対して厳しいこの世界、無駄に敵は作らない方がいい。カオルもそれが解っているから、幼女パワー全開である。

 以前練習していた、あの技も出した。

「萌え萌えきゅん」

 指で必死にハートのマークを作る猫獣人、明らかにその身体の周りに見えないハートマークを飛ばした気がする。おっさんたちが『堕ちた』音も聞こえた気がするが。

「この子、わたしの大切な嫁候補なので、手を出したら駄目ですよ?」

 と、サクラが小さな猫獣人を背後から抱きしめ、にこりと笑いながら牽制した。

 自由だな、こいつら。


「ということは、彼とお付き合いしているわけではないのですね、我が女神よ」

 いつの間にか俺の背後に立った金髪が、心の底から嬉しそうにそう言うのが解って、ちょっと口元が引きつった。

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