第9話 萌え萌えきゅん

「森だ」

「森だね」

 軋んだ音と共にドアが開き、俺たちの目の前に広がっているのは、鬱蒼とした森の奥。俺たちがその地面の上に歩みを進めると、背後で扉が閉まる音が聞こえてきて、振り返る。

 森の中に存在する巨大な扉は消えることなく、そこにある。近づくと、メッセージウィンドウが開いて『マチルダ・シティに帰りますか?』と問いかけてきた。慌てて『いいえ』を選び、その場を見回した。

 陽が高い時間帯なのだろう、生えている木々が空を覆うように葉を生い茂らせているが、それでも俺たちの足元にも太陽の光が届いている。鳥の鳴き声と、僅かに風が木々の葉を揺らしているのも聞こえた。

「マップには出ないにゃ」

 カオルがそう言って、俺もそれを確認する。マチルダ・シティの扉、というアイコンがマップにあるが、それ以外は何も解らない。ただ、自分が立っている場所には印がつくらしく、赤い丸が小さく光っていた。

「ここにいても仕方ないし、適当に進んでみる?」

 サクラがそう言って、俺は頷いて見せる。そして、ふと思いついたことを訊いてみた。

「お前、三段ジャンプできるって言ってなかったか? そのアバターで、どのくらい飛べる?」

「やってみる」

 サクラは僅かに身を屈め、それから地面を蹴って上へと移動した。その跳躍は闘技場での動きと全く同じで、思わず拍手したくなるほどスタイリッシュ。体重など感じさせない動きを見せた後、あっさりと近くの木の上に到達したらしく、頭上から声が飛んできた。

「遠くに村みたいな集落が見える。でも、あんまり大きい村じゃないね」

「遠くか」

 たとえどんなに遠くても、行くしかない。

 そういえばクエストにもあったし。マチルダ・シティを出て、人間と話そうとかいうやつ。

 遠くだとはいえ、今の俺たちはモンスターアバターなのだ。体力も持久力も桁違いにあるわけだから、そんなに時間はかからないだろう。

 そして事実、走り始めたら――凄かった。


 魔人アバターのサクラはもとより、猫獣人アバターのカオルの動きは獣が走るような感じ。

 で、吸血鬼アバターの俺はといえば、色々な必殺技をつけているわけだ。その中の一つ、短距離の瞬間移動は本当に便利だった。ただ、その技を発動すると魔力を消費する。魔力は時間経過で元に戻るが、完全復活までは時間がかかる。それでも、魔力回復薬はたくさん持っているから気にしないで使えるというのがありがたい。

 さらに、魔力消費量が激しいけれど、一時的に肉体を蝙蝠に変身させて飛ぶこともできる。ただしこれは、通常なら飛び越えられないような場所で使おう。無駄に使いたくない。


 っていうか。

 闘技場のフロアは狭かったから、こんなに自由に走り回ることはできなかった。だからこそ、もの凄くこの移動は楽しかった。ゲームをやっているときのワクワク感を思い出す。


 そうして気が付けば、目の前に石の塀に囲まれた小さな村があった。

 そんなに時間はかからなかったが、マップ上で確認すると、マチルダ・シティの扉から結構離れた場所にあるようだ。

 森を抜けて急に明るいところに来たからだろうか、俺は思わず目を瞬かせた。この世界の太陽の光が強すぎるのか、妙に目の前がぎらついて見える。思わず俺は目の辺りが陰になるよう、右手で太陽の光を遮った。

 そして僅かな違和感を覚えて首を傾げる。

 少しだけ、身体が重い。


「なあ、アキラ」

 俺が耳を澄まし、辺りの気配を窺っているとカオルが困惑したように口を開く。

「ん?」

「やっぱりこの世界、お腹が空くのな」

「アイテムボックスの中の料理、出そうか?」

「いや、そうじゃなくて。まあ、そうでもあるんだけど」

 カオルはそこで俺の前に立って、下から俺の顔を見上げた。そして、その目を細めて見せた。

「もしかして吸血鬼アバターって太陽の光が苦手? 映画とかみたいに灰になったりはしないのは、今、解ったけどさ。顔色はさっきより白いぞ? もしかしてだけど、マチルダ・シティの外に出たら色々制限がかかるんじゃないのか? お腹が空いたり、動きがアバターの属性に制限されたり」

 それを聞いて、そういうことか、と納得した。

 身体が急に重く感じたのは、見事に太陽の光を浴びているせいなのか、と。森の中は日陰だったから、楽に動けたのかもしれない。

 ってことは、夜になったらもっと素早く動ける?

 確認すべきだな、と心に留めておく。

 そして、目の前にいる猫獣人の頭を意味もなくモフる。癖になりそうな耳の柔らかさである。撫でられるとカオルも気持ちがいいのか、猫のように喉がゴロゴロ鳴った。

 マジ、猫獣人は尊い。一家に一匹必要じゃないだろうか。

 そんなことを考えながらも、俺は続けた。

「ヒカルの言うとおり、確かに陽の光で死んだりはしないみたいだけど、動きは鈍くなるっぽい。間違いなく俺、夜行性らしいな」

「動きで言うなら、お兄ちゃんがこの三人の中では一番有利だと思うけど、そういう意味で制限がかかるのは厄介だね」

 サクラが俺の言葉を聞いて苦笑し、俺も似たような笑みを返した。

「夜なら任せろ、って感じだ」

 ただし今は、何があるか解らないし大人しくしておいた方がいい。

 そう考えながら自分の手を見下ろすと、確かに白すぎる肌が目立っていた。


「とにかく、村の中に入ろう」

 サクラがそう俺たちの顔を見回してから、ふとその視線をカオルにとめたまま首を傾げた。「情報が少なすぎるから何とも言えないけど、カオル君は見事に人間じゃないっていうアバターだよね? この世界の人間が敵対関係にあるかもしれないから、できるだけ大人しくしてて。お兄ちゃんも見た目は人間っぽいけど、目の色が人間離れしてるし……一番人間らしいわたしが会話担当でいいかな」

「おう、頼むわ」

「任せたにゃ」

 カオルが可愛らしく敬礼するのを見て、サクラの目尻がふにゃりと下がる。しかしすぐに俺にその視線は向けられ、鋭く吊り上がった。

「それとお兄ちゃんは、もっと女の子らしい仕草を心がけるべき。カオル君は『にゃ』って言っていれば可愛いから大丈夫だけど」

「おい」

「わたしも男らしい口調を目指すから、お兄ちゃんも練習!」

「何の練習だよ」

「上目づかいでわたしのこと『お兄様』って言ってみて」

 却下であーる!

「そしてカオル君にはお願い。こう、可愛らしいポーズを取りながら『萌え萌えきゅん』って言ってみて」

「萌え萌えきゅん」

 言うなよ。

 どこかのメイド喫茶のようなポーズを彷彿とさせるカオルを見て、俺は深いため息と共に頭を抱えた。


「すまない、ここは何ていう村だろうか」

 サクラが俺たちの前に立ち、村の入り口辺りにいた人間に声をかけている。石造りの塀はそれほど立派な造りではなく、村には門というものもなかった。誰でも通ることもできる道が村の中を突き抜けていて、その道路上には明らかに旅人らしい姿もあった。

 その中で、村の人間らしい質素な服に身を包んだ若い男性にサクラが話しかけると、彼は「ここはアルミラだよ」と笑顔で応えてくれている。

 アルミラというのが村の名前か、と考えていると、俺が開いたマップにもその名前が浮かび上がった。そして、地図上に村の形が描かれていく。

 なるほど、知識として得たらマップに追加されていくシステムなのか。

「あんたたちは……行商人には見えないけど」

 と、その男性がサクラの背後にいる俺たちに目をやって、明らかに警戒した顔で後ずさった。「連れは獣人だな? まさか、村を襲おうってわけじゃないよな?」

「違う違う、わたしたちは敵じゃない」

 サクラが慌てて手を上げ、笑顔を作る。そして、サクラの必殺技が出た気配が伝わってきた。空気が震え、耳鳴りに似た音が響く。

 魔人アバター、イケメンの特技とも言える、『魅了』である。

 相手が女性であれば百発百中、魅了攻撃を受けた女性はイケメンに見惚れて動けなくなるという、ある意味最悪な技である。

 イケメン死すべし。

 それに、男性相手にも効果は弱まるとはいえ、確かに手ごたえのある反応となって返ってきた。

「敵じゃ……ないのか」

 その男性は少しだけ困惑したようにサクラを見つめた後、何故か頬を染めた。

 これが噂のびーえるとかいうやつなんだろう。俺は思わず後ずさり、関わらないことに決めた。まあ、この魔人の中は女なんだから別に問題はないだろう。肉体的には問題はあっても、きっと大丈夫。

 ……多分。


「我々は魔物退治の旅に出ていてね。ただ、どこにいったら魔物が出るのかとか、そもそも、魔物が出て困っている村があるのかとか、解らないことばかりで」

 サクラはその若者に作り話の説明をしているが、やっぱり手探り状態なので歯切れが悪いのが伝わってくる。一瞬だけ、男性の目にも疑惑の色が浮かんだものの、またサクラが『魅了』を使ったようで、その緊張感が消え失せた。

「そういうことなら村長さんなら色々知ってると思う。でも、説明してくれるかどうかは解らないな」

「その村長さんの家に案内はしてもらえる?」

「いいよ。ただし、そっちの獣人は……本当に悪さはしない?」

「しないよ」

「しないにゃ!」

 カオルも両手を胸の前で組んで、可愛らしく小首を傾げつつのお願いポーズを見せる。これもまた、メイド喫茶みたいなノリ。そうしたら、男性は完全に『落ちた』ようだ。

「獣人っての実物は初めて見たけど、可愛いなあ」

 目尻を完全に下げた彼はそう言った後、俺たちを村の中心にある家に案内してくれた。

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