第8話 薬屋のアイテム

 現実逃避したい、と俺は自分のホームに飛んでから考える。

 サクラもカオルも、一度自分のホームの確認をしてくると言ってこの場にはいない。

 とりあえず、意識を切り替えなければ。

 壁一面の本棚、巨大な望遠鏡、地球儀、触れても消えはしない。これが現実のように見える以上、やれることはやっておこう。後悔だけはしたくない。


 俺はそのまま、扉を開けて外に出る。花壇と畑のある場所に歩いていくと、収穫可能な植物が大量に地面を覆いつくしていた。


 元々、マチルダ・シティ・オンラインに登録すると、ホームに連動したミニゲームがついてくる。

 花壇に花を植えて放置して、時間経過で咲くから収穫して売却し、コインを獲得する。

 畑には野菜を植えて放置、これも時間経過で収穫して、それを使って自分のレストランで料理を作る。料理はテーブルに並べておくと、これも時間経過で勝手に売れていく。この一連の流れを繰り返していけば新しい料理のレシピを覚えるという、単純なレストランゲーム。

 俺は畑にあった野菜と薬草を回収しつつ、それをじっと見つめた。近くに生えている木は、林檎や桃、レモンなども実っている。それらのどれもが、本物と見分けがつかないほど瑞々しい。

 つい、興味を惹かれて林檎に手を伸ばし、一口齧ってみた。

 ほんのりと酸味があるものの、蜜がたっぷりで甘くて美味い。

 そして思うのだ。


 ――この世界では、腹は空くんだろうか。餓死という概念はあるんだろうか。


 ということは、レストランで作った料理も、アイテムボックスにためておいた方がいいのか?

 悩むより産むがなんとやら、である。俺は実っている果物を全部もぎとり、アイテムボックスの中に放り込んでいく。アイテムボックスに入る上限はないから、どれだけ入れても大丈夫だ。

 採れた野菜で料理を作り、テーブルに並べる代わりにこれもアイテムボックスへ。アイテムボックスの中は時間が多分……止まっているはずだから、料理も温かいまま保存できるはずだ。

 さらに、念のため料理を作らず、野菜もそのまま収納。ジャガイモとかだったら、いざとなったら投げれば武器になる、かもしれない。この世界の魔物が弱ければ、だが。


 そして、俺の今の一番の目的は薬草。最近は野菜より、薬草メインに作っている。


 無料で誰でも持てるレストランと違って、ガチャ券や有料コインを消費してゲットできるのが、他の種類。店の種類はいくつかあったが、俺は薬屋の店舗をガチャ券で手に入れた。これは当たりだったと思う。

 薬草の種は無料コインで買い、畑で育て、収穫したら合成して色々な薬にする。それでできた薬の何種類かは、闘技場で使えたりするからユーザーもたまに俺の店を覗きに来て、買っていくのを見かけた。

 ホームの庭、畑の隣にレストランと薬屋の建物があるが、俺は外観に気を使わないのでデフォルトのままの簡素な形状のままだ。これも有料コインを使えばもっと格好いいものに変えられるのだが、人間も建物も、重要なのは中身である。

 料理と薬がそろっていれば何でもいいのだ。


「ただいまにゃ!」

 俺が薬屋の店舗に入って、薬草を片っ端から合成処理していると、店のドアが開いてお気楽な声が響く。

 もう突っ込まない。そうだ、思いとどまれ俺。

 心の目で見てみれば、中身がどうあれ、猫獣人はとても可愛い。にゃ、と言っても問題はないのだ。

 ……多分。


「俺、アキラんとこの薬局、いや、薬屋か? ……はほとんど見てなかったけど、どんな薬があんの?」

 カオルは興味津々で狭い店内を見回したが、すぐに椅子に座って、床につかない足をぶらぶらさせた。

 店の中は本当に小さい。古ぼけた木の壁、木の床。ドアを開けたらテーブルが一つ、椅子が二つ。お客さんのユーザーが二人入ってきたら、それだけで満員御礼である。

 カウンターの上には調剤器具らしきものが並んでいるが、これは店の雰囲気を出すインテリアであり、実際に使ったことがない。

 カウンターの後ろに棚があり、お洒落なガラス瓶に入った薬が並んでいた。

 ゲームの都合なんだろう、棚は六つしかないし、ガラス瓶も六つしか置いていないというのに、全種類百本までならそこに置けるという異空間だった。


 だから、今並んでいるのはこんな感じだ。

 体力回復薬(大)が百本。

 魔力回復薬(大)が百本。

 蘇生薬が百本。

 痺れ薬(効果六十秒)が百本。

 ここまでが闘技場で使えるアイテムなので、うちの薬屋の売れ筋である。そして、高価。ちなみに、(大)があるからには(中)と(小)もある。これは売値が安めなので、店舗には並べずアイテムボックスの中の肥やしと化していた。


 そして、その他の棚を埋めるのは。

 風邪薬、痛み止め、整腸剤、睡眠薬と、よくある種類のラインナップを適当に。これは初心者でも作れる平凡なやつだが、売値は安いし大量にありすぎて困ってるやつ。

 でも、こういった薬を作れば作るほど、経験値が上がって新しい薬のレシピをゲットできるのだ。千里の道も一歩から。ローマは一日にして成らず。


 それに、まだ素材が集まらなくて作れないレシピも色々あって。

 その中には必殺技威力倍とか、無敵時間継続とか、これも闘技場で戦う時に使えそうなものがあるのだ。何とか素材を育てたいが、畑のレベルが足らずにまだそこまで至っていない。


 でも多分、これらの薬はこの世界――俺たちが迷い込んでしまったこの世界でも、使えるはずだ。だから、俺はカオルに薬の説明を一通りした後、こう提案した。


「薬は俺が全部持っていくから、別にわざわざ買わなくてもいいだろう。とりあえず、めぼしいのは後でプレゼントボックスに送るから」

 と言いつつ、俺は人気の四種類の薬を、アイコンボタンを操作してカオルにプレゼントすることにした。とりあえず、一本ずつ四種類。

 仕方ないから、サクラにも送っておこう。何があるか解らないし。それにこれ、課金アイテムじゃないからタダで配るのに抵抗が全くない。

 でも、これで八個のアイテムが俺から発送されたわけだが。


 実はこのマチルダ・シティ・オンライン、プレゼントとかトレードで以前詐欺トラブルがあったようで、一日にプレゼントできる数が相手人数関係なしに十個までと決まっている。だから、考えなしにあれもこれも送る、ということができない。

 でも、毎日やっていればそこそこプレゼントできるだろうし――。


「無料コイン溜まってるから買うよ。アイテムはたくさん持ってないと不安になる質だし」

 しかし、カオルはそう言って首を横に振り、苦笑しながら画面操作をしたらしい。ちゃりんちゃりん、とコインが鳴る音が店内に響き、棚の中にある薬の在庫が減ったのが解った。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 そこへ、イケメン魔人がドアを開けて入ってくる。背の高い男がいると、途端に店内は狭く感じた。

 サクラは僅かに嬉しそうに唇を緩めたまま、アイテムボックスから突然出したのであろう黒いマントを肩の上から羽織った。

「さっきガチャ回したらゲットした! 移動速度アップ効果付きマント! 激レア!」

「おお」

 その場でくるりとターンしたサクラだったが、店が狭すぎて猫獣人にマントが引っかかっている。でも、カオルはガチャと聞いて目を輝かせていて、マントが頭に引っかかっているのに気にも留めない。

「そういやここ、ログインボーナスも普通にもらえるのな。俺もそろそろSレア以上確定ガチャ券がもらえるはず。ゲン担ぎで、アキラに握手してもらってから回すわ」

 そう言いながら、そわそわと身体を揺らしている。


「とりあえず、外の世界とやらを覗いてみようぜ。ヤバそうだったらすぐに帰ってこよう」

 俺はカオルの頭からマントを払うと、そう提案してアイコン操作をする。

 マップには、以前のゲームとは違って新しいフロアができている。その中に、初めの森への扉、と文字が並んだドアアイコンがあった。

「了解」

 サクラがそう頷き、カオルも手を上げてアイコンをタップしたらしい。

 一瞬の後、俺たちの前には巨大すぎる木のドアがそびえ立っていて、メッセージウィンドウも開いていた。


『初めの森へ移動しますか?』


 俺たちは『はい』を選んだ。

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