第28話

 まだ発散できないのか、孝寿は無言で玄関前の狭い廊下の壁をガンガン蹴っている。


 孝寿は子供扱いされるのを嫌がるのに、ガキって連呼されたのがよほど苛立ったのかしら……。


「孝寿、壁壊れちゃうよ。ここ、家賃安いんだから多分壁薄いよ」


「杏紗ちゃん、あんな奴と結婚したかったの? ……俺との約束は守る気ないのに」


「え? 孝寿のこと好きになるとか都合のいいやつ?」


「もっと前。俺と結婚するって約束」


 ガキって言われて荒れてる訳じゃなかったんだ。


 ……そんな約束、とっくにマルっと忘れてたからなあ……。


「……結婚は、したかったけど。今は私、本当に結婚が第一じゃないの」


「直が第一なんだ」


「……うん、そうだよ」


「なんだ。新たな男が出てきて警戒したけど、やっぱり直だけなんじゃん」


「え?」


「直さえ、クリアすれば杏紗ちゃんが俺を選ぶのは変わらない」


「……え?」


 直くんをクリアするって、どういう状況? クリアって何? 何のゲーム?


 あ、ゲームじゃないけど、孝寿ならミッションクリアしてくれそうかも。


「あの人、うちの本キー持ってるの。本キー返してもらってくれない? 何度言っても返してくれないの。勝手に鍵開けて入って来るのも嫌だし、退去の時に困っちゃうから」


「杏紗ちゃんに勝手に引越しさせないためかな。いいけど、俺を都合良く使おうっての? 報酬は?」


「……え……考え中」


「じゃあ俺も、どうするか考えるだけね」


「え? どうしたら良さそうか思い付いてるの?」


「176通りの作戦を思い付いた」


「嘘っぽいー……」


「俺にできないと思う?」


 孝寿が自信満々な顔で私を見ている。


「孝寿ならできるかなーと思って頼んだんだけど」


 ちょっと驚いた顔をして、めっちゃ笑った。かわいいな、おい。


「俺のことは信用してるんだ。直のことは信用してないのに」


「え、そんなことないよ。直くんが今いないから」


 直くんのことだって、女絡み以外は十分信用している。


「ふーん。じゃあ、やっぱり直だな」


 何か考えてる……。孝寿は孝寿で、何考えてるのか読めないんだよなあ。


 ピンポーンと、チャイムが鳴った。


「え……拓人かな」


「あのお兄さんは鍵持ってるんでしょ」


「あ、そうだった」


 ドアを開ける。


「え?!」


 ドアの向こうに、あの女子高生が不機嫌そうな顔で立っていた。


 日曜日なのに、わざわざ制服を着て、大きなボストンバッグを持っている。


 え?! ストーカーが乗り込んで来た! ヤバい! 殺される?!


 壁際にへばりつき距離を取ってから思った。しまった! ドアを閉めて鍵を掛けるべきだった! とっさに逃げてしまった。


「何ぼーっと突っ立ってんだよ。早く入れよ」


 孝寿が冷たく言う。女子高生は、孝寿の顔を見て無言で玄関に入って来た。


 ……え? なんで? 招き入れるの?


 無言で玄関に入った女子高生に、


「お邪魔しますは? ご挨拶もできねーの、お前」


 と、孝寿が言っている。


 孝寿をひと睨みして、うつむいて


「お邪魔します」


 と、女子高生が無愛想に言う。


「ちゃんとお姉さんの顔見てー」


 女子高生が思いっきり私を睨みつけて


「お邪魔します」


 と、言った。怖! この子やっぱり怖い!


「ど……どうぞ……」


 どうぞ、じゃない! 私がどうぞ、なんて言ったらこの子が家に上がって来ちゃうじゃない! 怖くて思わずどうぞ、って言っちゃった!


 女子高生は私を睨んだまま靴を脱ぎ、狭い廊下をまっすぐに歩く。


「おら、トロトロ歩いてんじゃねーよ。後ろがつかえてんだよ」


 女子高生の足をちょんちょんと足で孝寿がつつく。女子高生はさっさと歩き出した。


 ……え? あの子、孝寿の言うことに従順に従うの?


 ……孝寿、あの子に何かした?


「杏紗ちゃん座って。お前はそこに立っとけ」


 言われるまま、ソファに座る。孝寿が隣に座り、2人掛けのソファは満員になる。女子高生も言われた通り素直に立っている。


「はい、自己紹介をお願いします」


 孝寿が女子高生を指差す。


「……嵯峨根さがね 瑚子ここ


「へー、瑚子ここって言うんだ。かわいいー」


 褒めたのに、めっちゃ睨んでくる。会話成立するの?! これ。


「ほら、かわいいって言われたんだから、お礼はー? 瑚子ちゃんー」


「……ありがとうございます」


「よくできましたー。杏紗ちゃんも自己紹介してー」


「あ、真中まなか 杏紗あずさです」


「知ってるわよ、ババア」


 うわ! 口悪!!


「おい、勝手にしゃべってんじゃねーよ、嵯峨根。ごめんなさいしよーかー」


「……ごめんなさい」


 ……どういう関係なの? この子達。


「えと……瑚子ちゃん? 孝寿とはどういう……」


「瑚子ちゃんとか気持ち悪い呼び方してんじゃねーよ」


 怖い! 言葉を発せられないんだけど!


「お前、瑚子ちゃんだろーが。文句あんのかよ。文句なら名付けた人間に言えよ」


 孝寿も怖いんだけど!


「瑚子ちゃんです」


「だよな」


「どういう関係なの? あんた達!」


「ただの先輩後輩だよ?」


 何わざわざ聞いてるの? って感じできょとん顔で孝寿が答える。


「……ただの?」


「ただの」


 孝寿が大きくうなずく。瑚子ちゃんを見ると、壊れた人形のように無表情で首を上下に振っている。


「……そうなんだ。あの……何しに来たの?」


「須藤さんに会いに来たに決まってるじゃん。泉先輩が会わせてくれるって言うから。じゃなきゃこんな汚ねぇマンションなんか来ねーよ」


「孝寿が?!」


 孝寿を見ると、余裕の笑みを見せている。


「須藤さんは?」


「今は仕事だけど」


 瑚子ちゃんが孝寿を睨む。


「また騙したの?! 一昨日といい昨日といい今日といい、何なんだよ!」


 孝寿、一昨日から瑚子ちゃんに接触してたの?!


「こんなにすーぐ騙されるなんて、俺、嵯峨根のこと心配だわー」


「帰る!」


「いいの? 直はここに帰って来るんだぜ」


「帰らない!」


「いい子だなー、瑚子ちゃんー」


 ……ただの先輩後輩? 以上の上下関係を感じるんだけど……。

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