テーブルの上に並んだたくさんの飲み物の問題

安茂里茂

テーブルの上の飲み物たち


「こちらゴールデンキウイジュースになります」


 バイトの女の子から商品を受け取り、カウンターの端の席に座る。

 デパートの地下にあるフルーツジュース専門店に私はいる。四十過ぎのおじさんは少し場違いな気もするが、十数年前からあるお店と言う事でお店にいる客の平均年齢が少し高いおかげで、そこまで居心地は悪くない。

 透明のグラスに注がれた金色のジュースをテーブルの上に置き、カバンを開ける。そのカバンから本を取り出し読もうとした時、手が滑って本を床に落としてしまった。それを拾おうとすると、別の手がその本を拾ってくれた。


「はい、どうぞ」

「あ、どうも、ありがとう」


 拾ってくれたのは、二十歳くらいの顔立ちの整った青年であった。


「隣、いいですか?」

「ええ、どうぞ」


 彼も一人客らしく、連れはいないようだった。


「……よくこちらには来られてるんですか?」

「ええ。もうかれこれ十数年の常連ですね」

「そうなんですね」


 隣に座った彼はごく自然な感じで私に話しかけてきた。


「甘いものがお好きなんですね」

「ええ。年を取れば味の好みも変わるのかと思ったんだけど、この年になっても相変わらずなんだよ」

「私の父も甘いものには目がないですから、そんなに珍しいことではないと思いますよ」

「君は大学生とかなのかな?今ちょうど夏休みの時期だし、旅行とかかい?」

 

 私は青年の少し大きなリュックサックを見てそう尋ねた。


「ええ、まあ旅行のようなものですね。あてもなくいろんな所を旅しているんです」

「そうかい。いいね。私も若いときにそういうのをやってみたかったよ。海外とかにも行ったことあるのかい?」

「ええ、一応」

「旅の目的はなんだい?食べ物とか観光地巡りとかかい?それとも自分探しの旅とかかな?」

「その地の観光地に行ったり有名な食べ物を食べるのも目的の一つではありますね。ただそれ以上に色々な人の話を聞くのが目的だったりしますね」

「話を聞く?」

「ええ。特にその人が遭遇した不思議な話を聞くことですね」

「不思議な話……」

「はい。例えば、喫茶店で大量の砂糖を入れる女性三人の話とか、毎週土曜日に現れる五十円玉二十枚を千円札に両替しに現れる男の話とかですね」

「……確かに不思議な話だね。……もしかしてそういった謎を解き明かしたりするのかい?」

「別にそういうわけでは。まあ、なぜだろう、と考えることはするかもしれませんけどね。真相がどうであれそういった謎を考えるのは好きなんです」

「なるほど。それにしても不思議な話か……うーん……あ」

「何かありますか?」

「ええ。ちょうどこの店で不思議な出来事に出会った事があるんだよ」


 私は少し昔を振り返る。

 たしかあれは私が三十歳くらいの時の話だ。週一くらいのペースで店に通っていた私は、いつも通り飲み物を頼み、カウンターの席に座った。

 そこから数分経った頃、三十手前くらいの女性が店に入って来た。

 女性はカウンターで少しの間メニューを見たのち、ゆっくりと口を開く。


「アップルジュース、グレープジュース、パイナップルジュース、ストロベリージュース………」


 と注文し始めた。


「あ、あのーお客様?一度に注文されずとも、飲み終えた後に再びご注文されても大丈夫ですよ」


 一度に十個くらいの飲み物を注文した女性に対し、カウンターにいるバイトの女の子は戸惑っているようだった。見るからに一人客のようだし、そもそも十人もの客が一同に座れるスペースもないから、友達の分、という訳でもなさそうだ。

 テイクアウトができるわけでもないから、ここで全部飲まなくてはいけない。

 そう考えた私も思わずカウンターの方を見てしまった。


「いえ、大丈夫です。きちんとすべて飲むので」

「か、かしこまりました」


 受付の子はそれ以上何も言わず、オーダー通りに飲み物を準備しはじめた。

 数分後、女性はお盆にたくさんの飲み物を乗せ席につく。

 テーブルの上には色とりどりなジュースが並んでいる。女性はそれをしばらくじっと眺めたのち、一つずつコップを手に取り飲み始めた。

 時間はかかりつつも、すべての飲み物を飲み終えた女性はそのまま席を立ち、店を出ていった。


 それから数週間後。

 私が店に入るとその女性はすでに席についていた。テーブルの上にはこの間と同様に十杯ほどのジュースが置いてあった。


「ねえ、あの女性は最近よく来てるのかい?」


 すっかり顔見知りになっているカウンターの子にそう話しかけた。もちろん女性には聞こえないくらいのボリュームで。


「はい、そうみたいです。週に一回来られてますね」

「毎回あんなに大量に頼むのかい?」

「はい。そうなんです。毎回残さず飲み切ってるので、まあいいんですけど、ぬるくなるので再注文されたほうが良いですよ、とは言ってるんですけど、毎回一度にあれだけの量を頼まれるんですよ」

「へー……毎回同じメニューなの?」

「いえ、毎回少しずつ違うみたいですよ。私も毎回応対している訳じゃないので分からないですけど、ちょっとずつ違うみたいです」

「ふーん……」


 それからもちょくちょくと私はその女性を見かけた。気にはなったなっていたが、誰もその女性に理由を問いかけることはなかった。





「……なるほど。一度に大量の飲み物を頼む女性ですか。その女性は最近も来てるんですか?」

「いや、一年程通ってたみたいだけど、それ以降は一度も来てないみたいだよ」

「確かに少し不思議な話ですね。のどが渇いてたくさんの飲み物を飲みたかったにしても、十杯も一度に頼む必要はないですよね」

「そうだね。一杯じゃ足りないのはまあ分からなくはないけど、二、三杯で充分だと思うし、それでも足りなければもう一度注文しなおせばいいんだよね」

「そうですね。全部飲むのに時間もかかっていたんですよね?だとするなら飲み物もぬるくなってしまいますね」

「そうだね。残り五杯くらいの時点で氷が融けてぬるくなっていたと思うよ」

「それでも最初の注文で全部頼んでいたんですね。店員さんに言われても」

「そうだね。一年間通してそのスタイルは変わらなかったみたいだよ」

「お店にくる時間帯とか曜日は決まっていたんですか?」

「いや、バラバラだったらしい。週に一度は必ず来ていたみたいだけど、時間も曜日も定まってはいなかったらしいよ」

「となると、休みが不規則な仕事でもされていたんですかね」

「そうかもしれないね」


 そこまで聞き終えると、青年は少し何かを考えるように黙った。


「……推理してるのかい?」

「いえ、そんな推理なんて大層なものではないですよ。まあ、自分なりに考えているだけで。あなたはどうですか?実際のその女性を見ている訳ですし、情報は多いですよ」

「そうだねぇ……まあじっくり見るわけにはいかなかったから……」

「なぜ、一度にたくさんのジュースを頼むのか、その理由思いつきますか?」

「うーん……ここのジュースが好きだったから、ではないのかな」

「そうですね。好きじゃなかったら十杯も飲めないでしょう。いえ、もしかしたら苦手を克服するための訓練という可能性もあるかもしれませんが、それはどうですか?」

「飲む前は真剣な様子でグラスを眺めていたような気もするけど、飲んでいる時はいたって普通に味わって飲んでたと思うよ」

「このお店のジュースが好きと言う理由はもちろん考えられますね。ただ、それだけだと一度にたくさんのジュースを頼む理由が分からないですね」

「そうだね……まあ、何度も注文したくない、とかかな。人とあんまり会話をしたくない……とか」

「そういう考えもできますね。ただ、人とあまり関わりたくない人がそんな奇妙な注文を、しかも一年間通して行うのかが疑問ではありますね」

「そうだね」

「では、このお店以外のお店でも似たような話は聞いたことはありますか?」

「……私はないね。まあ当時働いていたスタッフも、他の店のスタッフからそういう話を聞いたことはないと言っていたね」

「では、その女性はこのお店でたくさんのジュースを一度に頼みたかったということでしょうか」

「そうだねぇ……同じフロアにジュースを売ってあるお店はあるけど、種類の数ならここが一番かなぁ……」

「飲み物の数だけでいけば、二つとなりにある喫茶店の方が多いですよね」

「コーヒーだけでかなりの種類があるからね。でもあの人が飲みたかったのはジュースだったんだろう。……うん、依然として一度にたくさん注文する理由は分からないね」

「一杯ずつ頼みなおすんじゃなく、一度に全部頼まなくてはいけない理由ですね。二つの違いは何ですかね」

「カウンターに何回も行かなくていいとか。でも別に足を怪我してたとかそういう訳じゃなさそうだったね。……となると、テーブルの上をジュースで埋め尽くしたかったとか?……いや、そんなわけないか」

「そうですか?理由としては面白いじゃないですか。それで、テーブルの上をジュースで埋め尽くしたい理由は何だと思いますか」

「それは……その……テーブルの上が埋め尽くされてないと不安になるとか……いや、どうだろう」

「世の中にはいろんな人がいますからね。高所恐怖症みたいな感じで、余白恐怖症なんていうのもあるかもしれませんよ」

「ただ、それならグラスで埋めるんじゃなくて他の料理を頼んだ方がいいよね」

「それはそうですね。サイドメニューのフルーツケーキやフルーツパフェを頼んだ方が面積は広くとれますね」

「となると……あれかな、数を多くすることで誤魔化すみたいな」

「誤魔化すですか?」

「うん。ほら、グラスを一つこっそり持って帰るためにわざとたくさん頼んだ、って考えたんだけど」

「なるほど。一つ一つ頼んだらグラスが無くなっていることがばれてしまいますけど、十個近くあれば一つくらい無くなっていてもばれないっていうことですね。ちなみにこの店のグラスは何か特別なものなのでしょうか」

「いや、そんなことはなかったと思うよ。わざわざたくさんのジュースを飲んでまで手に入れる必要はないんじゃないのかな。……あ、逆もあるか。グラスを付け足すのを誤魔化すために一度にたくさん頼むとか。いや、理由は全然分からないけど」

「面白い考えだと思いますよ。木を隠すなら森の中、っていう考えですね。ただ、わざわざ注目を集めるような頼み方を一年近く続ける必要があるかどうかですよね。グラスの個数が合わないとなった時に、真っ先に疑われてしまうような気もします」

「そうだね。もしグラスを盗むにしろ、新しく付け足すにしろ、忙しい時間帯を狙えば一回でいいような気がするね。わざわざ一年近く通う必要はないかな」


 ジュースを一口飲み、私は少し考え込む。あの女性はなぜ一度に大量のジュースを注文する必要があったのか。

 答えがあるかどうかも分からない謎にここまで考えるとは思っていなかった。これも隣にいる青年のおかげだろうか。


「うん、やっぱりわからないね。……それで、君は何か推理してるのかい?」

「推理とまではいきませんが、少し思いついたことなら」

「聞かせてくれるかい?」

「はい。一度にたくさんのジュースを頼むことで、テーブルの上に注文したジュースが並びますよね」

「そうだね。飲み終わってから次の飲み物を頼むのであれば、飲み終わった回収されるだろうからね。それが?」

「テーブルの上に注文した飲み物がたくさん並ぶことこそがあの女性がやりたかったことかもしれない、と考えました」

「……?」

「色とりどりの飲み物がテーブルの上に並んでたんですよね?その女性が見たかったのはその景色じゃないかと思ったんですよ」

「もしかして、カラフルなジュースがたくさんあるこの店じゃなきゃいけないということかな?」

「そう考えています。透明なグラスで、かつカラフルなジュースが置いてある、と言う観点からこの店を選んだのではないかと思うんです」

「色が重要だということだね?つまりあれかな、あの女性は色彩トレーニングをしてたとかそういうことかい?」

「まあ、そのような感じですね。私が考えたのは、その女性は色が分からない、もしくは色の識別がしにくかった……のではないかと」

「色が分からなかった……」


 テーブルの上に並んだ、飲み物をじっと見つめていた女性の姿を思い出した。あれにはそういう意味があったのだろうか。


「もちろん、その女性がジュースが好き、っていうのもあるとは思います。色の確認はジュースを飲むことでできますからね」

「赤、黄色、とか分かりやすい色から、飲み物によっては細かな違いが分からないと判別できないものもあるから、案外トレーニングとしていいのかもしれないね。あの女性がこの店に来なくなったのは、仕事か何かの関係で引っ越したからかな」

「そうですね。また別の場所で同じような注文をしているかもしれません」

「そうかもしれないね……」

 

 もちろん答えがどうだったか分からないし、確かめる手立てもないけれど、青年の言葉には不思議と説得力があり、不思議とこれが解答なんだと思った。


「……では、そろそろ失礼しますね。話に付き合っていただきありがとうございました」

「ああ、こちらこそ。どこに行くのか決まっているのかい?」


 見れば青年の前に置かれたグラスは空になっていた。青年は少し大きなリュックを背負う。


「そうですね……今度は自然の豊富な山とかにいこうかな、と思っています」

「そうかい。……気を付けて」

「ありがとうございます。ではまた」


 そう言って青年は離れていった。



「ねえ、今の誰?知り合い?」

「ん?ああ、お前か」


 私に話しかけてきたのはこの店の店長でもある私の妻だった。

 十年前はただのアルバイトだった妻は大学卒業後もこの店で働き、今では店のトップになっている。


「ずいぶんと若いイケメンと話してたけど、知り合いなの?」

「いや、今日初めて会った人だよ」

「そうなの?にしては話が弾んでいたように見えたけど」

「そうかもしれないな。ほら、覚えてるか?昔一度にたくさんの飲み物を注する女性がいたの」

「……ああ、そういえばそんな人もいたっけ。それが?」

「いや、なんでそんな変な注文をしてたのかその理由について考えてたんだよ」

「なんでだったの?」

「それはね……」


 私は妻に簡単に話しつつ、青年が歩いていった方をちらりと見る。

 しかし、人込みの中から彼の姿を見つけることは出来なかった。



(終)






 




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