第207話 ですから、怒ってませんのよ?

 ドラゴンは強い生命力を持ち、何者にも負けない力を有する種である。 

 

 その竜の一種である毒鳥竜コカドリユは猛毒と爆炎を身に宿し、王者を意味する異名バジレウスの名でも呼ばれる。

 食物連鎖の頂点に立つ存在として、生まれ出でてから、幾年月が過ぎたかも分からない日々を過ごしたコカドリユの雄ウーロは今まで持ったことのない初めての感情――恐れを認めざるを得なかった。

 そして、幼き頃に聞いた昔話を思い出す。

 決して、忘れてはならない戒めの物語だ。


 かつて、精強を誇ったコカドリユの一族だが元々、繁殖力が低く、個人主義であったことが災いし、その数を減らしていった。

 発端は取るに足らない出来事だった。

 ほんの気紛れにより、自分達よりも遥かに弱い存在である人間の争いに介入したことが原因だったのだ。


 コカドリユは毒性の強さゆえ、疎まれる存在だったが決して、好戦的な種という訳ではない。

 むしろ、その性質は穏健そのもの。

 隔離された土地と互いに干渉しあわないことを条件にすれば、人類の敵となる存在ではなかったのだ。


 ところがここで人間にとってもコカドリユにとっても誤算と言うべき悲劇が起きてしまう。

 黒騎士と呼ばれた神々の指導者たる王を過激派のコカドリユが襲撃したのだ。

 幸いなことに剛勇を持って知られる王は何ら、傷を負うことはなかった。

 そればかりか、寛大にもコカドリユの責を追求すらしなかったのだ。

 ただ、例外があった。

 その妻である氷の魔女である。

 彼女の怒りは凄まじく、その影響で気候が大きく変動した。

 それまで温暖な山岳地帯で知られたアルザスが氷雪に閉ざされるようになったのはこの時からだという。

 幸いなことに王のとりなしにより、魔女の怒りは和らぎ、コカドリユも安住の地を得ることになった。

 王への感謝と魔女への敬服を忘れてはならない。

 この言い伝えは子々孫々に至るまで語り継ぐべし。


 間違いない。

 ウーロは全てを察した。

 目の前の奇怪な甲冑もどきから、感じる圧倒的な威圧感プレッシャー

 突如として、急激に下がり始めた気温。

 決して、手を出してはならない存在が目の前にいるのは間違いない。

 しかし、震える体を無理に抑えてでも引けない事情がウーロにはあるのだ。

 妻であるベルブロンと連れ去られた子を守る。

 それが家族を大事にするコカドリユとしての矜持だ。




レオンハルト視点


 抱き着いて、密着してくるリーナの柔らかな温もりと縋るように見つめてくる上目遣いの視線の破壊力につい、気が緩んだせいか。

 それに氷のボルトで動きは止めただけで頭を自由に動かせるのを忘れていたのが悪いんだよなぁ。

 火球が直撃した訳じゃない。

 ちょっと頭を掠めただけなんだけど、コカドリユの火球も馬鹿に出来ない威力があったんだ。

 さすがにちょっと熱かった。

 リーナが七つの門セブンス・ゲートをかけてるから、熱さを感じただけで済んでるんだけど。


「リーナ、落ち着いて。僕は大丈夫だからさ」

「怒ってませんわよ?」


 いやいや、怒ってるよね?

 寒くなってきたし、何か、白い物が空から舞い降り始めているのは気のせいじゃないよね。

 それにリーナの瞳が淡い光を帯びて、キラキラとルビーのような輝きを見せているんだから、怒ってるのは間違いない。

 落ち着かせようと彼女を抱き締めて、背中を撫でる。

 効果はあまり、ない。

 うるさい従魔ファミリアはこういう時はだんまり。

 空気を読んでるのか!?


「これは事故だって。僕の不注意なんだ」

「ですから、怒ってませんのよ?」


 背中でチクッとした痛みを感じる。

 リーナが無意識に爪を立てたんだろう。

 絶対、怒ってるんだけど。

 変なところが頑固で認めないんだよね。


「彼らを許したのはかつての僕だしさ。ここは僕に免じて、機嫌直してよ」

「ですから! 怒ってませんのですわ」


 これはかなり、まずいかも。

 リーナの言葉遣いがおかしくなってるってことは相当に怒ってるってことなんだよね。

 いつも、そうだった。

 自分がどんなに傷ついても怒らないんだけどなぁ。


「分かった。じゃあ、リーナがしたいこと、何でも聞いてあげるからさ。それで許してくれないかな?」

「何でも……ですの? 本当に?」


 リーナの瞳の色がちょっと薄くなったということは迷いが生じてるってことだ。

 もう一押しかな。


「一回だけだけど、何でもいいよ」

「そ、そういうことでしたら、許して差し上げますわ。怒ってませんけど」


 リーナにしがみつかれた状態で上目遣いをされただけで僕の理性は綱渡り状態だ。

 止めを刺そうとしてるのかな?

 恥じらうように頬を桜色に染めて、瞳を潤ませてるから、ホントにやばい。

 いや、耐えるけど!

 一部は耐えられないかもしれないけど、勝手に元気になるものはしょうがないよね。

 リーナの瞳が微妙に泳いでるから、当たってるんだろうなぁ。

 口に出さないのは彼女なりの優しさなんだろう。

 まあ、『当たってますわよ?』と言われても困るしね。


「この土地をコカドリユにあげようと思うんだ」

「レオがそう決めたのなら、私は従いますわ。レオの選んだ道を共に歩みたいんですもの」


 そう言うとさらに体を押し付けてくるから、すごくまずい。

 リーナが元気なところを太腿で挟んでるからだ。

 さすがにそれだけで我慢出来なくて、果てるってことはなくなった。


 でも、出そうなくらいにまずい状況なのは確かだ。

 『とても楽しみですわ』と意味深なことを耳元で囁かれて、耳朶を甘噛みされた瞬間、我慢出来なかった……。

 それに今、太腿でわざと強く締めなかった?


「どうしましたの?」

「何でもないよ……」


 気持ち悪いけどしょうがない。

 我慢出来なかった僕が悪い。

 我慢しよう。



リリアーナ視点


 ふふっ。

 笑いを堪えるのが辛いですわ。


 ドラゴンの中でもコカドリユは非常に珍しい種です。

 私だって穏便に事を勧めたかったんですのよ?

 でも、アレはいけませんわ。


 七つの門セブンス・ゲートがあるので無傷だったとはいえ、許せません。

 少しくらい、恐怖というものを味わった方がいいと思いますの。

 恐れを知らないまま、生きていくよりも恐れを知って、憐みを知るべきだと思うのです。

 だから、怒ってなんか、いませんのよ?


 おかしいですわ。

 この地方は雪が舞い落ちることのない土地だったと思うのですけど。

 空から、舞い降りてくるあの白いのは雪ですわね。

 無意識のうちに気温を下げてしまったのかしら?


 でも、結果だけを見れば、私の大勝利ですわ。

 レオが何でもお願いを聞いてくれるんですもの。

 願い事はもう決まっているのです。

 開発予算で悩む必要がなくなったのですから!




 後日、ペネロペの大幅な強化・改修が行われることになるが、その発端がこの時の些細なやり取りにあったことを知る者は少ない。

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