第205話 耳元ではよしてくださいません?

 ナーシャはアリアドネの眼で上空から一帯をています。

 彼女の目には何がどう見えているのかしら?

 気になりますわね。


 目前で木々を薙ぎ倒し、進んでいく大きな二つの影。

 あれこそ、ナーシャが『あと五分ほどでエンゲージ』すると伝えてくれたコカドリユですわ。

 薙ぎ倒された木々だけではなく、周囲の大地までもが不気味な紫色に染まっています。

 毒性の強さから見ても間違いありません。


 頭部には鶏冠とさかのような王冠を思わせる飾り毛が生えており、猛禽類に良く似ているようです。

 もう片方のやや体格が小柄な個体の頭には飾り毛がないのでこちらは雌雄の雌ということかしら?

 体も鳥類に似た構造をしているみたい。

 両足はびっしりと鱗に覆われていて、四本の鋭い爪がしっかりと大地を捉えています。

 翼は鳥類というよりも蝙蝠といった方が近いかしら。

 羽毛も生えておらず、鉤爪が伸びていますが空を飛ぶのに適した形には見えません。

 あの鉤爪を使って、歩みを進めているところを見るともしかしたら、飛行出来ない可能性もありますわね。

 また、尾にもびっしりと鋭角な鱗が生えており、長く強靭なその見た目はまるで爬虫類のようです。


「二匹。いや二体かな。それとも二人?」

「どちらでもいいですけど、耳元ではよしてくださいません?」

「何でかな?」


 耳元近くであなたに囁かれると心臓が持ちませんのよ?

 鼓動は自分でもどうにもなりませんもの。

 もしかして……分かっていて、わざとしてますの?


「そんなことないよ。さて、真面目にやりますか」


 だから、その息を耳に吹きかけるのをやめてくださいませ。

 さすがに目前にコカドリユがいるので、手でのおいたをしてこないのがせめてもの救いですわ。


「お願いしますわ。レオにかかってますのよ? ナーシャとレライエはアンディと協力して、避難民の救助をお願い出来るかしら?」

「分かってるって、任せてよ」

『『はい、姉さま』』


 背を向けていたコカドリユが反転し、こちらを向きました。

 私達を敵と認識したというところ、かしら?


「レオ?」

「うん? 大丈夫だよ。ちょっと、この機体の反応が悪いんだよね。足のバランサーが十五度ほど傾いているかな。それに運動野のパラメータが狂っているぽいなぁ。再構築して、制御開始」

「レオ! シュウセイ! レオ! カンリョウ!」

「は、はい?」


 レオが何を言っているのか、さっぱり分かりませんわ。

 グティではレオが満足するような性能を発揮出来ないというのは分かりますけど……。

 それをレオとモコで修正しているということですの?


「リーナ。少しは動けるようになったみたいだ」

「そ、そうですのね。よかったですわ」


 頭が混乱している時、急に耳元で囁かれるのはすごく効きますのね。

 危ないですわ……。

 そう! そうでしたのね!

 だから、夜はあんなにも気持ちが良くって、何も考えられなくなるのですわ。


「あのリーナさん、もしもーし。戻ってきて?」

「は、はい? 何でもありませんわ」


 また、心を読まれたみたいで焦りましたわ。

 下手に弱みを見せると夜が危ないんですもの。

 でも、レオに色々とされる方が嬉しいし、気持ちいいですし……


「今は集中しようか」

「ひ、ひゃい。わ、分かってますわ」


 ちょっと抑えて、低めの声で囁かれるのが一番、効きますわね。

 鼓動が早すぎて、心臓がおかしくなりそう……。

 落ち着かないといけないですわ……。

 そう、今は目前の脅威に対処すべきですもの。


『ワレラの子、返せ』


 王冠を被った雄のコカドリユが大地の底から、響くような怒りに満ちた声を発しました。

 『子を返せ』ですのね。

 どうやら、面倒なことをしてくれたようですわね。




 デファンデュから出現した二体の異形のドラゴンは南に針路を取る。

 着実にある場所を目指し、進撃を開始していた。

 棲み処から、自分達の『大切な物』を盗んだ者が誰かを知っているかのようにその足取りはしっかりとしている。


 その足取りが向かう先はクレモンテ領の領都と見て、間違いない。

 この未曾有の事態に際し、指揮を執るべき人間――アメリストの耳に危急の報せは届いてない。


「ふむ。これは思った以上の掘り出し物だわい。イレネリオ、どうじゃ?」


 クレモンテ子爵アメリストは太い鉄棒で構成された頑丈な檻の前でほくそ笑んでいた。

 檻の中には羽毛で覆われた大きな生き物が身動き一つせず、伏せている。


 打算と欲に塗れたアメリストの目は汚れたように澱んでおり、醜悪としか、言いようがない。

 その面構えは人というにはあまりに悍ましいものと化していた。


「ああ。おとうさま。すぐに返すべきです」


 イレネリオはアメリストの背に隠れるようにしがみ付いていたが、檻の中でうずくまる黄みがかったひよこ色の生物を目にすると目玉が零れ落ちんばかりに目を見開き、驚いた。

 その顔色はすこぶる青く、今にも倒れんばかりの様子だった。


「何を言うのだ。イレネリオ。この化け物はお宝ぞ?」

「お、おとうさま。いけません。罰が当たります」

「ふむ」


 愛息子の只ならぬ様子にアメリストは顎に手を遣り、思案すると使用人を呼び、『イレネリオは疲れておるようだ』と言付け、軟禁することに決めたのだった。

 アメリストは知らない。

 彼が宝物だと思っている目前のモノが災厄を呼んでいることを。


 檻の中でうずくまっていたモノが緩慢な動作で立ち上がる。

 身の丈はゆうに大人二人を超えようかという巨体だ。

 しかし、丸々と肥えてふっくらとした胴体は何とも触り心地が良さそうな羽毛に覆われているせいか、大きさの割に威圧感はない。


 腕の代わりに鳥の翼に似た部位が生えている。

 あまりにも小さく、頼りない翼なのでとても、空を飛べるとは思えない。

 頭もまた、胴と同じく丸みを帯びているが、鳥によく似ており、橙色の嘴が存在した。

 きれいな円を描く潤んだ仔犬のような目にはどことなく、人の保護欲を突き動かすのにあまりある破壊力を持っていた。

 巨大化したひよこのようなモノは天を仰ぎ、人には聞こえぬ声を静かに上げるのだった。


『ピヨオオオオ』

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