閑話19 とあるメイドの華麗なる副業II
急速な復興を遂げ、その発展が留まるところを知らないアルフィン。
口さがない者は貪欲なまでに多種多様な文化を受け入れた城下町を例えて、言う。
『絵具を無造作にぶちまけたキャンバス』と。
それほどに賑やかで騒々しいアルフィンの街は日が落ちても喧騒の勢いが落ちることはない。
しかし、下町の一角にある酒場『黄金の双角亭』はそんな喧騒と無縁の静けさを保っていた。
カウンターに陣取り、グラスに注がれた琥珀色の液体をいささか、乱暴な飲み方で喉へと流し込む一人の男の姿があった。
男の名はハルトマン・フリューゲル。
アインシュヴァルト公爵令嬢リリアーナに仕える護衛騎士である。
少年時代より傭兵として名を馳せ、軍功により騎士爵を賜った実力者でありながら、理想的な男性の石像の如く、整った容姿に洒落た話術と醸し出す野性的な雰囲気から、かつて社交界を騒がせた色男でもある。
「しかし、イシドール様」
「『しかし』も『だって』もないわ、小僧。若いうちは女の一人や二人泣かせるもんぞ? 別の意味で啼かせるのは夜に限るがな」
黒いうさぎの姿をした何かがダンダンとカウンターを力強く踏みつけている。
店主はグラスを拭く素振りを見せながらも気が気でない表情で遠くから見守るしかないようだ。
その時、来客を知らせるベルの音が静かな店内に響いた。
ショートボブにした濡れ羽色の髪を軽やかに揺らしながら、一人の少女がハルトマンの隣に陣取った。
「ハルトの分際でこのあたしを呼びつけるなんて、覚悟は出来てるぅ?」
辛辣な物言いをする少女はクラシカルなデザインのメイドドレスを着込んでいる。
スカートの裾も長く、長い袖は肌を極力露出させないシックなものだ。
それなのに着衣でもはっきりと分かる大きな胸は本人の意思とは無関係に強く、自己主張をしていた。
メイド姿のアンヌマリー・エラントはその姿通り、アルフィンの城に仕えるメイドである。
「マスター、こっちのお嬢さんに新鮮な果汁ジュースを頼む」
手慣れた様子で注文するハルトマンを訝しむように感情の欠片も感じさせない半目でジッと睨んでいる。
「そんな物でこのあたしが釣られるとでも?」
少女の金色の瞳が妖しい輝きを放ち始め、突き刺さるような視線は本当に心を抉るかのように鋭い。
「ふむ。アンよ。そうむくれるでない。小僧が呼んだのではない、この俺! 大魔導たるイシドールが呼んだのだ」
「そうですかぁ。それは断れませんねぇ」
さも愉快と言わんばかりにイシドールは仰々しい言葉遣いをするが、揶揄われていると気付いているアンの態度はあくまでつれない。
彼女にとって、大事なのは主であり、友人であるリリアーナだけなのだ。
相手が何者であろうがアンにとっては重要なことではない。
「よっ。遅くなって、すまない」
一触即発とは言わないまでも殺伐とした空気が漂う中、妙に落ち着いた声色の男の声に三人とも緊張を隠せない。
物音一つもさせず、男が現れたからだ。
「いや、時間通りぞ。久しいな、シャックス。世界を股に掛ける男はさすがよの」
白いシルクハットに白い燕尾服とシャツに黒のパンツを合わせた不思議なコーディネートをした壮年の男性が張り付けたような笑顔を浮かべ、静かに佇んでいた。
「ふむふむ。なるほど。イシドール卿の仰る通りですね。実に面白い」
シャックスと呼ばれた男がアンを見定めるように視線を向ける。
右目に掛けた片眼鏡のレンズが妖しげな光を放っており、紳士の怪しい雰囲気にさらなる彩りを加えている。
「お嬢さん。いや、A・M・ティナーレよ。この僕と一緒に文芸界のスターを目指しましょう。これは運命です」
「は、はぁ?!」
一瞬で間合いを詰め、アンの両手を取って、ブンブンという風切り音が聞こえそうな勢いで振っている。
「まーた、奴の病気が始まったか」
「あれ、病気なんですか?」
イシドールとグラスを傾けながら、チビチビと黄金色の液体を飲み進めるハルトマンが呆れといささかの憐みの視線を向けた先にはひたすら、まくし立てるシャックスを前に今にも魂が抜け出そうな真っ白になったアンの姿だった。
この出会いは運命であり、必然であった。
世界の国々を旅する気紛れな
彼はアンがかつて、手掛けた同人作品に一目惚れしていたのだ。
かくして、同人作家A・M・ティナーレは生まれ変わる。
顔・年齢ともに不明の謎多き女流文学作家L.M.アンヌマリーとして、シャックスが大々的に売り込んだのだ。
結果、話題が先行したきらいはあるものの処女作『黒薔薇の乙女は月下に吼える』が爆発的に売れた。
以後、手掛ける作品が次々とヒットしていくが、アンヌマリーという作家の正体は謎に包まれたままだったと言う。
そして、もう一つの姿がマリアン・ド・サンドという名の女流作家だ。
女流といっても彼女は公の場に姿を現す際はタキシードに身を包む男装の麗人である。
こちらの姿では一転して、過激とも取れる話題作を次々と世の中に送り出していき、一大センセーションを呼ぶことになる。
だがそれはまだ、来ぬ未来の話である。
しかし、そう遠い未来の話ではない。
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