閑話1 アイリスの優雅な日常と皇宮の異変

 アルフィンの政務全般を担っているのは政務官として、取り仕切るネビロスである。

 ネビロスは付与魔法エンチャントの使い手として、大陸屈指の実力を持つ魔導師である。


 彼の父親は地方執政官であり、優れた行政知識と手腕を持つ有能な官僚だった。

 母親はエルフで回復魔法の大家として、世に知られた魔導師である。

 二人の薫陶を受けて育ったネビロスが優れた政治感覚を持ちながら、魔導師としても認定されたのは当然のことと言えた。

 彼は持ちうる政治力を駆使して、アルフィンを不死鳥の如く蘇らせた。

 ギルドの招聘に始まり、特産品たる魔力水を流通させると農産物の効率的な増産計画を進行にも手を付け、経済的な軌道に乗せたのだ。

 しかし、そのネビロスが最近、やる気を失っていた。


「あぁ、愛しいエキドナ様がいないとか、やる気が出ませんよ」

「そう言われましてもエキドナ様はリリー姉さまの知り合いですから、私にはどうしようもなくて、ごめんなさい。何も出来なくて……ごめんなさい」


 ネビロスにペコリと頭を下げ、謝意を表すアイリスの整った顔には憂いの影が差していた。

 アイリスは元々、この世界に生れることが出来なかった存在である。

 生まれる前にその存在を知られることなく、肉体を失っているからだ。

 認識してくれたのは双子の姉になるはずだったリリアーナ唯一人。

 そして、八年間を異世界で生きてきた。

 彼女が生きていた世界はあまりに異なっていたのだ。

 急に貴族令嬢としての責務を果たせと言われても重荷に感じるのは致し方ないことだった。

 蒼玉色の双眸から透明な液体が零れ落ちていき、床を濡らしていく。


「姫様、私は姫様を責めている訳ではなく……そのですね、あのですね」


 ネビロスは年頃の女性に泣かれるとどうすればいいのか、分からず、ただ、おろおろと狼狽えるだけだ。

 アインシュヴァルト家の懐刀と称される才覚を有した俊才にはあるまじき姿である。

 彼が主として仕えていたリリアーナは記憶を取り戻すまでは無表情・無感情な少女だった。

 その真逆ともいえる感情を露わにするアイリスの態度にどう対応すればいいのか、分からないのも無理はない。

 リリアーナであれば、「そう。それで?」の一言で終わりだった。

 しかし、アイリスは違う。

 泣き落としという女の武器を使ってくるのだ。


「じ、じゃあ、お仕事……してくれます?」

「え、ええ、しますとも。むしろ、やらせてください」


 執務室をそそくさと退出するネビロスを見送ったアイリスはふふっと不敵な笑みを浮かべている。

 先程までか弱く、泣いていた少女とは思えない姿だが彼女の手に目薬がこっそりと握られていることから、ネビロスは単に手玉に取られただけだったことが分かる。


「さてっと♪ ハルトマン様に会いに行こっかなぁ♪」


 今度は一転して、満面の笑顔でハルトマンがいるだろう修練場へと向かうアイリスの足取りは軽やかだった。


 🔥🔥🔥


 アルフィンを襲った災厄が一件落着したのとほぼ同時期、帝都にある皇宮でも異変の前兆があった。


「陛下、それではわたしは一旦、戻ります」

「ああ、すまない。くれぐれも気を付けるのだ。君のことだから、心配はいらぬだろうが……」

「はい、ありがとうございます。陛下も気を付けてくださいね?」


 帝国の皇帝相手にも全く、物怖じしない態度で一礼をして、退出していく赤毛の少女の背中を見送りながら、国を憂いて溜息を吐く男。

 神聖レムリア帝国皇帝アルベリヒである。

 政務を省みず、女遊びにうつつを抜かす無能な皇帝と謗られるアルベリヒは毎夜のように身分が低い女性を招き入れ、一夜で捨てるという非道な行為をしていると噂されていた。

 だが、それは真実ではない。彼が招き入れていたのは権力におもねることを良しとせず、爵位が低い身分の女性達であり、そこに男女の関係があった訳ではない。あくまで国を憂慮しながらも宰相の息がかかっていない者を探し、繋ぎを付ける為の逢瀬だったのだ。

 毎日のように変わっていたのは目敏めざとい宰相に気付かれないようにする為だったがそれでも万全とは言い難く、犠牲となった女性が少なからずいたのである。


 そんなアルベリヒの元にその赤毛の少女が現れたのは運命だったのかもしれない。

 男爵家の令嬢という身分でありながら、古の血を引く、炎を纏うかのような熱い魂を有する少女―アリーゼ・シュヴェレンは無能と謗られる皇帝の真偽を見定め、宰相の悪事を暴く目的でアルベリヒに近付いた。

 発案者はアリーゼの上司であり、相棒であるリヒテッヒ・ウンテルズェダー一等魔導特務官である。

 魔法省長官の意を受け、捜査を開始したウンテルズェダーは鍵となるのは宰相であり、彼が関わった皇帝とアルフィンであると断じた。

 女遊びにうつつを抜かすとされるアルベリヒに近付き、その真意を探るのに最適な人物こそ、アリーゼに他ならない。


「私に成し遂げられるだろうか?」


 アルベリヒは快活な少女がいなくなった部屋で自問自答するがそれに応える者は誰もいない。

 ただ、闇が存在するだけ。

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