第8話 オークの神

「証拠は一人いれば、十分ですわ」


 私は村長を演じていた丸顔の男イブラハムをギルドに突き出す証人として、生きたまま捕らえることに決めました。

 オークは裁判での証人や証拠として認められるか、怪しいですから、この際仕方ありませんわ。

 ローブ姿の魔術師からは腐ったような死の匂いが漂ってきますから、このまま、生かしておいてはならないわね。


「そのまま、暫く眠っておいてくださいな」


 村長もどきことイブラハムが口を開く前に氷の棺アイス・カスケットを掛けましたから、驚いた表情のまま、その全身が見る間に氷で覆われていきます。

 数秒も経たないうちに無職透明の棺に閉じ込められた哀れな男の氷像が出来上がりました。

 殺してはいませんからね?

 私もレオもなるべく、人を殺さないように気を付けてますから。

 なるべく、ですので世の中、事故という不幸な出来事もありますから、絶対に殺さないとは言えないのですけども。


「無詠唱だと!?」

「どうするブヒ? 氷どうにか出来ないブヒ?」


 明らかに狼狽えているような魔術師とオーク・コマンダーの姿は私にはつまらないものとしか、見えていません。

 戦いにもならない戦いほど、つまらないものはないでしょう?

 今、この瞬間にもデュランダルでオークを次々と屠っているレオも同じ気持ちだと思うのです。

 彼は私以上に戦いに求める思いが強いんですもの。


「その氷は私が解除しない限り、未来永劫解けませんの。つまり、あなたがたは私を倒そうともっと努力なさらなくてはいけませんわ。無詠唱くらいで驚かれているあなたがたにそれが出来ますの?」


 そうよ、この程度で終わりとか許されないのだわ。

 まだ、大した魔法を使っていませんし、オートクレールを抜く必要性も感じないわね。

 さあ、どうするのかしら?


「か、かくなる上は我らが偉大なる神に降臨していただくしかない。偉大なるかなオーカスよ。汝が眷属の肉体を喰らい、その尊き姿を現したまえ」

「我らが神、偉大なるかなオーカス! 我が魂を捧げブヒ」


 あらあら?

 そうきますのね。

 オーク・コマンダーはシミターの刀身を首に当てると何の躊躇いもなく、勢いよく力を込め、自らの首を落としました。

 落ちた首は苦悶の表情ではなく、勝利を確信したかのような恍惚とした表情です。

 豚さんの恍惚とした表情など誰が得するのかしら?


 首を失った肉体は切断面から、赤い液体を飛び散らせながらもそのまま倒れることなく、歩き始めました。

 まあ、そうなるとは思いましたけど。

 神を召喚するなどと大層なことを仰ってましたもの。

 一歩、また一歩と歩みを進める毎にその体は肥大化していき、屈強だった肉体がより巨大になるとともに二本だった腕が四本に増えています。

 その太さもまるで丸太のようで立派な化け物ですわね。

 体高も見上げると首がちょっと疲れますから、四メートルくらいに成長しているのかしら。

 そして、落ちた首の代わりにそこに鎮座している頭はオークの神らしく豚に似ているもののその頭上には王冠のような飾り物を身に着けています。

 眼光鋭くこちらを見下ろすその瞳には生きているモノへの恨みつらみが炎のように燃え上がっていました。

 うふふふっ、少しは面白くなってきたかしら?


「我が名はオーカス。我が眷属の願いに応じ、ここに降臨す」

「偉大なるオーカス様、さあ、あの不心得者どもを……ギャッ」


 威厳に満ちた声でそう宣言したオーカスは四本の腕それぞれに血を連想させる赤い刀身の斧を召喚するとニヤリと気味の悪い笑みを浮かべ、自分を召喚した魔術師をその斧で真っ二つにしたのです。

 さらに恐ろしいことに噴水のように血が噴き出しているその死体を貪り食い始めました。

 これはショッキングな映像ですわ。

 冥界に長くいましたけれど、このような場面に遭遇することはありませんでした。

 それにしてもこうも星の巡り合わせが悪いのはなぜかしら?

 こんなところでまた、に出会うなんて。


「リーナ、待った? 大丈夫? 顔色悪いよ」


 レオの顔が私の顔を覗き込むように近付いてきてたのですけど、その距離が近すぎます。

 一歩どちらかが踏み込めば、キスしちゃいそうなくらいですもの。


「あの……レオ、顔が近すぎません?」


 私とレオがまた、見つめ合って、二人きりの世界に入りかけたのをコホンという軽い咳払いでアンが現実に戻してくれました。

 アンも戻ってきたようです。

 これでは終わったようですから、残るはアレのみです。


「貴様らは食べ応えがありそうだ、グヒャハハハ」


 神を名乗ろうとする輩にろくな者がいないということでしょうか?

 それともろくでもないから、神を名乗ろうとするのでしょうか?

 自らが神と名乗っていない者を崇めようとする者こそ、ろくでもないのでしょうか?

 どれもが正解な気がしてならないわ。


「ねえ、リーナ。神って名乗る奴はだいたいこういうのなのかな?」

「まだ、会話が成り立つだけ、ましと思ってくださいな。ハイドラは会話すら、成立しなかったでしょう? でも、レオ……言い忘れていたのですけど、オーカスは冥界から来てますの」

「冥界からって!? じゃあ、リーナの知り合いってこと?」

「冥界のって、お嬢さま! またやばい知り合いですか!?」


 レオとアンが同じような反応を見せるなんて。

 私、そんなにおかしなことを言ったかしら?


「冥界には門があるでしょう? 死者が勝手に抜け出たりしないようにって。その門の守護者は二人いましたの。エキドナの息子のサーベラスとそのオーカスが守護者なのですわ」

「なるほど、てことはアレはサボってここに出てきたってこと?」


 そんな感じで三人わいわいがやがやとしていますとアレが痺れを切らしたようです。


「貴様ら、我を無視して、中々に肝の据わった奴らだ」

「アンはアレと目を合わせないでね」

「はい、お嬢さま」


 オーカスは四本の腕で得物を構え直し、私達に向けて、刺すような視線を浴びせてきます。

 確か、目を合わせると正気を失う、だったかしら?

 念の為、アンに注意しておいたから、心配いらないけども。

 レオと私にはそもそも、効果がないのよね。

 あったら、おかしいでしょう?

 魔眼は元々、だもの。


「オーカス、あなたの魔眼が私に効くとでも思いましたの?」

「魔眼を知っているだと? 貴様ら、何者なのだ」

「あなた、私の顔を覚えてませんの?」

「……いや、まさか、そんな馬鹿な」


 動揺しているオーカスを尻目にレオはデュランダルを構え直し、その剣先をオーカスへと向けました。


「オーカス、このデュランダルで細切れにされるのとオートクレールで滅多刺しにされるのどっちがいいかな?」


 レオの魔眼が燃え上がるように紅く輝き始めました。

 私にその怒りが向けられることはないと分かっていても恐ろしさを感じてしまうほど、強い怒気をはらんでいるのが感じ取れます。

 空気すらピリピリと肌を刺してくる錯覚を覚えるほどです。


「ま、ま、まさか、貴様ら……いえ、あなたがたは!?」


 あれほど自信たっぷりで威厳に満ちていたオーカスの顔に浮かぶのは畏れと怯え。

 恍惚とした豚さんの顔を見るのも微妙でしたけど、冷や汗を流して青褪める豚さんの顔を眺めるのも変わらないくらいに微妙ですわ。


「そのまさかだったら、どうするんだい?」

「事と次第によってはオーカス!あなた、無事に戻れると思ってますの?」


 私とレオに詰め寄られたオーカスは先程までの威厳はどこへやったのかと思う程、狼狽していましたがそれに止めを刺したのは上空から、聞こえてきた間延びのする声でした。


「あー、ぶーちゃーん、久しーぶりー」

「げっ、ニールまでいたのか……」


 間延びした声の正体は遊びを終えて、飽きてしまったのでしょう。

 六枚の翼を羽ばたかせ降下してくる巨大な黒きドラゴン、ニールことニーズヘッグでした。


 🐷 🐷 🐷


 私とレオに怒気をはらんだ魔眼で睨まれたオーカスはあんなに大きくなっていた身体を文字通り、縮こまらせています。

 私達の前で平身低頭しているオーカスの姿は通常のオークよりも小さくなっており、子供の背丈くらいしかありません。

 その顔も愛嬌があって、子豚のようですから、とてもかわいらしく見えます。

 完全にマスコットキャラクターにしか、見えない生き物ですわ。


「ホントに僕、知らなかったんデス。呼ばれたのも今日初めてだったんデス」

「オーカス、偶然だけどあなた、主犯の一人を殺したわね。それで無かったことにしてもいいのだけど。ただ、あの魔術師に聞き出したいことがあったのよね。分からなくなって、困るのだわ」

「ごめんなさい。僕、どうしたらいいデスか?」


 瞳をウルウルさせている子豚さんがかわいいから、いじめたい訳ではありませんのよ。

 オーカスに食べられた魔術師は死霊魔法に似た魔法を使ったのではないかと疑っていました。

 死の匂いを感じた以上、生かしておくつもりはありませんでしたけれども、どうせ命を奪うのなら、その前に話くらいは聞いておくべきと考えてましたのに!

 それを追求しようと思っていたのにそれを知る機会が永久に失われたのです。

 オーカスが食べてしまわなければ、手掛かりが掴めたかもしれませんのに。


「オーカス、責任取って、あなたもこの世界で働いたら、いいのですわ。働かざる豚食うべからずですわ」

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