第585話 地引網式・減速航法

 アルテミスIIが着陸態勢に入る――。


 サウロイドから略奪した月面基地の運用が始まって1年半、地球-月間の往来は珍しい事でもなくなり、実に二週間に一回のペースとなる合計35回もの有人月面着陸のミッションが行われた。無人の物資投下ミッション(靜の海を巨大な的ストライクゾーンに見立て、そこへ地球から物資を遠投するような内容だ)もカウントするならばその数は150回を超え、この1年半で急激に人類はといえる。だがアルテミスIIはワケが違う。

 なにせ質量が段違いだったからだ。


を使います!」

「まかせる!ただ太陽パネルには当てるなよ」

「了解。使用後、回収する形でいきます」

「了解。3…2…1…」

 ブリッジで聞き慣れない副碇ふくていという言葉が飛び出す。ドッキングアームなどならまだしも宇宙船にいかりとは何のことだろうと思うが――

 ファシュ!

 次の瞬間、その副碇という造語が意味するところは判明した。

 アルテミスIIの船尾からでもするようにカーボン製の紐が放出されたのだ。紐の太さは我々が段ボールを纏めるときに使うビニール紐ほどであり、アルテミスの船体と対比すると碇というよりはナイロン繊維の綿毛のようである。

 カーボン紐もとい副碇は20本、長さは最大で1100mもあった。

「副碇、落着」

 1100mというとアルテミスのだ。

「……減速を確認。効果テキメンです」

「おお、すげー」

 操舵とは関係なく、暇をしている管制オペレーターは無責任に感嘆した。彼は急激に下がり始めた対地相対速度を示すモニターを見ている。

「確かに…これはいい」

 一方でボーマンは目を閉じ、体でもって「前に引っ張られる力」を実感しながら同意した。


――――――


 アルテミスは副碇という20本の極細の尻尾で月面を撫でながら飛行している。(厳密には落下だ。速くて重力が小さいので飛行しているように見えるだけだ)。もちろんこれは着陸の前の減速のためである。

 カーボン紐は極細とはいえ、長さもあれば引きられるスピードも速いので中々の抵抗を発揮した。それは埃まみれの部屋で箒を引っ張って走っている光景で、擬音をつけるならボワァァァだろう。白波を立てながら進むジェットスキーのように、ビッグバグにも負けない灰色の砂埃を後方にモクモクと巻き上げる。

「シミュレーション通りに機能しています」

「いいぞ。原始的だが素晴らしいアイディアだ」

 ボーマンは、愉快愉快ということか、ひじ掛けをトントンと指で叩いた。

「いえいえ。素材は超先端技術ですよ」

 会話の通り、この副碇は初の実践使用だった。

 前級のアルテミスの反省として「着陸時の減速のための推進剤が無駄過ぎる」というのがあり、その方策として編み出されたのがこの地引網式減速法だった。広義には船の碇と同じ仕組みなので副碇という名がついたこれは、長さ1メートルでわずかに8gしかない。(太さはビニール紐ぐらいあるのだが、カーボン膜を編んだスカスカな紐なのだ)アルテミスIIのように1100メートルの20巻を搭載しても176kgしかない。逆にいえば服碇を外せば176kgの推進剤を増量できたが、巨大なアルテミスにとって176kgの推進剤で出来ることはたかが知れていて、それを前方ブースターから貧乏くさく噴射して減速するよりは、副碇を搭載しこうやって地引網をやった方がはるかに効率的だというわけだ。

「司令。空を飛んでいるより不確定要素イレギュラーが多いんですから…」

 操舵を指揮する副艦長が振り向き、苦笑した。

「岩に引っかかったら外れる…そのセイフティを信じるしかあるまい。人力で何かできる事もない」

「まぁ…」

 副艦長は肩をすくめた。SAL(艦載スーパーコンピュータ)のを信じるしかない。

「司令、まもなく音速を割ります」

「月面基地まで10キロ!」

 ボーマンの画面にも同じ表示がされているが、オペレーターたちが注意喚起として声を出すのはこの時代でも同じだ。

 ちなみにボーマンは今は”艦長”だが、慣例で司令と渾名されている。

「よし、するぞ。仕事だ。管制官」

「待ってました」

 ボーマンが何を言ったかというと「このままの進路でビッグバグの真上を通過するので、先ほどビッグバグに行ったレーザー砲撃の戦果を確認しろ」という事である。電気農園とビッグバグは月砂塵の中に隠れているが、超遠赤外線なら多少は観測できるだろう(それより波長の長い光=電波では次元跳躍孔ホールの減衰効果がではじめる)。

「副碇、回収します」

「続いてブースター準備。対地速度が100kmを割ったら使うぞ」

 副長がそう指示すると、ボーマンも続いた。もう肉眼で月面基地と砂のドーム(ビッグバグを中心に広がる砂塵だ)が見えるようになっている。

「諸君、いよいよ着陸だ」

 全艦通信である。艦橋ここにはいない、船の後方で戦闘準備をしている揚月隊員にも向けた言葉だ。

「私は昨日、アメリカを見つけたのは先住民なのに歴史の教科書ではコロンブスという事になっている事を考えていた。いまや先住民どころかアメリカに辿ならコロンブスより先んじた冒険家もたくさんいたことが分かっている。それでもまだ歴史の教科書はコロンブスと言い続ける。諸君。彼だけが歴史に名を残った理由がわかるかね? ――それはコロンブスが生きて帰ったらである」

 言いたいことは分かるな、と溜めたあとボーマンは続けた。月面旅行が本当のミッションではないぞ、という喝を入れた形である。

「………諸君、蟲人間と戦った初めての人間として歴史に名を刻め」


――――――


 このとき「そんな訓示は着陸して月面基地に出撃するときでいいだろう」と揚月隊員たちは肩をすくめたが、先に言ってしまうとボーマンの読み通りになった。というのも月面基地に赴くなど悠長な暇は無く、アルテミスIIは着陸するや否や蟲人間の攻撃を受けることになったからだ。 

 だが蟲人間より、さらに先に来訪者があった。


 もちろん恐竜人間マリーたちである。

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