第567話 ラプトリアン女を信用してはいけない(前編)

 宇宙戦艦(実際は宇宙船)アルテミスIIは、30本に及ぶ巨大な円環リングドローンを使って海底人さえ思いつかなかった減速マニューバを行った。


 アルテミスの進行方向に射出されたリングは自律運転で月をグルリとUターンすることで母艦(つまりアルテミス)と正面衝突の軌道コースに乗ると、今度はシュルルとほつれて大きな輪に変形し、まるで卒業式で在校生が作るアーチのようにアルテミスのトンネルを形成したのである。そしてアルテミスはその30本の輪、言い換えればを通過するたび、まさに後ろ髪を引かれるようにズゥン、ズゥンと減速していった。逆にコイルには、アルテミスが失ったその速度の二乗とアルテミスの質量の積の半分という莫大な電力が生じる事となり、その電流はコイルの金属原子と激しく衝突して熱に変わって最終的にはコイル自身をプラズマ化し眩い光として宇宙に消える…。

 ここで霧散した金属原子は、運が良ければまた別の恒星の燃料か新たな生物の生命活動の歯車かの役割を与えられるかもしれないが、それは数百億年後のことであり、自分がかつてホモ・サピエンスに創られたコイルの一部だった事を覚えていることはないだろう。


 エネルギー変換の観点だけで言えば、アルテミスは人工の大気圏突入をやったともいえる。自身の運動エネルギーを捨て、その対価として他者の熱エネルギーと光エネルギーを増加させるマニューバだったからだ。そしてその通り、コイルが焼き切れたときの光は一瞬ながら地球光まんげつを凌駕するほどの光量を誇り、月面の景色を一変させた。

 しかもそれが30連発である。

 月面にいる者たちがそれに気づくのは必然であったのだ。


――――――


『あの光は、見覚えがある…』

 リピアは空を見上げながら言った。

『ほんとに? …MMECレールガンの実験か何かで?』

 マリーもまた、10秒間隔で断続的に宇宙そらを満たす光の衝撃波を見上げている。

『いえ、サピエンスです、中尉』

 リピアは視線をマリーに落としながら丁寧に応えた。考えてみれば二人とも装甲機兵隊であり、階級はマリーが上、つまり直属の上官というわけだ。

『2年前の戦いで、彼らの歩兵はMMECを防いだことがありました。ジョージ平原(サウロイド語の固有名詞で言ったが、割愛)を進撃する彼らをMMECが砲撃したのですが、彼らは今のような光をあげて鉄心たまを防いだのです。もちろん規模は違いますよ。しかし「ウゥゥ…ワァァ!!」というこの赤から白に変化する光り方…このリズムは似たものがあります』

『なるほど…』

 エラキが頷いた。本を読むより肉体の鍛錬を趣味とするタイプの男だが、200年も生きていれば多少の知識には触れるものだ。

『ジョージ平原のそのシステムを拡張・進化させたものが、いま頭上に輝くものという事だな。MMECの逆、電磁気的なものに違いない』

『そういう事でしょうね。猿人間の減速の光。そして――』

 マリーはここで「もう飽きたわ」とばかりに視線を下げる。下げると、そこにはの姿があった…!

『あと数刻で増援が到着する…という情報は本当だったようね。中佐さん』


――――――


 何が起きたか。

 それは、ゴールデンスキンが月面車シャコを駆りモノクロームの暗殺を企てたのと同時刻のことだ。マリーは高出力レーザー通信塔まで味方として同行して見せ、馬中佐とUNSFがをやり取りしたタイミングで彼を襲ったのである。


 まず馬中佐がUNSFちきゅうに与えた情報は「月面基地は蟲人間に襲われた」という事だ。無論にわかには信じられない情報だが、アヌシュカ月面第二基地司令とチェン理学士(ブルースのことだ)が半年前にそれを訴えていた事、またサウロイドの月面基地で巨大な蟲の外骨格を連想させるが見つかっていた事(ビッグバグのサンプルはレオがほとんど持ち帰らせてしまったが、外骨格の一部は月で処分された。処分されたがあまりの強度で少し欠片が残ってしまい、それが人類の手に落ちていた)から、UNSFは割とすんなり「やはりか」と納得してくれた。そして――

 なにより、これがマリーが地球側にだった。

 つまり「月面基地を襲ったのは機械恐竜の生き残りなどではなく、謎の蟲人間の大群だ」「不用意には入ってはいけない、時間をかけて準備すべきだ」そんな思考に猿人間サピエンスを誘導したかったのだ。これはひとえに、サウロイド軍が到着するまでの時間稼ぎのためである。敵の戦力は増えるかもしれないが月面という不毛な土地で戦うなら城を押さえている方が戦略的に価値があるだろう。

 そして逆にはというと、それはもちろん人類側の動きである。

 これはもう、ひとえにリピアとエラキの信用が厚かった(なにせエラキは身を挺してゴールデンスキンから馬中佐の部下を守ったし、一緒に蟲人間I-SIPと戦ったりもした)事が幸いした。というのも馬中佐と窓口となったUNSFの副司令官はすっかり2人の事を信頼し、ベラベラと「もうすぐ先発隊アルテミスが到着する。後続部隊は蟲人間への対策を考えるが先発隊はもう止められない。こうなれば、そちらは先発隊と協力して生き残れ。もし橋頭保となる1区画でも守り通せばチャンスはあるだろう」といった主旨を伝えてきたのである。

 蟲人間が共通の敵だ、という考えに囚われていたにせよ、これはさすがに迂闊であった。

 通信を終えた馬中佐が明るい声で

「というわけだ。よし戻ろう!救援が来てくれるならば、A棟に残された資源で何とかサバイブできそうだぞ」

 と高出力レーザー塔を後にし基地に向かって月面を歩き出したその瞬間、 その迂闊を具現するようにマリーが彼の背中に飛び掛かったのである。

『ちゅ、中尉!?』

 リピアもエラキもこれには面食らった!まだマリーは海底人の件を説明していないので、二人からすれば人類と協力すべきだと考えていたからだ。

『こいつを捕虜にするのよ!』

 月面砂塵レゴリスを巻き上げながら暴れる馬中佐の、その両方の肩甲骨の辺りを猛禽類よろしくガッチリと両足でホールドしながらマリーは叫んだ。

『さ!手伝いなさい!』

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