第462話 均衡はかくも簡単に破られる(前編)
『あぁ…』
ドイツ方面からイベリア半島(スペイン)へ向けて飛ぶ小型機の左の窓は、どこまでも続くアルプスを覆うイチョウの森を切り取っていて、それを見下ろすレオの心を圧倒した。
月面司令として月の地平線から地球が昇る様を見てもさほど感慨を抱かなかった彼だが、この“高山イチョウ”の森は少し違った。きっとサウロイドの遺伝子には、6700万年前に自分達を救った“高山イチョウ”への畏敬の念が刻み込まれているのだろう。なにしろ隕石衝突後の数万年も続く曇天、永遠とも思える薄暗い世界で彼らの命を繋いだのはイチョウの木だったからだ。多少の火山灰にも耐えれる高山イチョウの森が、隕石の粉塵に由来する酸性雨(硫酸の雨)を浄化して、その幹にその葉にきれいな水を貯える。その葉を食べて草食恐竜は喉を潤し、その草食恐竜は肉食恐竜の水分に代わった。その実の「銀杏」は肉食草食問わずべての生物の好物になり、それは6700万年経った今も変わっていない。
現在“高山イチョウ”は、その名の通り、かなり標高の高い山間部でしか見られない。隕石衝突後やこの6000万年の間に時折、到来した氷河期には地球全体を我がものとしても、基本的に環境が良くなれば広葉樹との生存競争に負けて、山に追いやられるのが宿命なのだ。
それはもちろん間氷期である2034年現在もまた、同様である。
――――――
そんな高山イチョウの葉っぱが、アルプスの初雪に震え早くも黄色く染まり始めている。
『君も見たまえよ』
飛行機の窓からそんな風景を見下ろしながらレオが言った。
白と黄色のコントラストがなんと美しいことか。まるで革命で転覆した王朝の宮宰たちが、唯一形骸的に残った祭事を盛大に行っているような、そんな光景だ。
『はぁ…しかし操縦していますので』
操縦士のサウロイドは迷惑そうに答えた。
『ああ、そうか』
レオはそれ以上は言わず、頷いた。興味がない者は興味がないのだから仕方がない。
『大佐。そろそろアルプスを越えます。アクオル市はすぐですよ』
『…わかった』
サウロイド世界の高山イチョウの紅葉は一瞬だ。
彼らはある気温を下回るや“夏用葉っぱ”から一気に葉緑体を体内に引き上げてしまう。用済みとなった“
――やれやれ
――この景色を見れるのは1週間と無いのにな…
レオは操縦士の
――――――
ドドド…ドド…ド…ッ!
『プロペラ、停止確認よし。 では大佐、扉を開けます。少々お待ちを』
『いや、自分で降りますよ』
レオを乗せた小型機はアクオル市(イベリア半島)に作られた人造山の麓に着陸した。まだ60歳の若者だから…というよりは性根として他人に何かさせるのを嫌うレオは着陸するなり自分で扉を開けて
『おお、また大きくなった』
タラップに一足を出す前に、人造山を見上げて感嘆してしまった。
『大きければそれだけ頑丈です。大きいにこしたことはない』
『まぁ…それはそうでしょう』
レオはどこかアンビバレントに頷いた。山の大型化は自分の不手際を尻ぬぐいするための大事業だったことを知っているからだ。
この人造山はそのままアクオル山と呼ばれ、四角推で出来きた現代版の超巨大ピラミッドである。(もっともサウロイド世界のエジプトにはピラミッドは無いが…)
おさらいになるが――
もちろんこのピラミッドは何かの酔狂や宗教的な意味があって造られたものではない。確かにピラミッドの中には、これからレオが訪問する軍事研究施設も内包されていたが、それにしても無駄に巨大すぎる。なぜこんなに大きくある必要があったのか、地下ではだめだったのか――という疑問が湧いてくるがそれもそのはず、ピラミッドの“八合目”の辺りには
人類側の
レオがここに来るのは1年半ぶりだった。
『………』
この
――月面基地は奪還せねばならない。
――彼らを憎んではいないが、信用もしていない
――主導権はこちらが握らねば…!
そう。あの日からレオの中のピアノ線のように冷たく鋭い闘志が途切れたことはなかったのである。
とはいえ――
今日、レオがここを訪れたのはふたたび月に進軍するためではない。
猿人間の新しい玩具(探索ロボ)が次元跳躍孔から送られてきたというので、その視察に来たのである。
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