第243話 バトハラ様の恩寵

 ババババッ!!

 月面基地の、通常照明を落とされ紫の警光灯で染まった薄暗い廊下に「鉄片投射器アサルトライフル」のマズルフラッシュが連続した!


 バババッ!バババババッ!

 それが提供する鮮烈なフラッシュは、その巨大な廊下の工場のような飾りっ気のないディテールを炙り出すと同時に、まるで一秒に6コマしかないクレイアニメの表現方法でを克明に描き出す。


『ピューーィ!!』

 巨漢に似つかわしくない耳をつんざく断末魔を上げた恐竜人間の体は、ビクッとなった大臀筋おしりの反射で跳ね上がったのち力尽き、月のゆるやかに重力に引かれてまるで夢の中の超常的な出来事のように、ゆっくりゆっくりと廊下の床に倒れ込んだ。

 映画「インセプション」にこんなシーンがあった気がする。


「う……るせぇヤツだ」

 二人の揚月隊員はライフルを構えたまま顔をしかめた。

 A棟はまだ与圧されているのでその断末魔は空気を揺すり、彼らのヘルメットを揺すり、そのまま彼らの鼓膜を直撃したのだ。


「やったか…!?」

 苦々しい表情をしながら一人が訊くと―――

 バババッ!!もう一人は死体の背中に三、四発のライフルを追撃してから応えた。

「これで大丈夫…。そのようだ」

 揚月隊員は同時に宇宙飛行士であるので、頭脳明晰でむろん英語を話す事はできようが、二人とも同じ国の出身だったので母国語で会話していた。

 タガログ語である。

「‟服”のヤツはライフルで倒せるな」

「民間人か?これは」

「まさか…。それで‟鎧”の方にあったらどうする?」

「五分五分だな。ジョンソンがやられてしまった今、二人では旗色は悪い。ヤツと再会しなかったバトハラ様のおかげだ」

「神頼みか。……で、月面そとにいた‟甲冑”のヤツと会ったら?」

「そりゃ逃げろだ」

「ははは!」


 この二人の肩を見ると、小隊名はM-16とある。

 揚月隊は四人で一小隊のため、この二人は二人の仲間を既に失っている事になるがなんと勇猛果敢、冷静沈着なことだろうか。

 一瞬の油断もない彼らは、たとえそれがファンタジーから飛び出してきた恐竜人間だったとしても、感情(好奇心や恐怖だ)の弦の一本も揺すられずにすると、死体に目もくれずに背中合わせに廊下を進んでいった。

「俺達が一番乗りかもな」

「ああ。たぶん目標はこの先だ」

「焦るなよ…。急がば回れだ」

「お前こそ、階下(した)の警戒も怠るな」


 ジリジリと進む彼らの背後に残されたラプトリアンの死体からは、蜂蜜かコールタールのように粘る黒い血が怨念のようにジワジワと広がっていった。

 ただ、これはサウロイドおよびラプトリアンの血が特殊なのではない。月の弱い重力と表面張力とが戦ったときに力の差が僅かしかないからである。また、黒く見えるのは月面基地がサウロイド達にとって緊張を高める紫の警光灯で照らされているからだ。


「こりゃバレるな…」

 そんな黒い血が格子状の床の隙間に忍び込み、階下の廊下にポタポタとしたたるのを、警戒がてらに背後を振り返った一人が呟いた。

「この棟に、俺達が侵入した時点で気付かれているさ」

「急ごう、警戒し……!? ホラ!向こうから聞こえるぞ」

 そのときちょうど、ゴゥンゴゥン…という潜水艦に小石がぶつかったときのような音が廊下に響いた。この音とは―――


「あの音の先に本隊がいるはずだ」


――そう、A棟の正面ゲートの前で戦っている本隊が撃った「鉄片投射器」のである!この音の震源をつきとめ、その近くあるはずのゲートやらエアロックを開けば月面そとの本隊を基地内に招き入れる事ができるはず……というわけだ。


 二人は耳を(ヘルメットの集音マイクを通して)周囲の音に澄ました。

「……かなり近いぞ」

「そう聞こえるな」

 サウロイドが隠し封印している次元跳躍孔ホールの影響で無線が使えないのは人類にとって不測の事態であった。基地に侵入した部隊はみな連携がとれず、迷路実験のマウスのようにB棟をさ迷ったが、このM-16小隊だけは運よくA棟に至る事ができたのだ。

 そして次なる幸運として、まだ空気のあるA棟では「ゴゥンゴゥン」という音で月面そとの本隊が位置を教えてくれているのだ。

「今のうちに急ごう!」

 この幸運を逃すわけにはいかない!

 この音の道標もいつ途切れるか分からないため二人は急ぐしかない。月面そとの本隊としても、まさか流れ弾が基地内の仲間への道標になっているとは思わず、いつ戦闘を中止してもおかしくないからだ。だから、この音が響いているうちに――

「走るぞ!」

「よし!」

 こうして二人の揚月隊員は、まるで城門を開くために城の内部に侵入した忍者のように、紫に染まった廊下を忍び足で駆け抜けていった。

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