第185話 サピエンス製の弾丸

 ネッゲル青年のそのは、月の重力を克服した。

 彼は右腕一本でライフルを構えると、左手と両足の三点をまるでUFOキャッチャーのように使って月の大地を鷲掴みにして体を固定したのである。

「くらえぇぇ!」

 彼の丸太のような腕が可能にした奇怪な射撃姿勢だが、実際に月面でライフルを連射するならこれが一番精度が高いかもしれない。


 ババババッ!

 クレー射撃の的のようにフワァと月の宙空を落下するエースに向かって、の鉛球が浴びせられる。

『ぐぅ!』

 エースはそれらの弾丸を体のに受けた。

 そう。不幸中の幸いか、彼は最も装甲の厚い肩のアーマー、もものアーマーを敵に対して前面に押し出す姿勢になれていたのだ。


 チュンチュン!

 のアーマーの滑らかな曲線はライフルの弾を受け流す。

 規則正しく火花が散って、赤熱した弾丸は風洞実験の白で色づけされた風のラインのように、彼の体を舐めるようにして過ぎ去って行く。

『ぐ…耐えれるか…?』

 エースは弾丸をもろに浴びながら、ほとんど祈るように自問した。

 しかし、それは長くは持つまい。

 耐える事ができようが、少しでも装甲に凹みができれば、そこにハマった弾丸は行き場を失い、全ての運動エネルギーをそこに叩きつける事になるからだ。


 「チュンチュン!」の音はやがて「ガチャン!ガチャン!」に変わっていく。そしてついに、ガン!という抜けの悪い嫌な火花が二回ほど散ったかと思うと――

『っ!!』

 右上腕あたりに鈍く冷たい衝撃が走った。Tecアーマーの装甲が貫通してしまったのである。遅れてきた激痛にエースは顔を歪めた。


「やった!」いわゆる‟手応え”というのが具体的に何を指すかは分からないが、ともかくネッゲル青年は手応えを感じて歓喜した。「ライフルでも破れる!」

――見た目ほど大した装甲じゃないか!

 いつも峻厳なネッゲル青年もはわず屈託のない笑みになってしまった。あとは月の環境がヤツを殺してくれるはずだ、と。


 しかし、すでにエイリアンとの月面戦闘を経験したサウロイドの宇宙服は、より戦闘向きにカスタマイズされていた。気密が破られてアーマーの中の気圧が急激に下がるや、アーマー内壁に塗布された特殊コラーゲンが不安定(逆に1~0.3気圧下では安定する素材)になり急膨張、装甲の穴を塞ぐ仕組みになっていたのだ。

 そのため、彼が思うような間接的なダメージ(酸欠や気圧変化)は引き出せず、与えられたダメージはエースの腕に鉛球がめり込んだだけであった。


 それを知ってか知らずか、ネッゲル青年は油断することなく、追い打ちというばかりに射撃を続けた。

「うおぉぉ!」

 彼は片腕とは思えない精度で自由落下する標的に弾丸を浴びせ続けたが、先に述べたように装甲を破るかどうかは運任せだ。つまり装甲の健在なめらかな部分ではダメで、上手く凹んだ所に弾がヒットすれば貫通できる――という事である。

「思い知れ!!」

 ネッゲルは、ダニエル少尉や谷底で機械恐竜に噛み殺されたであろう仲間の無念を込めて、を引き続けた。


 数十発が放たれ、そのうち十数発がエースを捉えた。

 しかし、不幸なことに(いや幸運なことに…かもしれない。どっちの視点に立つかで幸不幸は変わってしまう)どの弾丸も重複して同じ場所には当たる事はなく、装甲のツルンとした面にヒットし受け流されてしまった。

 先に結果を述べてしまうと、実ダメージは肩への一発だけだったが、だからといって現在進行形で撃たれている者はたまったものではない。

『早く…!』

 エースは弾丸の雨を浴びながら、ゆっくりゆっくり向かってくる地面へ何とも歯がゆい想いで怒鳴らずにはいられなかった。

『早く!!』

――早く足を着かせろ!!


 そうして両者にとって永遠にも思える4,5秒が過ぎ去り、いよいよエースの体は地面に迫った。エースはこの間も続く敵の射撃とその弾着、そして腕の痛みを忘れて着地の瞬間に全ての集中力を向けていた。

 彼は着地の瞬間、この落下スピードによって月と足の接着面の摩擦が最大になるその瞬間に自慢の脚力を発揮し、ロケットスタートを決めて離脱に転じようと思っていたのである。

 食えない男だ。

 なにせ彼は何の恥じらいもなく、いま…逃げ出す事に全神経を集中させていたのである。

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