第181話 サウロイドの延髄斬り

 幅25mになるムーンリバー渓谷の裂け目を、サウロイドのエースが走り幅跳びの要領で月の重力の助けを借りて優雅に跳び越えていたとき、その背後からサピエンスのネッゲル青年がタックルを敢行した。

 ネッゲル青年は3発あるブースターの2発目を使って飛翔し追いすがり空中でエースの背中を捉えたが、掴むことはできずお互いがビリヤードの球のように弾き合ってしまった。しかも彼の体は不運にも上方に吹き飛び、逆にエースを下方に押す形になってしまったのである。


 先に着地したエースは、空中で移動手段を失って野球でいう凡フライのように‟良い的”に成り果てたネッゲル青年を見上げて笑った。

『悪いな』

 彼は射撃武器フレアボールを構えようとした。当てるのは造作もないことだ。しかし…

『あら…?』

 右手の甲のフレアボール投光器ランチャーを見ると、よりにもよってエラーを起こしているではないか。先ほど技師に依頼されるままに最大出力でブッしたせいに違いない。

『試作兵器め。ふざけるな……よ! っと!』

 彼は気持ちの切り替えは早い男である。一瞬だけ悪態を吐いたかと思うと、もう間髪おかず


 ダッ!ダッ!ダッ!

 先述の通り、3本の器用な足の爪がスパイクのようにガッチリと大地を掴み、月の低重力をもろともせず、まるでフリスビーを追うボーダーコリーのように美しく疾走する!狙うのは……

『おらぁぁ!』

 まだ月の虚空で、無防備に足をばたつかせているネッゲル青年である!



 むろん、地上の動きにネッゲル青年も気付く。

「くぅ!」

 未知の知的生物サウロイドが、言い換えれば逆関節の骨格を持つ2mの巨体が、自分の着地地点を目指して猪突猛進してくるではないか。しかし最悪の事態は免れた。


――あの火炎砲は弾切れか!


 そう、エースのフレアボールが不良を起こしていたのは不幸中の幸いである。射撃武器が残っていたらダニエル少尉のように灰塵に変えられていたに違いない。

「それでも、何とかしなくては!」

 それでも劣勢には変わりない。着地の無防備な瞬間に肉弾戦を仕掛けられたら、ひとたまりもないからだ。

 サウロイドはエイリアン事件を通して「重力の弱い月では、いかに地面から離れないかが闘いの優劣に直結する」と学んでいたが、同じことをネッゲル青年サピエンスも思い知らされた。この経験は人類に持ち帰らなければいけない。つまり…


――いま死ぬわけにはいかん!!


 ネッゲル青年はフワァと落下しながらでん部のを確認した。そう、彼にはまだ1回分のブースターが残されているのだ。揚月隊の月面服に装備された3回のジャンプブースターのうち、谷底から崖の上へと昇るときに1つ、そしてこの直前に敵にタックルを行ったときに1つ使っただけだからだ。

 だが、すぐに使うワケではない。

 ここで再ブーストを行っても着地を遅延されるだけで、また落下地点に先回りされて隙を狙われてしまうだろう。


 ――だ…!


 ああ。この世界ではタイミングが全てを握っている。

 放たれた銃弾がを異なれば当たらないように、同じ行動でもによって意味の有る無しが変わるのだ ――時間に支配された我々の世界では。


 他方――

『もらった!』

 ネッゲル青年の体が地面から4mに迫ったとき、その落下地点へと疾走していたエースはビョンと飛翔し、体を斜めにひねって。なんと原始的な、飛び蹴りである。サッカーでいうオーバーヘッドシュートとボレーシュートの中間のように体をギュと捻り足を斧のように振りかぶった。あるいはプロレスの技で喩えるなら「延髄斬り」である!


 サウロイドの強力な武器である爪は、祖先(ラプトル)の形質のまま下向きであるので尖った先端を突き立てる向きではないが(足の甲で蹴るような形だからだ)ダチョウのようにパワフルな足から繰り出される回し蹴りの直撃は、人間が耐えられるものでもないだろう!


『くらえ!』

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