第179話 ちっとも可哀そうに思わない

 三人のサピエンスと一人のサウロイドの睨み合いは、西部劇のように延々に続くかと思われたが、それは突然に終わりを迎えた。サウロイドが突如にして踵を返し、背後の崖の方へ駆け出したのである。背中を晒すのも辞さずにエースは駆け出したのだ。


 もちろん逃げるためではない――!


 エースは助走をつけて崖のギリギリで踏み切ると、自慢の脚力で走り幅跳びのようにしてムーンリバー渓谷を飛び越えた。そして、フワッと空中散歩をしながら、眼下の谷底を進む人類の揚月隊の様子を見下ろして確認すると、すぐさま「増援」を決定した。

『シアン、GO!パープル、GO!』

 残す3機のテクノレックスのうち、じんるいの隊列の前と後ろに待機させていた2機に攻撃の指示を出す。ちょうど彼のほぼ真下では、まさか頭上を敵が浮遊通過しているとも気づかない敵部隊が、テクノレックスの一機目イエローをリンチするようにして今まさに制圧しようとしているところだった。

――早く、2機を増援にやらねば

『GO!GO!GO!』

 単に音声認識だからだが、まるで良く訓練された猟犬をけしかけているるようで、叫んで指示を出す様はなかなか格好いい。


 が一方、その後は少し情けなかった。

 次元跳躍孔ホールの影響により電磁波は減衰し、その音声認識がちゃんと受信されたか不安だったため、横断歩道のルールを律儀に守る子供のように左右を確認する必要があったからだ。

『聞こえたか…?』

 キョロキョロと左右の2機を確認しながら、エースは歯がゆそうにつぶやいた。

 彼はいま、谷底に伸びる人類の隊列のちょうど中央辺りを飛び越えている都合、隊列の前後から奇襲をかけるべく待ち伏せるシアン、パープルとは左右それぞれに100mずつぐらいは離れており、さすがのサウロイドの視力でも2機の姿はほとんど点に見えた。(地球という月にとっての太陽が昇っている事を感謝せねばなるまい)


 三回目の‟キョロキョロ”のとき、左100m遠方に見える点(パープル機だ)が敵陣たにぞこに飛び込むのは確認できたが……

『シアン!』右を向いたときに見える点、シアン機は谷の崖の上で伏せの体勢のままではないか――!

『GO!シアンGO!』

 エースは慌てて叫んだ。

 声が大きくなる。電波に変換されるので声の大きさに意味など無いが、仕方がない事であった。月とはいえジャンプの高度はどんどん下がり、谷の上を通過していく。『シアーン!』

 と、シアン機を顕す点がピクッと動いたように見えた。

 エースは目を見開きながら(人間が遠くを見るときは目を細めるが、サウロイドは逆なのだ)祈るような気持ちでそれを凝視した。

『頼む、いけ…!』

 

 彼の願いが通じたように、シアン機を顕す点は今までのが嘘のように突如にして躍動し、谷底へと飛び込んでいった。

『ふぅ!やったぜ』とりあえずは彼の作戦は二段階目に進んだ。『本部、さらに2機送った。1機目イエローはもうダメだ』

『了解。使い捨てて構いません』通信機越しにレオが応える。

『そのつもりさ』エースもニヤリと笑う。『これで…』

 これで2体のルークを真一文字に並ぶ敵陣の前後に送り込むことができた。ヤツらの大混乱ぶりが見れないのは残念だが、うまくいけば20


 20人ぐらいを殺害してくれるだろう――と思えないのは、エースが残忍な男であるからではない事を強調しておきたい。

 また「銃後の者にとって戦場は時としてゲームになってしまうのだ」といった訳知り顔もしたくない。横に並んだポーンの隊列の側面にルークを突入させ無抵抗に刈り取っていくような‟快感”を彼が覚えてしまったのは、ひとえに相手の顔が月面服で見えない事と、相手が違う生物であるという事に由来する。


『この闘いは終わらないな。ちっとも可哀想に思わないから』

 暖房の効いた司令室で戦いの様子(エースの実況中継)を俯瞰するゾフィはそう思ったが、その通りである。


――ちっとも可哀想に思わない


 エースは眼下で繰り広げられる闘いを ――半壊したテクノレックスイエローが背中に乗った男を振り払うと、無数の銃弾を浴びつつもさらに突撃して、乱射に固執して回避が遅れた一人を壁に叩きつける様を―― 見下ろしながらそう思った。


――ちっとも可哀想に思わない

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