第104話 ラグランジュポイント -星の綱引き-

 真之はチラッと時計を見た。ヒョードルとエーツーが移動し両翼500kmの陣形を作るまでには20分はかかるだろう。すこし与太話を続けても構わない。

 「私はフェニックスミサイル14発をティファニー山のみねにぶつけようと思っているのだが、どう思う?」

 訊ねられた青年は礼節をわきまえつつも、一切物怖じせずに反駁した。

「フェニックスですか?あれはが必要では?」


 月という球体の位置関係を文字で説明するのが難しいので地球儀に喩えれば…

 サウロイドの基地が日本だとすると、艦隊は今ハワイ-マダガスカル-グリーンランドを繋いだような円周を回っている形になる。言うまでも無く電磁波は直進するので、この周回軌道から。月の大地が電磁波を妨げてしまうからだ。

「それを回避するための‟ミラー”は設置済みだ」

 電磁波を折り返すだけの最簡易な中継衛星をUNSFではミラーと呼んでいた。真之はこの宇宙空間に設置されたミラーを使う事で月を回り込むようにして電磁波を送受信し、フェニックスミサイルを遠隔操作できると言っているのである。いったん月から遠いミラーに向かって電磁波を飛ばし、それがVターンしてきてフェニックスを遠隔操作するというわけだ。

 しかし当然ながらミラーの場所が気になるところである――我々と同じそんな質問をこの青年もした。

「お恥ずかしい、知りませんでした。に?」

「ああ、その通り。‟ミラー”だからな。


 ラグランジュポイントとは遠心力と重力がイコールになる場所である。

 重力に引かれて落下もしないし、遠心力で吹き飛ばされもしない、宇宙の海の「凪」といえるような穏やかな場所だ。ラグランジュポイントに物体は永遠にそこに止まる事になる。ラグランジュポイント自体は凄まじい速さで回転運動を続けるが、その物体は一切の燃料を必要としない。


「私の国には、Sonae-areba-Urei-nashi(ここは日本語で発音した)、という言葉があってな。地球から月軌道に移動する途中、ミラーを設置しておいたのだ」真之は開戦前のこの時間を愉しむように続ける。

「もっとも彼らが存外弱くて、このあと月軌道に投入予定の監視衛星が彼らに撃ち落とされないようならば…そちらを使う事になるだろうからな。そうなればミラーは悠久の刻の彷徨う忘れ去られた旅人になるだろう。50億年後、太陽が爆発して重力の均衡が崩れるまでな」

 真之は情緒たっぷりに話したが

「ラグはどの程度なのでしょう?」しかし、青年にはそういう感慨はない。非常に実務的な質問で返した。

「地球と月の間のラグランジュはかなり月寄りだ」叙情的な説明を無視された真之だが特段気にせず答えた。「0.5未満だったな?」

 ※1光秒は「秒」とつくが距離の単位である。約300,000,000メートル。


 先ほど、ラグランジュポイントは遠心力と重力がイコールになる場所と説明した。基本的にはその通りだが、地球と月の間のポイントの場合は少し事情が異なる。質点は地球と月の二つになり、双方が引き合っている事を考慮せねばならない。つまり地球と月の間のラグランジュポイントとは、地球と月が綱引きをして力が拮抗する位置になる。

 重力というは質量に比例し距離の二乗に反比例するため、質量の大きな地球は月に対して距離ハンデを与えてやる形になり、地球-月間のラグランジュポイントつりあうばしょは地球から遠く月から近い位置になる。


「はい、通信ラグは0.448秒になります」通信士が真之を補足した。

「つまり…えっと、ミラーの位置は…約6万kmでしたか?」

 光の速さが毎秒30万kmで、往復に約0.4秒かかるという事は片道2万kmだと導き出される。簡単な暗算で会話上は無意味であったが、青年の生真面目な性格はそういう所を指摘せざるを得ないようだ。

「そうなるな」真之は頷いた。

「お恥ずかしい。覚えておくべきなのですが」

「いやぁ」

 真之は日本人らしく、いやぁ、の一言で礼節とした。

 米国人の青年は当然、いやぁ、の後に何かが続くものだと思って、しばらく待っていたが何も無いので少し怪訝な顔になった。

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