第10話 何で

 春海さんは大人の男といた。あの時と同じ制服だけど、雰囲気が違う。制服が崩れていて、似合わない真紅の口紅をつけている。眉毛も少し長い。

 一方の男は、いってしまえば不潔で、小太りの体格だった。ぱんぱんのシャツに、はち切れそうなジーンズ。荒い鼻息と、左ポッケから数枚の万札が見える。

 二人は明らかに歪な関係に見えた。男は前屈みになって、彼女の肩を強く掴んでいる。乱雑に生えた髪が春海さんのそれとくっつきそうなほど、近い。


 すると、彼女はゆっくりと腰をかがめた。相手の男はジーンズのチャックに手をかけて、彼女の頭を掴む。彼女の髪が歪み、今にも食べてしまいそうな、そんな雰囲気だった。

 僕は二人をまじまじと見つめる。不思議な感覚だった。あんなに綺麗な女性ひとが今まさに汚れようとしている。それが途方もなく不快なのに、何もできない。足がすくむ。怖い。


 春海さんが相手のチャックに手をかける。二人が事に入ろうとする。

 僕はいよいよ恐ろしさが勝って、後退りする。目は離さず、足だけ動かす。

 だけど、その三歩目ぐらいで、小枝の折れた音がした。踏んでしまったらしい。二人がこちらを向いた。

 男は狼狽え、彼女は驚く。

 僕は瞬間、気が入って、「わっ!」と大声を挙げた。すると男はチャックを上げ、僕と真逆の方向へ逃げていった。一枚の一万円札が枯葉のようにひらひらと舞った。


 春海さんは落ちた一万円札を拾い、土汚れも気にせず制服のポッケへ突っ込む。


「ごめんね、変なもの見せて」


 酷く寂れた瞳だった。口調も少し、荒い。あの時綺麗に感じた白肌が、今はモザイク状のグレーに見える。

 僕は何も返せない。


「私、ウリ、やってるの。……知らないか。おじさんたちの玩具になって、お金貰ってるの」


 彼女は気の引いたように笑う。ぎこちなくて哀しい、笑みだった。

 

「何で、そんなこと」と僕は訊く。訊くことしか今はできなかった。


「うーん、前ね、死のうと思ってたの。あの屋上で、飛び降りて。でも、辞めた。辞めたから、今度は思いっきり汚れてやろうと思ったの。どう? 」


 「どう? 」と言われても、僕はわからない。僕は混乱していた。今さっき見た景色と、僕の彼女へのイメージが少しずつ乖離していく。

 彼女はまた笑った。笑ったというより苦笑だった。その苦笑が僕の心を酷くざらつかせた。

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