第8話 僕じゃないよ

 あの日から、僕と春海さんは定期的に会うようになった。場所は前と同じマンションの屋上。

 定期的といったけれど、特段僕らは約束も待ち合わせも何もしていなかった。どちらかが何となく気が向いた時に行ったら、大概一方もいる、そんな具合だった。

 

 僕と春海さんはいろんな話をした。互いの過去、学校の話、好きなもの、嫌いなもの。どうやら僕も春海さんも話すのが好きだったみたいで、一方がしばらく話す、返しにもう一方がしばらく話す、その繰り返しだった。

 そうして話し手と聞き手を交互しているうちに、日は暮れて、夜になる。春海さんは夕焼けから夜空になるつかの間の景色が好きだった。だから、僕らはそれを二人で眺めてからサヨナラをする。そういう日々が続いた。

 僕はこの日々が好きだった。連絡先一つ知らない二人だけど、互いのことはなんでも知った気がした。僕はこの時間だけ、僕を僕だと確認できた。


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 ある日の夕暮れ、春海さんは突然言い出した。


「もう一人の君に会ってみたい」


 刻々と変わる空が彼女の顔に映えて、その横顔にグラデーションとなって現れる。表情は少し微笑んでいたけれど、冗談の感じではなかった。

 

「なぜ?」と返す僕。


 酷く僕は困惑していた。これまでの春海さんとの時間は、不思議ともう一人の僕が出てこなかった。それどころか、あの日以降、もう一人の僕が出てくるのはめっきり減って、僕は彼の存在をどこか忘れようとしていた。

 春海さんは、その笑みを崩さない。


「カナタ君と話すのは、とっても楽しい。辛いことも、嫌なことも全て忘れられる。カナタ君のことをもっと知りたい。知りたいけれど、君だけじゃ教えてくれないことがあると思うの」


 少しの間、僕は悩んだ。僕は最近、上手くいってる。蹴られることも、嫌な目で見られることも減った。こうやって夜空を見れる。それは、多分、彼がでてこないから。


「……彼は、僕じゃないよ」


 つい、その言葉を発してしまった。外は暗くなって、今一つ春海さんの顔が見えない。

 春海さんは「そう」と一言行って去ってしまった。

 僕はしまったと思ったけれど、後悔はしなかった。だって当然のことだから。僕は彼の記憶がない。彼のやったことに僕は関係ない。僕と彼は身体が同じなだけ。ただそれだけのはずだった。

 それなのに、僕の心のどこか隅っこで、今までにない哀しみが木霊こだました。大事な何かを失った感覚だった。

 

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