第1話 朝がやってきた
朝はいつも唐突に降ってくる。ある時は、夕暮れの帰り道。ある時は、公園の昼下がり。もう一人の僕が急ににやってきて、僕は力任せに押しのけられる。そうして、気づいたらいつも朝。僕は夜を知らない。
「カナタ、朝ご飯できたよ」
お母さんの声が聞こえる。暖かい、太陽の声。僕がベットから起き上がって、一階のリビングに向かう。開いたカーテンの間から朝日が溢れて、テーブル上のスクランブルエッグを照らしている。台所からお母さんがトーストを運んできて、その姿はまるでマリア様みたいだった。
用意ができたら互いに向かい合って椅子に座る。
「天におられる私たちの主よ。あなたのお名前が神聖なものとされますように。
今日もおいしい食事をありがとうございます。
この食事をいただく前に、主イエスキリストのお名前を通してお祈りいたします。アーメン」
「アーメン」
お母さんがお祈りを告げる。それに従って僕も手を組んで「アーメン」と告げる。僕は宗教のことはよくわからないけれど、お祈りをすると心が少しすっきりする。
朝ご飯を食べて、僕は登校の用意をした。教科書を積めて、体操着を持つ。玄関に行くとお母さんが見送ってくれて、頬にキスをしてくれる。
「いってらっしゃい」
太陽の声に包まれて、僕は家を出る。
◆◇◆◇◆◇◆◇
外の世界は、少し怖い。時々、僕の心を笑ったり、なじったりしてくる。でも、そういう時は主の名前を心で唱えれば怖くない、そうお母さんが言っていた。
「よお、カナタ」
登校の最中、背中から声がした。アラタ君の声だ。僕が振り返ると同時に、股間に衝撃が走る。僕が膝をついて座り込むと周りの子たちは笑っていた。僕は主の名を心で唱えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
国語の時間、先生に当てられて僕は教科書を読んだ。上手く読むことはできなかったけれど、何とか読み切ったと思う。途中、僕が先生の顔をふと見ると先生は眉に皺を寄せて、お化粧を歪ませていた。僕は、心で主の名を唱えながら、音読した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
体育の時間。この日は柔道だった。僕はお母さんに言われた通り、先生に見学のことを伝えた。先生はいつも通り眉を傾けた後、腰をかがめて僕に囁く。
「なあ、カナタ。先生は、宗教のことよくわからないけど、本当にいいのか?」
「どういう意味ですか、先生」
「いや、ほら、お前も今年十三だろ、その、皆と一緒にやりたいっていうんなら、親に黙ってもいいというか…」
相沢先生は優しいと評判だった。だけど、この言葉が優しさなのか警告なのか僕は分からない。
「悪いこと、なんですか」
相沢先生は困った顔をした。如何にも答えに窮してるようで、そしてその奥に僕への「迷惑さ」がある気がした。僕はこの表情を何度か、見たことがある。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「貴方の心にはサタンがいるのかもね」
お母さんの「姉妹」の家に泊まった僕は朝方、唐突にそう言われた。半分笑って冗談混じりだったけれど、僕にはとんでもなくショックな言葉だった。
お母さんが寝る前に僕に読み聞かせる話では、サタンという悪い奴が優しい人達を騙していた。だから、お母さんと「姉妹」の人達は、主の教えを学びサタンを追い出そうとしている。でも、そのサタンは僕の中にいるらしい。
辺りを見渡すと昨日までは綺麗だった「姉妹」のリビングが、めちゃくちゃになっている。箪笥は倒れ、本は破かれていた。僕は怖くなって、そこからの記憶は覚えていない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
相沢先生の表情は、その時の「姉妹」の顔とよく似ていた。僕の深い胸の内がチクチクと痛む。相沢先生は何かと明るく話してる様だけど、僕の耳には入ってこない。その代わり、別の声が頭の中で反響した。
「貴方の心にはサタンがいるのかもね」
朝がやってきた。
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