1話:見た目は社畜、中身も社畜、その名も風間マサト
ブラック企ぎょ――、ネット関連の広告代理店に勤める、社畜目・社畜科・社畜属に分類される社畜。
名目上は営業職なのだが、いつの頃からか広告の運用管理、ライティングや報告書やらの作成も投げられるように。オールラウンダーという名の何でも屋、都合の良い男、ドラえもん。
別に仕事ができるから仕事を任されているわけではない。先輩や上司、同期たちが次々と星になっていき、後釜をなすりつけられているだけだ。
辞めてしまった先輩の言葉が今でも忘れられない。
「いいか風間。退職届はいつでも叩きつけられるように机に忍ばせておけ。辞めたいときが辞めどきだからな」
もう嫌、こんな会社。
嫌とホザきつつ、ダラダラと仕事を続けているのは、人よりも忍耐力が強いのか、はたまた図太いからか。
朝から晩まで、死んだ目で酷使無双し続ける悲しき日々である。
※ ※ ※
18時ジャスト。「終業時刻ですよ」というチャイムが社内に鳴り響く。
すなわち、「今日も残業頑張ろうね」というメッセージが脳内にこびり付く。
ノーパソ叩き割ったろかい。
画面を叩き割る根性などあるわけがなく。そんなことするくらいなら、キーボードをカタカタ叩いているほうが有意義。というよりマシ。
くだらないことを考えつつ、死んだ目で仕事をこなしていると、
「ただいま戻りましたー♪」
日も落ちているにも拘らず元気一杯、外回りから我が社の看板娘が戻ってくる。
伊波だ。
「伊波ちゃん、おかえりー!」
「暑かったでしょ? 今、麦茶用意するから待っててね」
「渚ちゃん帰ってきたから、エアコン下げてあげてー」
などなど。
「お前は目に入れても痛くない孫か」、とツッコみたくなるくらいのチヤホヤっぷり。
誰もが通り過ぎる伊波へとコミュニケーションを図らずにはいられない。
それくらい、伊波渚という女子は社内の人間に愛されているし、社内の誰しもに癒しを提供するオアシス的な存在。
愛想よく挨拶を返したり、受け取った麦茶を美味しそうにコクコク飲んだり、「私にはコレがあるから大丈夫です!」と誇らしげにハンディ扇風機を握り締めたり。
俗にいう愛されキャラという奴なのだろう。
気立ても良いし、仕事の飲み込みも早い。俺が教育してきた後輩の中でも、1番と断言してもいいくらい優秀な奴だ。
愛されキャラが、俺のもとへとやって来る。
「先輩、ただいまー♪」
「おう。お疲れさん」
「えへへ♪」
「??? どうした?」
「その素っ気ない返事が、亭主関白な旦那さんっぽくて素敵だなぁと」
へにゃ~、と溶けそうな笑顔で何を言っとんのだろうか。
確かに天真爛漫な笑顔は死ぬほど可愛いし、ヒーリング効果は絶大。
しかし、ここでデレデレするようでは教育係の名がすたる。
「アホぬかせ。そんなに素敵なら、もう一度外回り行ってくるか?」
「……。可哀想な先輩……」
「は?」
「私がもう一度外回りに行けるくらい、今日も沢山仕事が残ってるんですね……」
「ぐっ……、否定できないのが腹立つ……!」
伊波の頬がパンパンに。
「もうっ! また飲みに行くの遅くなるじゃないですか! 一体いつになったら私たちはハッピーアワーから飲めるんですか!」
「う、うるせー! ハッピーアワーなんてもんは実在しねえ!」
「あるもん! ハッピーアワーは本当にあるんだもん!」
そんな「トトロは本当にいるんだもん」みたいに言われましても。
認めよう。ハッピーアワー、『16時から19時はビール1杯200円』という破格なサービスは実在する。
けどだ。あんなもん、
あーあ……。低収入の源泉徴収票を見せたら、安くなるサービスとかやってくんねぇかなぁ……。
溜息付く間もなく、
「あははっ! 本当にアンタらの夫婦漫才は見てて飽きないわー」
「あん!?」
前方のデスクへと視界を合わせる。そこには、バラエティ番組でも観とんのかというくらい笑い続ける女が約1名。
明るめなミディアムボブ、耳を飾る白銀色のピアスは、コイツの陽気でオープンな性格を物語っている。目鼻がくっきりしているからだろう。少々派手なくらいが丁度良いとさえ思わせる。
中々にというか、かなり立派な胸の持ち主であり、今だって野郎の視線も何のその。堂々と豊満なバストをデスクへと載せ、いつもつけている小ぶりなネックレスは、ずっぽし谷間に入り込んでしまっている。
過去にチラ見していたことがバレ、「見たけりゃ見りゃいいじゃん。何なら揉んでみる?」と爆弾を放り込まれたのは記憶に新しい。
彼女の名は
他の同期が星になったのは言うまでもない。
「深広先輩、『め・お・と』漫才だなんて照れちゃうじゃないですか~」
「お~? 夫婦を強調するあたり、渚は風間の嫁になる気満々か~?」
「いや~ん♪」
伊波は俺と解散して、因幡とコンビを組めばいいのに。
「風間ー。可愛い後輩が飲みに行きたいって言ってんだから、連れて行ってあげればいいじゃん」
因幡がさらに前のめり。胸をへしゃげさせつつ、俺へと距離を詰めてくる。
「ハッピーアワーまで飲ませに飲ませて、『いいかい渚、これからホテルで真のハッピーアワーを楽しも――、」
「くたばれ、セクハラ親父」
美人なくせにオッサンみたいなことをいうのが因幡深広という生物。
これくらいタフな奴じゃないと、ブラック会社で生き抜くことはできないのだろう。
とはいえ、このタフネスさを伊波に継承してほしくはない。
「深広先輩も飲みに行きましょうよ」
「ノンノンノン。後輩の恋路を邪魔するほど、ワタシもヤボじゃないよん」
「深広先輩……! 私、頑張って先輩を落としてみせます!」
「落とせ落とせ! 最悪、物理的に落として、既成事実作っちゃえば勝ちだから!」
「了解ですっ。というわけでマサト先輩! 早く飲みに行きましょう!」
「どういうわけだよ……!」
倫理観、欠落しとんのかコイツらは。
伊波の教育係が、俺じゃなくて因幡だった場合のことを考えると恐ろしい。
もう毒されてる可能性も否めんが。
「というか伊波よ」
「はいです?」
「毎回言ってるけど、飲みに行く約束なんてしてねーだろ」
「風間は乙女心が分かってないなぁ」
「あ?」
伊波ではなく、因幡に肩をすくめられてしまう。
「女って生き物は、衝動を止められないもんなのよ。大好きな彼氏に、『会いたくて仕方ないから来ちゃった。きゃは♪』みたいな」
「よくドラマや漫画で見るシチュエーションだな」
「そそ。男も好きっしょ? そういうシチュ」
「俺は嫌いだぞ。いきなり来られたら予定狂うし」
「アンタ、チ〇コ付いてないんじゃないの?」
「立派なのが付いとるわ!」
パンツずり下ろしたろかい。
誰もが四六時中イチャつきたいと思ったら大間違いだバカヤロウ。
貴方には分からんでしょうね。男には1人だけで拘りたい時間があることを。
仕事終わり、酒とつまみを嗜みながらのゲームがどれだけの殺傷能力を秘めているか。
一日の疲れをアルコールが癒してくれ、敵に
全然寂しくなんかねーぞチクショウ。
閑話休題。
「そもそもだ。因幡の説が仮に正しいとしたら、酒好きの女は全員アル中じゃねーか」
『飲みたくて仕方ないから飲んじゃった。きゃは♪』とか言われたらゾッとするわ。居酒屋じゃなくて病院行けよ。
「はい! はい! はい!」と伊波が元気一杯、威勢よく手を挙げる。
「特別な理由や成果があれば、マサト先輩は一緒に飲んでくれるんですか?」
「理由や成果? ……まぁ、そうだな。何かしらあるんだったら、褒美として連れてってやらんでもない」
「ふふ~ん♪」
何ということでしょう。新卒小娘が教育係の先輩に向かって、胸高々、鼻高々にドヤ顔してきやがる。
教育的指導。小鼻をへし折ってやろうと手を伸ばすのだが、
「ウチの広告サービスに興味を持ってくれた会社さんがいました! しかも3社も!」
「えっ」
俺の反応が予想どおりだったようで、伊波はさらに上機嫌。ブイブイ、と両手でピースサインを作って満面の笑みである。
教育的指導も吹き飛び、思わず呟いてしまう。
「お前、マジで飛び込み営業の才能あるよな……」
「えへへ~♪ 褒めてもチューしかできませんよ?」
「せんでええわ」
「照れなくてもいいじゃないですかー」と唇を突き出して接近してくるあたり、前世は因幡同様、中年のセクハラ親父だったのだろう。
とはいえ、才能があると思うのは本心だ。ついこの前まで俺に同行していた奴が、今では商品説明から見積書にこぎつけるまで1人でこなせるのだから。
俺が新卒の頃なんて、飛び込みが嫌すぎて喫茶店で時間潰してたぞ。
「それもこれも、マサト先輩がビシバシと私を鍛えてくれてるおかげです」
「!」
「忙しいのに研修セミナーに同行してくれたり、私の不手際や分からないところも嫌な顔1つせずに教えてくださったり。例を1つ1つ挙げたらキリがないくらいです」
「伊波……」
アラサーに近づいてきたからか、涙腺が弱くなっている気がする。
俺が入社間もない頃の伊波との思い出を振り返っているように、伊波もまた、当時のことを思い返しているのだろう。
だからこそ、伊波はゆっくりと瞳を閉じ、自分の身体を抱きしめる。
「手取り足取り、ときには嫌がる私を押し倒して、乱暴かつ
「
「あれ~?」
感動を返せバカヤロウ。
大切なところでオドけるのは相変わらず。唇に指を押し当ててクスクスと笑い続ける。
そして、愛嬌たっぷりの笑顔で、
「先輩っ。これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますね♪」
「……お、おう」
本当にズルいよな。コイツの笑顔には、どんなイタズラもチャラにできる魔法が込められているのだから。
チャラどころか、お釣りまで発生するレベルだ。
両手で頬杖づく因幡は、俺を見てニヤニヤ。
「風間ー。男に二言は無いよね? 立派なのが付いてるなら尚更」
「お前は一言多いわ」
立派云々はさておき、因幡の言う通りなことくらい分かっている。
「まぁそうだな……。飛び込み頑張ったみたいだし、今日は飲みに行くか」
「! やった! 先輩大好きっ♪」
結局のところ、俺が一番コイツに甘々なのかもしれん。
仕方ないだろう。何事にも全力投球。一喜一憂し続ける後輩がいれば、可愛がりたくもなるのが先輩という生き物だし。
余程、飲みに行けるが嬉しいのか。
「ささ! お互い早く仕事を終わらせて、飲みに行きましょー!」
伊波はカットソーから小ぶりなヘソがチラ見えするくらい両手を目一杯掲げ、残業モードへと気持ちを切り替える。
俺たち同様、彼女も立派なZ《ざんぎょう》戦士。
「お前は本当にそれで良いのか……?」とツッコむのは野暮というものだろう。本人のモチベーションが高いのなら、先輩上司たるもの見守ってやるべき。
だからこそ、
「伊波ちゃ~~~ん! 今から一杯引っかけに行こーや!」
こういう空気の読めない上司には、なりたくないものである。
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