24万の瞳
田中ざくれろ
第1話24万の瞳
「すっ、捨て勇者、だと!?」
薄暗い森の中で、魔王はおののいた。金髪の子供が籠に入れられて、捨てられている。
そのステータスには『勇者』と明記されていた。
「ああ、こういう勇者の不法投棄が魔界の生態系を荒すんですね」麗顔と銀縁眼鏡が一体化した美形の魔界参謀ステラプザーが、スマホの鑑定アプリでその赤子のステータスの詳細を見る。有機ELの画面には『THE BRAVER』の表示と共に『LV152』の鑑定結果が出ていた。「0歳児の段階で3桁のレベル。これは異世界からの無双系転生勇者ですね。金髪という事はホーリードラゴンの加護を受けていますね。危険外来種です」
「ううむ。これで62人目か。思ったよりも急激に勇者が増えまくっているな」
魔王は硬質の左右の大顎を噛み合わせて歯噛みした。筋肉質な黒い腕を厚い胸板の前で組み、熱い息を吐く。
最近、魔界で勇者の捨て子が増えまくっているという噂は放っておけず、魔王エプゲレト自らが玄武の城よりわざわざ赴いて、実地調査を指揮していた。
ゴブリンやオークの大群があちこち歩き回り、街や森、洞窟を歩き回り、人間の捨て子を探す。
大空の雲上からも三十個以上の『眼』が広域探査する。
結果として、魔界全域で実に12万人近くの異世界からの勇者の赤子を発見するに至っていた。何の魔的要素の合体も見られない赤子だ。
「もし、乱交ハーレム構築型の勇者を1人でも見逃せば、あっという間に繁殖して魔界に勇者の勢力圏が出来てしまいますからね。最近はオネショタ系や孕ませ系も多いですから、成長しない内からすぐに勇者の子孫家族がはびこりますよ。戦闘国家や大冒険者軍団でも作られたらえらい事ですわ。1匹見つかれば30匹と言いますもの」褐色肌の淫女の守護者インムジンは美しく真っ赤な唇を歪める。
こんなに沢山の勇者が成長すれば、魔界の大半を占めるゴブリンやオーク、グレムリン、オーガー等はあっという間に駆逐されてしまうだろう。
そしてその内、勇者のレベルが高まれば、リッチやクラーケン、ダークドラゴン等の高等怪物までもが生息を脅かされる事態になる。
「この眼つきの悪いガキは何だ」
「ああ、それはダークファンタジー系の在来種ですじゃ」魔獣の軍を率いる魔界将軍ジギメタリウスが肌色の鱗をぬめらせながら答えた。「断絶された魔界貴族のご落胤、下克上型の反逆児、悪落ちしたミュータント等の魔界固有種の勇者はすぐ危険外来種に駆逐されてしまいますからな。リリースして大事に育てますじゃ」
「しかし、どうしていきなり魔界をおびやかすほど転生勇者が増えたのだ。魔界を含む全ての宇宙で合計霊魂数は常に同じだというではないか。魔界でこれだけ転生勇者が増えるというのは異世界でそれだけ大量に人が死んでいる事ではないか。核戦争を起こしている世界でもあるのか」
「全宇宙の霊魂量の保存法則ですね。……どうやら不法投棄されているのは全て『地球』からの転生勇者の様ですね」ステラプザーは奴隷達に命じ、大きな水晶球をディスプレイにした機械、魔界テレビを荷馬車からこの丘に据えた小城に運び込んだ。
仮の玉座に腰を据えたエプゲレトは、自分の背丈ほどに大きなその水晶球に映るビジョンを覗き込む。
そこに映ったのは魔界よりも物質的で近代的な大都市の街並みだが、規模に比べて一般人や車両の数が全然少ない。大半が閉店休業中の様だ。
「どうやらコビドとかいう疫病が大流行中の様で、どんどん地球の人間が死んでいます。ワクチンが作られていますが、政府への不信から拒否する者も多い様です」裏側からステラプザーも水晶球を覗き込んでいる。そこには人口の推移等を表示しているデータ・ウィンドウが開かれている。「地球は、天国極楽に行くほど善良ではなく、といって地獄に落ちるほど邪悪でない、中途半端な人間ばかりですからね。オカルトブームも下火で、幽霊になって現世にとどまろうとする者も少なくなっていますし」
「で、さまよう魂がこの魔界にどんどん勇者として転生しているというのか。……馬鹿な。なら何故、数多ある宇宙でこの魔界だけが」
「神界が一枚噛んでいるかもしれませんね」ステラプザーが不機嫌な顔をして意見を述べる。「神界は魔界を滅ぼしたがっております。転生した魂の行先をここに絞っているかもしれません」
神界とは数多の宇宙の中で一段階、霊的なステージが高い、創造者の宇宙である。
彼らはもはや『管理者』となって宇宙を全て管理しながらも、各宇宙への直接的な操作には及んでいない。……そのはずだった。
魔王エプゲレトは甲冑とマントを兼ねた流体金属の衣に包んだ長身を玉座から立ち上がらせて、ここから見えない神界を睨みつけた。
魔界は神界よりもわずかにステージが落ちるがその統率的な魔力と精神の悪性によって、常に神界を脅かす存在であり、遠き過去に数度、直接的な干渉を受けていた。
その聖戦は、魔界にとっては侵略戦争の形であった。
魔界は戦った。しかし何度も滅亡の危機が彼らを襲った。
魔王エプゲレトは最終的に、魔界のかなりの魔力を消費して魔界の因果律を支配するという大儀式に出た。
この魔界にあるものの全ては魔王による因果律の操作に組み込まれ、全ての反乱や侵略は必ず魔王に敗れるという運命に支配される事となった。
それは魔界民の大半の反感を買ったが、その反抗も因果律の前に敗れる運命となった。それは神界のものが魔界に対して戦いを挑んでもその形になった。
魔界は、魔王エプゲレトの為の精確な機械の歯車となったのだ。
「しかし、異世界からの転生勇者は違います。彼、彼女らは地球人として自分達のスキルや知識を持ち込んで、宇宙の因果律を引っかきまわしますわ。一頭の蝶の羽ばたきが嵐に成長する様に、いつかは魔界を脅かすほどの大乱に……」魔王の愛人でいる事を自ずから望んでいるインムジンは、豊満な姿態をいまいましげに、それでいて官能的に揺らした。
「神界の干渉か……もしかしたら地球の疫病も……」魔王は異形の表情を昏くした。それでいて邪悪な威厳は損なわれない。「まあ、いい。送られてきた全ての転生勇者全て見つけ出してを捕らえ、戦えぬ赤子の内に殺し続ければいいだけの事だ」
魔王エプゲレトは邪悪さを剥き出しにして大笑した。
「では、今集めてきた危険外来種の勇者は」ジギメタリウスが解りきった答を確認するかの如く長い舌をすする。
「おお。全てここで焼き殺してしまえ! それを魔界の全ての者達が鑑賞出来るよう大空に映せ! 魔界ネットやマスコミにもリアルタイムで中継しろ!」
猛悪な大笑だった。
かくして、これまで見つかった全ての勇者がこの城の中に集められた。愛くるしい笑顔の群はこれから自分を襲う仕置きに気づく知能はまだない。
夜になり、今夜は11個の月が空に昇った。
12万人の赤子が詰め込まれた城を、魔王の調査隊の全軍勢は堀に沿って並んで取り囲んだ。厚い肉の壁だ。
エプゲレトははね橋が下ろされたままの正門の前に1人立ち、両腕を空を抱える如くのばした。
眼を上げ、魔界のムードの論理概念を呼応させる呪文を短く紡ぐ、
すると頭上である両腕の間いっぱいに、まるで溶岩の塊の様な赤黒い大きな熱球が轟音を立てて発生した。外にいる者達の影が放射状に長くのびる。
ゴンオルカスの灼熱球。
魔王の魔法では最も魔力消費の少ない、低レベルの熱操作系魔法だ。
威力は、この小城に詰め込まれた赤子全員を一瞬で沸騰死させられるほど。
後はこの十分に成熟させた熱球を小城中央に瞬間転移させるだけだった。
この光景は夜空の雲一面にリアルタイムで浮かび上がり、ネットやTVにも魔界中に中継されている。
それは魔王エプゲレトの強さを魔界の民に再確認させると共に、観る者の心を動かすショーとなるだろう。
魔王が今まさにこの凶行を、魔界の人間達に見せつけようとした瞬間。
エプゲレトの動作が止まった。
思いがけずいきなりだった。
1人の赤子が城内から這い出てきたのだ。何を訴えているのか、だぁだぁと無邪気な笑顔で四つん這いで木造の跳ね橋の上をやってくる。
薄い赤毛で広い額を飾ったその0歳児は完全なる無垢に見えた。
魔界の者達はこのハプニングに何もアクションを起こさず、ただその赤子がきわめてゆっくりとエプゲレトの足元まで這いよるのを固唾を飲んで眺めていた。
小さなもみじ手がその黒革のブーツを触った瞬間、魔王の両腕の間からゴンオルカスの熱球が消失した。
「くっ、殺せぬ!」
魔王がひざまずいた。そして、その赤子を両手に抱え、抱きしめた。
「むうぅ! なんという愛くるしい笑顔! 無垢な笑顔とは何という恐るべき武器なのだ! これでは魔界の者でも思わず拾って育てたくなるではないか!」
さっきまで殺戮の魔法を放とうとしていた手で裸の赤子を抱きしめる。今の魔王には威厳がかけらもない。
「やめてくだされ、魔王様! これは魔界全土に実況されておりますじゃ! 民心に多大な影響を与えますじゃ!」ジギメタリウスが眼前の光景に狼狽の声を放った。
「……いや、お待ちください、魔王様」魔界テレビに接続して機能拡大したスマホを見ながら、ステラプザーが冷静な声で兵の混乱を制した。「魔王様が勇者の赤子を抱きしめた瞬間から、魔界ネットのSNSで『いいね!』が爆発的に上昇し、拡散の勢いが止まりません。巨大匿名掲示板や動画サイトにも『萌え~!』『エモい!』の類の書き込みがあふれています」
「馬鹿な! 魔界の民は『雨に濡れている捨て猫を拾う不良を陰から見て萌えるJK』程度のメンタルのだというの!」インムジンが眼を吊り上げた怒りの表情には、戸惑いもある。
「というか、捨て猫を拾う不良が、魔王様の今の立ち位置なのであるから……」ステラプザーがスマホを高速でチェックしながら意見を述べる。「魔王様、この好感度なら次の『13衛星の合』の儀式で、今までの10倍以上の魔力が集まりますよ」
その時、だぁだぁだぁだぁ!という声が渡り鳥の鳴き声の如くに甲高く城内から響き、近づいてきた。
12万人もの勇者の赤子が城内からの脱出口としてこの正門を見つけ、一斉に這い這いで行進してきたのだ。それは肌色の大河の流れだった。
皆は悟っていた。
この光景を魔界の民全てに実況中継してハートを奪っている今、ここで無抵抗な赤子の殺戮を開始したら逆効果だ。魔王の威厳が地に落ち、民心が一斉に離れる。
魔界で魔王から民心が離れるのは致命的だ。因果律の操作による支配などという強硬策をとったエプゲレトが今も魔王の地位でいられるのは、実力と民の心に寄り添う政策に裏打ちされたカリスマがあったからだ。
しかし、転生勇者の赤子をここで殺さないわけにはいかない。
何よりも次の13衛星の合が4日後に迫っているのだ。
13衛星の合。
20年に1度、訪れる、複雑な軌道を描く魔界の13個の月が最も近づきあって、重力影響が最大に高まる星辰。
それに応じて魔界の土地の魔力も、住む生き物達の魔力も最大になる。
そして、それら魔力は魔王へと集められ、魔王エプゲレトを核とする力の常時発動で、魔界の因果律支配の結界も、魔界に満ち溢れる空間魔力のエネルギーも強化更新がなされる。電力を必要としない魔界TV等の機器が使用出来るのもこの魔界に満ち溢れるエネルギーの効果なのだ。
そして、それは魔界の住人が魔王をどれだけ信頼しているか、崇めているかでその流入が大きく違ってくる。
今、赤子の殺戮など行ったら、民の魔王への信愛度は0になる。
次の13衛星の合は近い。魔王エプゲレトは今、一切の魔力エネルギーを失うか、いつもの10倍以上の魔力を集められるか、その瀬戸際にいた。
この12万人の危険外来種の命をどうするか。このまま、育てば魔界の脅威になる。
赤子の大群はは今やエプゲレトを取り囲み、その純真な24万の瞳を輝かせ、まるで母を慕うかの様に魔王を取り囲んでいる。その体温は夜気に湯気を立たせるまでであった。
エプゲレトは決断した。
「インムジン!」
エプゲレトは淫魔の守護者の名を呼んだ。
「は! ここに!」
「貴様、ミルクを出せるな!?」
「は!? あ、はい。わたくしも我が配下サッキュバス50万人の誰でも噴乳プレイが出来ますが」
「貴様らが勇者の母乳担当だ!」
「あ、は、はい!」
「魔王様! どういう事で!?」」
「ステラプザー! 貴様はこの先20年の転生勇者の赤子の洗脳教育計画を作成せよ! まず12万人を保育出来る界立保育所を作り、幼稚園、小学校、中学校、高校まで計画せよ! 状況に応じて大学と大学院を作れ! それに関しては土地と資材と国家予算の自由な裁量を任す! ……ジギメタリウス!」
「は! 魔王様」
「ゴブリンやオーク、オーガー、トロール、ジャイアントの軍団を率いて、ステラプザーの指示する保育園等の建造物の建築を行え! 施工に専念せよ! 大至急だ!」
「は! 解りましたのじゃ!」
小城の周囲から怪物の影が退いていく。今や魔王の20年計画の為に魔界の全軍が動き始めていた。
「神界の奴らめ……いずれ、自分達の策謀が甘かった事を思い知らせてやるわ……」魔王エプゲレトは双子と思しき2人の赤子を抱え上げ、それを胸に抱いた。「危険外来種を全て赤子の内から洗脳教育し、その強大なる力を魔界の戦力として組み入れてくれん。見ておれ、20年後にはこの魔界の方から貴様らの神界へと12万人の勇者を率いて侵攻してやる!」
魔王は呵呵大笑した。
赤子達はきゃらきゃらと無邪気に笑った。
かくして魔王エプゲレト自らが理事長となり、転生勇者の一大洗脳教育計画はここに始まった。
やがて20年の内に12万人の転生勇者達は幼稚園や学校に通い、学び、遊び、スポーツや趣味に励み、思春期を迎えて恋をし、学園祭や体育祭を体験し、修学旅行でそれぞれ異性の風呂を覗きに行き、哲学し、挫折し、立ち直ったりして、学生生活の中で人間的に成長する事になった。
結果として魔王の洗脳計画は失敗した。転生勇者は日日培った自由奔放な精神で、人間としてそれぞれが立派に自立したのだった。
その青春の中、転生勇者達は魔界の民との交流で、逆に彼らの方を洗脳するかの如く青臭い少年少女の主張でその邪悪な性根をまっすぐにしてしまい、魔界の性質をすっかり浄化してしまった。
12万人の転生勇者達の父として母として彼、彼女らにつきそった魔王エプゲレトもその精神が癒された者達の仲間入りをしていた。次第に神界への侵攻などどうでもよくなり、卒業式で勇者達が自分に捧げる感謝の言葉を聞いて大泣きするほど性格がすっかり丸くなってしまった。彼の20年は幸せだった。
こうして魔界は邪悪な宇宙ではなくなったのだ。
12万人の転生勇者はやがて魔界の因果律を支配する大仕掛けを陰で操る黒幕的存在を突き止め、魔王の全軍と協力して、それを討ち滅ぼす壮大なクエストを開始する事になるのだが、それが語られるのはまた別の機会である。
24万の瞳 田中ざくれろ @devodevo
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