非日常的ながっかりイケメン

 「フラれた」と報告した自分を慰めるわけでも、詮索するわけでもない。気を遣っているのか、関心が無いのか。いや、どちらでも無いのかもしれない。

 きっと、彼には見えているのだろう。フラれたというのに、この胸の内に広がる清々しく晴れ渡った青空が。

 なんの根拠もない。だが、そう信じてしまう。きっと、彼なら……そう思わせる何かがあるのだ。

 イケメンだから? いや、違う。そんな単純なことじゃない。これは――この『信頼』にも似た感覚は――もしかしたら、自分もようやく『見える』ようになったのかもしれない。『がっかりイケメン』ではなく、藤本曽良という同級生を。この三日間を通して。

 ひらりと階段室の屋根から飛び降りる曽良を見守りながら、鈴木は漠然とそう思った。


「あの……いろいろ、ありがとうございました」


 軽い身のこなしで着地した曽良に、鈴木は照れながらも頭を下げた。


「なにが?」

「なにが、て……だから、いろいろ、ですよ」


 思い返せば、礼を言わなきゃならないことが山ほどある。

 たった三日。曽良と出会ってから、鈴木の日常は様変わりした。そりゃ、迷惑だと思ったことも山ほどあるが……今となっては、どうでもよかった。

 鈴木は頭をかいて、恥ずかしそうに頬を染めた。


「藤本くんがいなかったら、僕、藤本さんに告白なんてできませんでした」

「なに言ってるのサ。俺は何もしてないよ」

「そんなことありませんよ! 藤本くんがいたから……」

「告白したとき、『藤本くん』なんていなかったでしょう」


 はっとする鈴木に、曽良は満足そうに微笑んだ。


「一番いいところを見逃しちゃったよ」


 冗談っぽく言って、青空を振り仰ぐ。その涼しげな横顔に、鈴木はつい見とれていた。

 じっとどこかを見つめる茶色まじりの黒い瞳。そこに映っているものは何なのか。彼の見ている世界はどんなものなのか。そもそも、いったい彼はなにを考えているのだろうか。

 つかめない性格。予測できない行動。謎めいた雰囲気。なるほど、女子が狂ったように彼の第二ボタンを求めるわけだ。

 悟ったように鈴木はふっと微笑し――と、そこで「あっ!」と思い出す。


「そうだ……第二ボタン」

「第二ボタン?」

「いやぁ、実は……クラスの女の子たちに藤本くんの第二ボタンを貰って来い、て言われたんですよ」


 どちらかと言えば、『脅された』だが。


「偶然、藤本さんがそれを聞いてたんです。で、藤本くんがここにいることを教えてくれて……て、何してるんですか!?」


 鈴木の説明はそっちのけで、曽良はそそくさと学ランを脱ぎだしていた。迷いのない動きでボタンを外し、はらりとワイシャツ一枚になると、「はい」と脱いだ学ランを鈴木に差し出してきた。


「足りる?」

「……は」

「ボタン」


 鈴木は言葉を失った。

 屋上を通り過ぎた春風が一段と強くぶつかってきた。まるで、曽良の爽やかすぎる笑顔に嫉妬でもしたかのように……。


「あ、いやいや!」ややあってから、曽良の意図を悟って鈴木は首を振った。「いいですよ! てか、まだ寒いんですから、風邪引きますよ」

「大丈夫だよ。俺は絶対風邪ひかない、て砺波も言ってたし」


 いや、それは暗にバカだと言われているだけだろう。


「とにかく、いいですって。てか、第二ボタンですから。学ランごともらっても……」

「そっか。第二ボタン限定か」

「もういっそのこと、藤本くんは第二ボタンを死守してくださいよ。そのほうが平和に収まるんじゃないですか? 誰かがもらえば、それはそれで暴動が起こるでしょうし」


 曽良はすっきりしない表情を浮かべていたが、一応納得したのか「確かに」とつぶやいた。

 月面にでもいるかのようにのろのろと学ランに袖を通し、ボタンを閉じていく。――そんな曽良の様子に、鈴木は苦笑していた。さすがの曽良も疲れているようだ。そりゃあ、朝から追っかけ回されては当然か。


「『彼女いるから』て言えたら楽だったかもしれませんね」


 慰めるように言うと、曽良は「そうかもね」と重いため息をもらした。


「てか……普通に彼女欲しいよ」

「は……」


 それは、聞き逃しそうなほどの小さな独り言――というより、情けない泣き言だった。

 鈴木はきょとんとして目をぱちくりさせる。


 校内だけにとどまらず、この地域一帯の全女子中学生が憧れるイケメン。常に羨望の眼差しが向けられ、卒業式には彼を巡って学校中が暴動さながらの大騒ぎ。

 そんなイケメンは噂の人でしかなかった。遠い存在だった。自分とは無縁の存在だと思っていた。常に平均的で、特徴もなく、『田中』と呼ばれ続けて来た自分とは別世界の人間。そう思っていた。

 でも、そんな彼がこぼした悩みは、あまりに平均的すぎて……。

 鈴木はひどい脱力感を覚えて、諦めたように笑っていた。


「ほんと……がっかりだ」

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