第25話 高校三年生進級

 そして僕らは高校三年生になった。

 沙紀と大知はあいかわらず低空飛行の成績だけど、赤点は取らなくなった。それだけでも大きな進歩だと思う。二人は文系で僕は理系クラスだ。教室は隣同士で、いつものようにベランダで顔を合わせている。

 五月の連休から沙紀がコンビニでアルバイトを始めた。伊佐高校は許可申請さえ出してあればアルバイトは原則自由だ。

 遊ぶお金でも稼ぐのかと思ったら、そうではないようだった。

 昼休みに大知が就職相談で職員室に呼ばれて、一人で退屈なのか、沙紀がベランダに出てきた。バイトを始めた理由をこっそり教えてくれた。

「いつ子供ができてもいいように稼いでおこうと思って」

 ん、ということは?

「まあ、そういう関係ってことよ。ちゃんと避妊はしてるけどね」

 生々しいな。

「お互い十八過ぎたら、いざとなったら結婚してもいいし」

「しっかりしてるんだかなんだかよく分からないけど、そうなったら祝福はするよ」

 ベランダの手すりに背中を乗せるようにして沙紀がのけぞる。胸が強調される。あいかわらずすごい景色だ。

「なあ、まだ大きくなってるのか、それ」

「それって言うな、コラ」

 笑いながら沙紀がうなずく。マジかよ。

「春休みにさ……」

 くるりと向きを変えて、胸を隠すようにしながら手すりに腕をのせて沙紀がつぶやく。

「夜中に、急に泣きたくなっちゃってさ。あいつに電話したのよ。夜中の二時くらいだったかな」

 ときどき彩佳さんのことを思い出して泣くことがあると沙紀が話してくれたことがある。無理もないことだ。自分の部屋で一緒に寝ていた従姉妹が死んでしまったのだ。僕も辛いけど、沙紀も苦しんでいるんだろう。

「高一の時に、忠元公園であたしとヤマトがつきあうことになったときにさ、『あたしが呼び出したらすぐに来てよ』って言ったでしょ。だからさ、電話したのよ。そしたら、あいつ、ちゃんと来てくれてさ。『俺がいるから心配するな』って」

 なんだよ。らしくないけど、かっこいいじゃないか。

「『そばにいてやることしかできないけど』って言うんだけど、そうやってくれるなら、それだけで他に本当に何もいらないんだなって」

 そうだな。それができるなら、何もいらないな。

「まあ、あとはほら、自然とそうなったわけよ」

 ふうん、そうなのか。

 え、あれ?

「大知、夜中におまえの部屋に入ってきたのか」

「そうだよ」

 よく親にばれなかったな。

「親は知ってるよ」

 マジかよ。

「ていうかさ、その日の朝に紹介したってわけよ」

 男前すぎるな、沙紀の方が。

「さすがにヤマトのやつ、居心地悪そうだったけどね」

「あいつ、ちゃんと両親に挨拶したの?」

 沙紀がうなずく。

「うちのお母さんとは一度会ってたんでしょ」

 高校一年生の文化祭の時だ。沙紀の母親が働いているスーパーに材料の買い出しに行ったのだ。

「お母さんは『あら、いらっしゃい』なんて、ふつうだったけど、お父さんはさすがにびっくりしてたね」

 そりゃそうだろう。

 いやいや、びっくりだけですむ話なのか。そっちの方がびっくりだ。

「でも、あいつ、『俺、真剣なんで、おつきあいさせてください。卒業したらちゃんと就職して働いて稼ぎます』って頭下げてた。お父さんもつられて頭下げてた。ま、そんなもんよ」

 なんかちょっと泣けてきた。

「何よ、どうしたのよ」

「あいつ、偉いなって」

「あんたが保護者みたいじゃん」

 まあ、留年バツイチのあいつが三年生になれるようにだいぶ協力してやったのは事実だ。

 それにしても大知のやつ、沙紀のためならなんでもするんだな。

 僕なら夜明け前に窓から逃げ出しているだろう。そもそも忍び込む勇気すらない。

『カズ君、来てくれないの?』

 僕はどこまでもヘタレだ。

「よかったね。大事にされてるんだな」

「うらやましい?」

「うん」

 もちろんうらやましい。そういう人がいてくれるってどんなものなのか、僕には分からない。分かりそうだったけど、分からないままだ。これからも分かることはないだろう。

 ねたみとかひがみのような気持ちはなかった。純粋に沙紀と大知には幸せになってほしいと思う。

「よう、今村」

 書類封筒を持った大知がベランダに出てきた。

「就職活動の資料もらってきたぜ」

 二人の関係について話を聞いた後でも、特に今までと感じが変わったわけでもなかった。見た目が変わるわけでもないし、見せつけるような態度を取るわけでもない。昨日までと同じ制服を着たふつうの高校生同士だ。

「こんどはおまえの番だってよ、先生が呼んでたぜ」と大知が沙紀に告げた。

「え、あたしかよ。面倒くさいな。しょうがない、行ってくるか」

 沙紀が職員室に行ってしまって、大知と二人だけになった。

「就職活動始まるんだね」

「おう」と、大知が封筒で僕をあおぐ。前髪が目にかかるからやめろよ。

 僕が髪をかき上げると大知がぽつりとつぶやいた。

「あいつに捨てられないように稼がないといけないからな」

「それはないんじゃないかな。大丈夫だろ」

 さっきの話からすれば、沙紀だって大知を大切に思っているのは間違いない。

「だってさ、あいつめちゃくちゃいい女だろ。天国みたいなんだぜ」

 のろけというわけでもなく、真顔で言われるとどう返事したらよいのか分からない。

 僕はその手の話は苦手だ。まるで経験もないし、想像もつかない。

 沙紀から聞いた話の流れでそういう言い方されると何も返事ができない。

 真顔で言うことじゃないだろなんてつっこむ余裕すらない。

「俺さ、天国に行くのが怖いんだ」

「なんだよ急に」

 まるで話の筋が分からない。しかも、天国に行くのが前提かよ。地獄行きの可能性は考えもしないのが大知らしい。

 ベランダの手すりにもたれかかって、腕をだらりと外にたらして話す。オットセイの皮を干してるみたいだ。

「天国にも女がいるだろ。天国にいるくらいだから、天使みたいな女だろ」

「まあ、そうなのかな」

「あいつに比べたらよ、いくら天国の女だって、絶対満足できないって。天国の女ってのは最高なはずじゃん。でもよ、あいつよりすごい女なんかいるわけないだろ。ということは、俺、永久に苦しまなくちゃならないじゃんか。天国なのに地獄って最悪じゃんか。あんないい女、二度と出会えないってことだろ。今のこの幸運がなくなったらどうしようかって、想像するだけでもおそろしいぜ」

 まあ、言いたいことは分かる。

 まさに僕と同じ状態だよ。

 僕はすでに失ってしまったわけだけどね。

 だからこそ、沙紀を失いたくないという大知の気持ちはよく分かる。

 でも、いくらなんでも、真顔でそんなこと言われても困る。

「なあ、大知。そういう話は他のやつにはしてないよね」

「おう、言ってないけど、なんでだ?」

「ほら、あんまり良さを強調すると、沙紀がみんなに狙われるだろ」

「お、そうか、やべえ。内緒にしておくぞ。サンキュー、今村」

 まあ、僕以外の奴らに言いふらされたら、沙紀もイヤだろう。

 その日の放課後、大知と別れて沙紀と二人で歩いているとやっぱり聞かれた。

「ヤマトのやつ、なんか変なこと言ってた?」

「いや、べつに」

 はぐらかすしかなかった。

「エッチ系でしょ」

 なんで分かる。

「あんたすぐ顔に出るよね」

 ああ、まあ、ばれるか。

「あんたがはぐらかす時って、だいたいそうじゃん。昔からそういう話全然しなかったでしょ。恋愛とか、エッチ系とか、宇宙の反対側にあるような人だからね」

 天国とか宇宙とか、おまえらスケールでかいな。

 恋するとなんでも大きく見える魔法にかかるんだろうか。

 魔法か。

 僕は魔法を知らない。

 これからも知ることはないんだろう。

 小学校以来、こうして数え切れないくらい歩いた通学路だけど、お互い違う道を歩み始めたんだなと思った。高校を卒業したら完全に終わるんだ。

 僕がそんなことを考えていると、沙紀がポンと手を叩いた。

「ヤマトのやつ、ちょっと無神経なこと言ったんでしょ」

 そこまでお見通しかよ。

「いや、べつに気にしてないよ。大事にされてていいじゃん」

「ちょっとは気をつかえって思わない?」

「大知は、そういうの苦手だろ。べつに悪気はないんだし。それにさ……」

「それに?」

「実際、出会えたチャンスをつかまなかった僕が悪いんだし」

「またそういうことを言う……」

 沙紀がため息をついて黙り込んでしまった。

 彩佳さんの死から一年近くが過ぎて、もうすぐまた夏がやってくる。

 僕にとって、夏はこれからも特別な季節であり続けるんだろう。

 でも、僕だって大学受験に向けて前に進んでいる。

 決して後ろばかりを向いているわけではない。

 べつに気をつかってくれなくてもいいんだけど、やっぱり心配なんだろうな。

 僕の家の前まで来て、沙紀が僕の目を見つめた。

「彩佳のことばかりじゃなくて、他の人にも目を向けたら?」

 と言われても、こんな過疎地には相手がいない。

 考えてみれば、小学校のころから今までずっと沙紀と一緒にいたこと自体が奇跡みたいなもんだったんだろう。

 この小さな街にはもともと気になる人はいなかった。

 沙紀がいて、彩佳さんがこの街に来てくれたことが奇跡だったんだ。

 探そうとすればするほど、彩佳さんのことしか見えなくなってしまう。

 もう彼女はいないんだ。

 その事実ばかりが重くのしかかってくる。

 沙紀がつぶやく。

「一人だとやっぱり時々不安になってさ。ヤマトと一緒にいるから安心していられるって実感するんだよね。あんたも誰かいい人見つけないと」

「僕もそのうちこの街を出る。そうしたら、新しい出会いがあるかもしれないさ」

「そっか」

 沙紀はそうつぶやいてうつむいた。

「そうなると寂しいね」

 らしくないな。いつもなら、脇腹でもつついてからかってくれるのに。

「まあ、あたしもヤマトと一緒に出ていくんだけどね」

 そうなると、もうこの街には何の未練もないな。

 鹿児島県伊佐市。

 僕らの育ったこの街がどんどん色あせていく。

 この街には何もない。

 未来も過去も希望も思い出も、もう僕にはなんの意味もない。

「今日もこれからバイトか?」

「うん。じゃあね」

「がんばれよ」

 沙紀の背中に声をかける。あいつも、大知と二人で僕の知らない街で生きていくんだろう。お互い、大人になるんだ。

 あ、あいつら、もうオトナか。

 急に顔が熱くなる。妙に生々しい実感がわいてきた。

 僕は周回遅れなんだ。

 僕は魔法を知らない。

 だから、もう二度と追いつくことはないだろう。

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