第24話 形見の品

 夏休み明けに、沙紀の家に呼ばれた。

 彩佳さんの残していった荷物の相談だった。

「おばさんがね、使える物は使って、あとは処分してくれって言うから、あんたにも何かあげようと思って」

 宅配段ボール二箱分の荷物の中身は、学校の宿題で出された問題集と筆記用具、あとは着替えの服などだった。

 お祭りに着ていくと言っていた浴衣もあった。

 中身が入っていて膨らんだ巾着袋がある。

「その中、下着だけど、いる?」

 僕は返事ができなかった。

「あ、ゴメン。マジでゴメン。そういうつもりじゃなかったんだけどさ、ホント、ゴメン。あたしって最低だよね」

「あ、いや」

 沙紀は悪くない。僕の気を紛らわせようと冗談を言っただけなんだ。

 僕が悪者になって受け止めてやらなきゃならないんだ。

「でも、沙紀だって、取っておいたって、役に立たないだろ」

「うん。柄はかわいいんだけど、サイズが全然。ていうかさ、あたしくらいのサイズだと、こういうカワイイ柄のやつってないんだよね。もう、なんかさ、もろ実用的というかさ、鎧かって感じ」

「重装備だな」

「ほんと、そういう意味ではうらやましいんだよね」

 会話が途切れる。

 沙紀が泣きそうな顔をしている。

 沈黙に覆われた部屋で僕らは遺品を見つめていた。

 ちゃんと言わなくちゃだめなんだ。僕の方が励ましてやらなくちゃいけないんだ。

「ごめんな、気をつかわせちゃって。励ましてくれてありがとう」

 沙紀が鼻をすすりながらうなずく。

 泣かせないように、僕は努めて明るく言った。

「あ、あのさ。問題集と、あと、ペンをもらうよ。一生懸命勉強して、大学行くんだ」

「うん、彩佳もきっと喜ぶよ」

 僕は分厚い英語参考書と三色ボールペンをもらった。

 筆記用具の中から消しゴムを取り出して、沙紀がケースをはずす。

 真っ白だ。

「あんたの名前でも書いてあるんじゃないかって期待したけど、だめだったね」

「今時中学生だってそんなことしないだろ」

 ちょっとは期待したけどね。

 さすがの僕でも消しゴムに彩佳さんの名前なんか書けなかった。沙紀にそんな弱みを見つけられたら、一生からかわれ続けただろう。

 今となっては、言われ続けた方がましだったんだろうけどね。

「あの子、物は大事に使う方だったからね。落書きとか、そういうのはやらないか」

 沙紀が消しゴムをケースに戻して僕にくれた。

 僕はその日から、分厚い英語参考書を最初からずっと読み進めていった。

 ノートに例文を書き写し、それを暗記していく。

 彩佳さんは参考書をすでに一通り勉強し終わっていたらしい。ところどころページの番号に丸印がついていて、日付が記入されていた。おそらく授業で小テストでもあったんだろう。同じ高校生とは思えない勉強量だった。

 伊佐高校では、こんな小テストをやったら、クラスの半分以上が落第点だろう。こういう勉強をしている人たちと戦わないと大学には合格できないんだと思い知らされた。狭い田舎のことしか見ていないと、そんなことを全然知らずに大学入試に挑んでしまうところだったのだ。

 僕は英語が苦手だったけど、ページをめくるのがもどかしいほど勉強に取り組むようになった。

 ページをめくるたびに、マーカーで塗ったところとか、赤ペンで丸く囲って『覚える』と書き込まれているのを見つけたりした。無駄な落書きはないけど、必要な書き込みはどのページにもあった。僕もその通りにノートに書き写していった。

『カズ君、ここは覚えなきゃだめなんだよ』

 彩佳さんと一緒に図書室で勉強しているような気分だった。

 そういう妄想に浸りながらも、頭の半分では冷静に現実をかみしめていた。

 でも、現実から逃避したいという気持ちがあったからこそ、目の前の参考書に集中することもできたのだった。英語で頭をいっぱいにすれば、他のことは考えなくてすむ。

 三色ボールペンと消しゴムはお守りとして使わないでおいた。

 英語は単語や例文を覚えればなんとかなる。秋から冬になり、年明けにおこなわれた模擬試験でも、英語に関しては全国平均を少しだけ上回る成績を取れるようになっていた。たいしたことではないかもしれないけど、僕にとっては自信になる結果だった。

 そうやって英語の勉強を進めているとき、参考書のページ隅に英文が書かれているのを見つけた。

 I wish I were a bird.

 If I were a bird, I could fly to you.

 仮定法の英文だった。

 そのページに掲載されている例文をわざわざ隅に書き写してあるのだった。

 ここまでの他のページには、暗記用のしるし以外にはそのような書き込みはなかったので、ちょっと気になった。

『私が鳥だったらよかったのに。もしも私が鳥ならば、あなたのところへ飛んでいけるのに』

 もしも僕が鳥なら彩佳さんのところへ飛んでいけるだろうか。

 いくら仮定の話でもだめだ。いくら鳥になっても飛んでいくことはできない。もうこの世にはいないのだから。

 僕は悲しくなって、お守りがわりの彩佳さんの消しゴムを握りしめた。ふと、ずれたケースを直そうとしていったん消しゴムをはずしたとき、僕は思いがけないものを見つけた。

『昭レ和』

 消しゴムではなく、ケースの中裏に、小さく細い字で、でもはっきりと書いてあったのだ。

 昭和の間に漢文のレ点が書かれていた。

 昭和がひっくり返って和昭。

 カズアキ。

 落書きをしない真面目な人がこっそり書いていたんだ。

 涙が止まらなかった。

 なんで花火大会なんて、そんなものにこだわってしまったんだろう。

 バスターミナルで再会したとき、すぐに言うべきだったんだ。

 君が好きだ。

 その一言を……。

 涙をこらえて目を閉じると、彩佳さんが浮かんできて僕から消しゴムを取り返そうとする。

『だめだよ、カズ君、見ちゃだめ』

『なんで? 気になるじゃんか』

『だって、願い事は見られたらかなわないんだよ』

 僕は見てしまった。

 そうか、だからかなわなかったのか。

 ごめんよ、彩佳。

 もう、会うことはできないんだね。

 たとえ鳥になっても、二度と君のところに飛んでいくことはできないんだね。

 目を開けると、そこにあるのは、いつもの救いようのない絶望だけだった。

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