PM 06:47

「うぅ……寒い……」

 思い切って自動ドアの外に足を踏み出すと、やや湿った冷たい風が首を撫でていく。私は思わず、ぐるぐると巻いた臙脂色のマフラーに首を埋めた。


 12月24日の夕方。

 私は下宿先のアパートから徒歩20分ほどの位置にあるスーパーに来ていた。

 右手にはこれから数日分の食料が入ったエコバッグ。


 明日から大学は二週間ほどの冬季休業に入る。

 この時期は寒いし、何よりせっかくの休みに外出するのはめんどくさいので一気に買い込んだ、というわけだ。

 あとはもう、ナマケモノになろうと、カタツムリになろうと自由である。


 腕時計をちらりと見る。時刻は6時47分。

 時刻もかなり遅くなってきたし、お腹も空いてきたので、もう一度マフラーにしっかり首を埋めると、猫背になって歩き出す。

 ついでに左手をコートのポケットに突っ込むと、何かくしゃりと音がした。


 ドア付近で立ち止まるのはいかがなものかと思ったけれど、人もいないので立ち止まって、私はポケットの中身を取り出す。

 入っていたのは、アパートから程近いコンビニ・トキウマートのクリスマス限定クーポンだった。どうやら、これを使えばデザートが割引されるらしい。


 そういえば、今日はクリスマス・イヴだったか。


 右手をちらりと見る。

 少し、いや、かなり重たいけれど、何もコンビニに寄れないほど重たいわけじゃない。


「寄って帰るか」


 木枯らしの中、一人呟いて私は歩き始めた。



 *****



 今日はみぞれが降った。

 だから、地面が凍っているので、慎重に慎重に足を進める。


 お年寄りのような足取りで、どうにかスーパーの敷地から出て、1〜2分ほど歩いた頃だろうか。

 「よっ」という気安い声とともに、肩を叩かれた。


 転ばないように慎重に振り返ると、

「あ、立石」

 そこには、高校の同級生の立石がいた。


 立石春太郎たていししゅんたろうは私の高校時代の同級生だ。

 高2以来、すっかり関わりは途絶えていたが、つい2ヶ月ほど前、例のトキウマートで再会した。ちなみに立石が店員で、私が客だ。


 それから、時たまトキウマートでアルバイトしているところに出会でくわしたりしていたが、店外で会うのは初めてだった。


 立石は紺色のロングコートに、グレーのマフラーを巻いて、背中に黒いリュックを背負っている。

 普段見ている、バイトの青い制服以外の姿を見るのは、少し不思議な気分だった。


 立石が私の右横に並びながら訊いてくる。

「買い物の帰り?」

「うん。立石は?」

「俺はさっきまで友達と図書館でレポートやってた。んで、今からバイト行くとこ」

「コンビニの?」

「おう」

「じゃあさ。私もコンビニ寄るつもりだし、一緒に行こうよ」


 軽い気持ちで提案すると、立石が固まった。

「えっ」

「え」


 何か変なことを言っただろうか。

 立石の顔を下から覗き込むと、勢いよく顔を逸らされてしまった。

「い、いや、別に何も」


 少し立石の様子がおかしいが、連れ立って歩き始める。

 その最中、ふと思いついて話を振った。

「天気予報では降るって言ってたけど、結局雪降んなかったねー」

「一応降ったろ?」

「いや、あれほぼ霙だったじゃん」


 大学進学前まで住んでいた地元は全く雪が降らない地域だった。

 だから、昨日雪の予報をテレビで見た時、内心「雪だ!」と大喜びしたのに、蓋を開けてみればどうだ。ただの霙ではないか。


 まあ、元からこの地域に住んでいる友達に聞いたところ、この辺りで『雪』と言えば、みんな霙を連想するらしい。浮かれていたのは私だけだったというわけだ。


 この悲しみを、地元が同じ立石と共有しようと思っていたのに、当の立石は苦々しい顔をしていた。

「雪にせよ霙にせよ、良いもんじゃないだろ」

「え、立石、雪慣れてるの?」

「ばーちゃん家が豪雪地帯にあってさー。正月に行く度、雪かき手伝わされるし、帰りに立ち往生するし、もう散々だよ。それに今日だって、本当は自転車で図書館行くつもりだったけど、地面凍ってるから歩きに変えたし」

「そう、なんだ」


 言われてみれば、雪かき中に亡くなった方や雪で立ち往生した人、路面凍結による交通事故のニュースは毎年よく見る。

 雪が降ってほしいだなんて、不謹慎だったかもしれない。


 一人反省をしていると、立石がややわざとらしく切り出した。

「あー、そー言えば!」

「ん?」

「雪っていうので思い出したんだけど、昨日変なこと言ってる客が店に来てさ」

「変なこと?」

 首を傾げると、立石は「そうそう」と大きく頷いた。


「夜の10時半回ったくらいに、女子高生が来てさ。で、会計してたら、その子が『明日、雪降るって言ってましたよね』って訊いてきて」

「うん」

「で、『あー、言ってましたね』って言ったら、その子『良かった』って言ったんだよ。変じゃね?」


 一度考えてみる。

「そうかなあ。単に雪景色見たかった、とかいろいろ理由はあると思うよ」

「いや、それはないと思う。だって、その女子高生、東桜台とうおうだいの制服着てたし」

「と言いますと?」


 話の流れ見えなくて、つい訊き返す。

 ちなみに東桜台というのは、スーパーからさらに北に行ったところにある共学の私立高校だ。


「東桜台ってこの辺の学校だろ? だから、例の女子高生もこの辺に住んでるってことじゃん」

「うん」

 東桜台の生徒には悪いが、東桜台は取り立てて名門というわけではないので、県外から生徒が来ることは稀だ。例の女子高生も地元はこの辺りである可能性が極めて高い。


「そうなんだとしたら、『雪が降る』って予報聞いて、白い雪が降るとは思わないだろ。『ああ、霙っぽいのが降るんだろうなー』って思うはず」

「あ、そっか」


 確かに、霙にも趣はあるっちゃあるが、正直なところ雨と景色はあまり変わらない。景色を期待している説はなしか。

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