The Lighte 〜ザ・ライト〜 《I》玉座乗りと人間モドキの秋旅

ウツユリン

プロローグ.山の朝

 自分をよぶハイテンションな声で、永有珠えいうすは目を覚ました。

 少なくとも、まぶたを開ける努力はした。

「……ス……」

 まどろみの中で聞くその声は中性的で、ハツラツとしている。まるでチアリーダーだ。

 いつも応援してくれるチアがいて、しかも朝には傍で起こしてくれる。夢のよう、とだれしも一度は憧れるかもしれない。

 しかし、それが毎日だったら、どうだろう。

 声が大きいのはまだ、いい。ここは永有珠の自宅兼、書斎のトレーラーハウスで、昨晩から紅葉の美しい山中の河原に駐めている。せせらぎに木の葉のささやきだけがそよいでいくような場所だ。ご近所迷惑の心配はいらない。

 そもそも、トレーラーハウスはフルカスタマイズの完全防音仕様である。もし、蓮華スローンのなかの永有珠にしびれを切らしたが、トレーラーから漏れるほど声を張りあげたなら、鼓膜は八つ裂きになるだろう。

 トレーラーは永有珠のにあわせ、予備の蓮華スローンに、体がすっぽり収まるバスルーム、医療センター並みの高性能を誇る医柩メディカルポッドまでそろっている。

 おかげで車体サイズも肥大化し、室内の幅だけで五百二十二センチと、二十一世紀も終わりにさしかかった現在までつづく神事、相撲の土俵より広い。

 さらに、奥行き九百十四センチ、高さが六百六センチ。月に停泊する富裕層のプライベートクルーザーほどもある。車が空を飛べなかった半世紀まえであれば、公道を走ることすら不可能だったにちがいない。

 大型バスを二台、縦に積み上げたような車体を外から眺めて、イギリスの巨石陣ストーンヘンジのひとつに見える、とハイテンションな声の持ち主は評していた。

「……マス‼」

 永有珠をよぶ声はまだ止まらない。こんなことなら、布団代わりのエネルギー膜、ヴェールで耳栓をしておけばよかったと、ほとんど覚醒した永有珠は考えていた。

 その脳波を捉えたスローンが、静かに動きだした。

 体をピッタリ包むインナーの表面に、無数の白い点が浮かびあがる。黒い生地に散らばる点々が星座のようにつながり、東洋医学の指南書さながら、身体を動かすポイントを描いた。それぞれがマイクロメートルサイズのヒーターで、体温を調節し、電気信号をあたえ筋肉を刺激する。

 スローンの内側は伸縮自在のナノ繊維、〈羽衣〉が、体の凹凸にあわせ波のようにたゆたい、風船よろしく膨張して加重を分散している。その〈羽衣〉が仰臥位から座位へ、ポジションを整えていく。ついでに睡眠中に凝り固まった体まで、ほぐしてくれる。

 優れ物のこの乗り物は、いわば体の一部だ。たいがいのことは、それこそ目をつぶっていても自動的にこなしてくれる。

 だが、すべてとはいかない。

「……それ以上、惰眠をむさぼってたら、朝ごはんはグリーンスムージにしますからね、仮マス」

 グイッと顔を寄せた彼女のが、チャリチャリと小気味よく揺れた。

「『……わかった』」

 片目を半目に開いた永有珠の口は動いていない。枕代わりのヘッドレストが脳波の一部を読みとって言語にしただけだ。テレパシーのようなコミュニケートテクノロジーは未だ開発されておらず、非侵襲のスキャナーにできるのはせいぜいが単語を予測し、音声を流すくらい。ちなみにスピーカーの声は在りし日に録っておいた永有珠の肉声だ。

「だいたい仮マスは寝すぎなんですよ。きのうだって、夕食のあとすぐに寝たじゃないですか。せっかく、しし座流星群がキレイにみえるっていうのに。ホント、ロマンもなにもありませんね」

 ひどい言われようだが、永有珠はスローンが起きあがるのを静かに待つことにした。寝起きのことから星座へ話題がうつった彼女と、口でやりあうのは、コンピュータと計算を競うようなものだ。

 レモン色のスカートの腰に手をあててまくしたてる姿は、二十代そこらかもっと元気な若い娘にみえる。じっさい、彼女がのが十七年まえだから、差はない。

 灼けた小麦色のほっそりした腕には、タトゥーのような線が幾何学模様を描いている。ペイントでも、傷痕でもない線はマダムたち御用達のシワ伸ばし《スプリングス》でもなく、人間そっくりの肌を亀裂のように走り、ぼぅっと、ブルーに光っている。毛細血管のようなラインは太さを変えながら顔までつづいているが、途中、切れている場所もあった。

 よく動く表情は現代の人間でもめずらしいくらい、感情ゆたかだ。喜怒哀楽がはっきり出る顔立ちはアラビアンな香りがあるなかに、東洋のしずしずとした美しさをたたえ、右の目元のホクロが化粧っけのない素顔に華をそえる。

「……まえにも言いましたけど、火星のオリンポス山は単独登攀が禁止されているんですよ。警備はこの山の比じゃなくて、艦隊の一個分隊がつねに見はっていて……」

 大げさなジェスチャーと見開いた紫陽花の瞳が、明かりを落とした車内でも子供のようにキラキラと輝いている。

 人間オーガニックの瞳よりいくぶん大きい純粋無垢な人工水晶体アイノイドに、グラスファイバーの腰まである長髪をツインテールにし、みずみずしい小豆色の無肌イノーガスキンには細い傷痕のような、海より薄い空碧あくあ格子ラインが走る。

「『……ブルーテ』」

 それが、彼女の名前。

 面倒をみてくれる唯一の、そして、そういってよければ永有珠にとってただ一人の家族である、人間もどき《ヒューマノイド》の名前だ。

「……ワタシにかかければ、山守の部隊くらい、ちょちょいのちょいですが……って、どうしました仮マス? キモチわるい顔して」

 蹴りを繰りだしたまま、胡乱に目を細めるブルーテ。

 申し分のない家族だが、難癖をつけるとすれば、この口である。

「そういう顔は、穢らわしいケダモノが憐れな小娘を狙うときにうかべる類いですよ。あ‼」

 さっと、両手で体を抱いたブルーテの目には人工涙ルナティアがうかんでいる。憐れな小娘なら、蹴りあげた踵を微動だにせず片脚で立ってはいられないだろう。ましてや、スニーカーの底を鼻先ギリギリで寸止めする芸当もできはしない。

 履き古した靴の底はディスプレイになっていて、いくつかの単語が並んでいた。

 その中から過激な表現をさけ、選んだワードを永有珠の

「『君は、すてきだ』」

「つまらないですね、ホント。敷かれたレールを走るだけなんて。大陸横断浮遊鉄道ウロボロスが完成したのは、もう三十四年もまえですよ」

 つまり、永有珠の選んだ言葉が気に入らなかったらしい。ストレートなのか、回りくどいのか。ブルーテの言葉は、とにかく一筋縄では理解が追いつかない。

 失望した、とでも言いたげに首をふると、ヒューマノイドはチェック柄の背を向けて歩きだした。

 今度は、ブルーテの蹴りにあわせて律儀に止まっていたスローンが、起床のプロセスを再開。次第に角度をあげていくリクライニングシートにもたれながら、永有珠は、「歳をとったな」と心の中で自嘲しつつ、温かいものを感じていた。

 朝から振りまわされている感は否めないが、それもまた一興である。

「ふふーん」

 振りまわした張本人のほうはハミングしながらトレーラーの後方へ、スキップしていっている。途中、人並み外れた跳躍力で二階ほどの高さまで飛びあがると、プランターから色鮮やかな実を次々、採っていく。

 ブルーテの通り過ぎたあとには、暁色に沈んだ壁も、床も、天井も追いかけるように明るくなっていった。さきまで明けの空を映していた、ディスプレイ代わりのヴェールの壁紙が、色づいていくにつれ、せせらぎや、小鳥の鳴き声が重なっていく。暗い箱のようだったトレーラーの中が、早朝の陽差しと澄んだ空気を取りこみ、色彩を取り戻していく。

 喫茶店よろしく流れ始めたサックスのメロディはブルーテの鼻唄と同じ、永有珠お気に入りのスムースジャズだ。

「『いまは何時だ?』」

 シートの調整が済み、永有珠のスローンがわずかに浮きあがった。視界をかすかな"波"が伝い、視野の左下にキーボードが表示されたのを皮切りに、時計、気温、バイタルモニターがオーバーレイされ、縮小表示されたトレーラーの3Dモデルのパラメータが緑のシグナルを示す。

 ミニチュアトレーラーの横では『BUTLER』と書かれた二頭身のブルーテが自身のパラメータを、擦って消している。ブルーテは自分の状態を監視されるのが嫌いだ。いわく、

「仮マス、プライバシーの侵害ですよ? 毎朝のぞくなんて筋金入りのケダモノですね」

「『なら毎回、凝った演出をけしかけてくるほうは、暇だな』」

 永有珠の目が投影されたキーボードを素早く駆けると、そんな皮肉がスローンのスピーカーから返った。

「ちょっと⁉」

 床に降り、トレーラーの中ほどにあるキッチンに立っていたブルーテは、いつのまにかエプロン姿である。前掛けには武骨なフォントで『おいしいは正義ヒーロー』の文字が躍る。

「仮マス。いま、って言いましたね?」

 フライパンのフチで卵を割っていたブルーテが素早く振りかえると、日光で輝いていた髪が、真紅に燃えあがる。紫の瞳にはわかりやすく、炎が映っていた。

「『……口がすべった』」

 振りかぶったフォームから一直線に卵が向かって、くることはなかった。

 その代わり、トレーラーの空間にが入った。

「ワタシは、ヒューマノイドですっ‼」

 肉眼で見る青空に勝るものはない、と解体されたトレーラーの中央で永有珠はしみじみ思ったのだった。

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