【外伝】劫火のマリアベル
淡島かりす
1. 嵐の夜に
人が自分を身勝手と言うのならば、きっとそうなのだろう。評価に対して何か文句を言う立場にはない。せめてそれを甘んじて受け入れることが、自分にできる僅かな善意である。
カンベ・ストラ・マリアベルの生き様は、殆どが養父である男によってもたらされている。銃器を作ることに無垢なまでの情熱を注いだカンベ・オウリは、命をジリジリと削り取るようにして、最高傑作の銃を作り出した。その銃は確かに完璧だった。父親からその後の生きる上の情熱をすべて奪い去るほどに。
抜け殻のようになった父親を、しかしマリアベルは悲しいとは思わなかった。命を燃やし尽くしてでも成し遂げたいものがあった父親のことをうらやましいとすら思った。身を焦がすほどの激情は、恐らくあれは「恋」だった。父親は銃に恋して銃に殉じた。
「おとぎ話のハッピーエンドなんて生ぬるいわ。父は劫火で魂を燃やし尽くして、最後は焼野原の中に一人取り残された。父にとっては其処こそが目指した場所だった」
「それがハッピーエンドですか」
低い声が尋ねた。地下室には地上に叩きつけられる雨の音が煩く響いている。五年に一度の巨大台風が接近していると、ニュース番組が報じていたことをマリアベルは思い出した。
目の前にいる男は手に持っている特殊警棒を手持無沙汰に回しながら、天井を軽く見上げた。
「凄い音ですね」
「話をするには都合が良いでしょう。ネズミですら家に帰るような夜よ」
「出来れば僕も帰りたいところだ」
惰性で伸ばしたらしい茶色い髪が照明の下で揺れて、雨の雫が数滴床に滑り落ちた。傘を差す習性はないらしい。
マリアベルはそれを見ながら、何となく自分の髪に指を寄せた。銀色の腰まで届く長い髪は、三十を超えたあたりから白髪が混じるようになった。髪を結い上げたピンを抜くときに、五回に一度は中途半端に白くなったものが絡んでいる。元の色のおかげで然程目立ちはしないが、気にならないと言えば嘘になる。
「こういう仕事は運び屋向きではないんですか。「フリージア」とか「銀鼠」とか、貴女なら探せるはずだ」
「いいえ、貴方で構わない。それとも何か不満が?」
目を見つめるようにして問い返すと、男は軽く肩を竦めた。
「滅相もない。喜んで引き受けますよ」
マリアベルは男の表情が相変わらず乏しいのを見て眉を寄せた。何を考えているのかわかりにくい。何かを計算高く考えているようにも見えるし、その逆にも受け取れる。
それというのも男が顔につけている革製のマスクのせいだった。灰色に染色されたマスクにより鼻から下が隠れているため、視線と眉の動きでしか表情を探ることが出来ない。本人曰く、幼いころに罹った感染症へのトラウマが原因らしい。無論、裏稼業ゆえに身に着けている可能性も否定できなかった。
「第四博物館にある「カラス弐号」をレプリカと取り換えてこい、なんて面白い依頼ですからね」
「正確には「カラス参号として展示されている弐号」ね」
「学芸員が間違いましたか」
「いいえ、私がわざと誤った情報を流したの。父の最高傑作を誰にも渡さないために」
「なるほど。策士ですね」
「まさか。ジュニアスクールのカードマスターのほうが良い手を打つわ。彼らには手駒を殺すことへの躊躇がない」
男はどうやら笑ったようだった。
マリアベルは、今頃は夢の中にいるであろう娘のことを思い浮かべた。夫は、まだ少なくとも強引な手段には出ないだろう。
娘のエストレは人工的に作り出した、いわゆる人造人間だった。夫であるアンドロイドの生体情報をナノマシンにして、マリアベルの卵子の中に入れた。ナノマシンはプログラミングされた動きのままに細胞分裂を行い、そして一人の人間を作り出した。
娘の体の中にはナノマシンが残っている。だがそれはもはや耐久年数を超えようとしていた。少なくともあと二年。それ以上はナノマシンが暴発を起こして、肉体の瓦解を引き起こす。
エストレを人間として生存させるべきだと主張したマリアベルと、アンドロイドに改造すべきだと主張したカインは、見事に衝突をした。それは決着を見出せそうになかった。
エストレは人間として育っている。それを覆すことは出来ない。だが、ナノマシンを体から取り除く方法をマリアベルは知らない。カインは仕事柄詳しいはずだが、恐らく隠している。
どうしてもその情報を手に入れたかった。たとえ全てを犠牲にしても。アンドロイドと人間の間に生まれた子供、という業をエストレに背負わせたのは間違いなく自分である。エストレが人間として生きる道を選ぶのであれば、それを守ってやらねばならない。
たとえ、その行きつく先が劫火に焼かれた世界だとしても。
「交換屋」
テーブルの上に置かれた歯車を一つ摘まんだマリアベルは、それを顔の前に掲げた。小さな穴の向こうで男が「はい」と答える。
顧客の要望に応じて、様々な物体や事柄を「交換」することを生業にしている男は、二十歳そこそこの若さにしては有能だった。どこかの組織の内部工作のために武器庫の中身を丸ごと入れ替えたり、名のある議員の腹に埋め込まれるはずだった弾丸を愛人の額へと貫通させたり、その仕事は多岐に渡る。
「依頼内容だけど、追加しても良いかしら」
「内容次第ですね。洗面所のバルブを閉めるぐらいは出来ますけど、トイレ掃除は勘弁してください」
「私も同行するわ」
男は唯一露出している目を大きく見開いた。深淵のような色を湛えた目にマリアベルの姿が映っている。
「笑えない冗談ですね」
「神ではあるまいし、笑えないジョークを言う趣味はないわね」
「僕のことを護衛か何かと思っていませんか? 生憎、銃も刃物も苦手なんですよ」
「それについては気が合うわね。でも、私は貴方の仕事を見届けなければいけない」
マリアベルの言葉に男は眉を寄せた。
「僕の仕事が信用ならない?」
「いいえ。交換屋スラッグ、貴方のことは以前の依頼で信用してる。だからこそ同行するの」
「そういう駆け引きみたいなのは苦手なんですよ。まだ信用されていないと言われたほうがマシだ」
スラッグと呼ばれた男は面倒そうに呟いた。あまり自己評価が高くなく、自虐めいた言い回しが多いのは短い付き合いでよくわかっていた。裏稼業の人間としては珍しい部類と言えるだろう。だがマリアベルはそのことで相手の評価を下げたことはない。
「勿論、タダとは言わない。侵入経路の確保、その手助けをしましょう」
「嬉しい申し出でで。僕はキビダンゴでも貴女にあげればいいですか?」
「随分珍しい話を知っているのね」
スラッグは肩を竦めて首を左右に振る。
「話を読んだことはないですよ。そういうのが好きなのが仕事仲間にいるんです」
「博識なお友達ね」
「どうだか。……僕としては金を頂けるなら文句はありませんが、貴女を守り抜くかと聞かれれば回答はノーです。そこまで自惚れちゃいない」
マリアベルはその答えを予期していた。相手の性格を考えれば、そういった言葉が出るのは十分に予測出来ることである。
「別に構わないわよ。もしもの時は私を見捨てて逃げなさい」
「いいんですか?」
自分から言い出したにも関わらず、スラッグは驚いた声を出した。存外素直な反応にマリアベルは満足する。力を持たない彼女にとっての武器は、動じない心と舌先三寸のみである。凡そこれまで、その武器を砕かれたことはない。
「その程度で死ぬのであれば、所詮はそこまでの運だったということよ。その先に賭ける価値もない」
「賭け事が好きとは知りませんでした」
「お金を賭ける趣味はないわ」
作業台の上にあった封筒を手にしたマリアベルは、それを相手に投げて渡した。ぐしゃりと音を立てて握りつぶされ、中に入っていたカードの形に袋が歪む。
「前金よ。暗証コードは封筒に書いてある。三日以内に引き落として頂戴」
「……わかりました。決行は?」
「少なくとも今日はベッドで寝れるわよ」
「出来れば明日もそう願いたいですね」
スラッグは封筒を破り捨てて、カードだけを手の中に残した。特殊警棒を腰のベルトに差して椅子から立ち上がる。椅子の上は彼の髪同様にジワリと濡れていた。
「それでは今宵は失礼します。よい夜を、スラスト」
「貴方もね」
形ばかりのあいさつを交わし、スラッグは部屋を出て行った。
残されたマリアベルは、誰の気配もしなくなってから大きな溜息を吐く。こんな夜は雨の音だけで憂鬱になりそうだった。せめて少しでも気分を上げようと、部屋の隅に置いてあるコーヒーサーバの方へ足を向けた。少し高い豆を使ったコーヒーに、とっておきの砂糖を入れれば少しはこの気持ちも晴れる。アンドロイドの夫には決して理解されない感覚を、しかしマリアベルは大事にしていた。
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