第一章 ~『英雄となった村人』~
突然現れた闖入者に群衆がざわめく。龍の一撃を受け止めたのだ。只者でないと皆が理解する。
「おい、誰だあれは……」
「もしかして村外れに住んでいるカイトじゃないか」
「あの虐められていた奴か。でも龍の攻撃を受け止めたぞ」
「もしかしたら実力を隠していただけで、本当は強いのかも……」
憶測に似た声がヒソヒソと流れる。だがその声を掻き消すように、カイトは叫んだ。
「全員、今すぐ逃げて欲しい!」
カイトの声に、群衆は肩をビクッと震わせる。だが動きは見せない。説得するように、彼は言葉を続ける。
「ヤマトが命賭けで時間を稼いだんだ。それは村人たちを龍から逃がすためだ。その覚悟を無駄にしないでくれ」
群衆はカイトの言葉にハッとさせられる。ヤマトの勝利を信じて赤龍との闘いを見物していたが、本来なら自分たちは時間を稼いでくれている間に逃げるべきだったのだと悟る。
村人たちの顔に申し訳なさが浮かぶ。必死に戦ってくれたヤマトを誹謗したことを恥じるように、頭を下げた。
「すまなかった、ヤマト。俺たちのために戦ってくれたのに」
「皆、急いで逃げようぜ。でないとあいつの頑張りが無駄になる」
「さすが村長の息子だぜ」
村人たちは一斉に逃げ出す。その様子をヤマトは呆然と眺めていた。
「なぁ、どうして俺を庇ってくれたんだ?」
それは龍の攻撃を防いだことだけではない。地の底まで落ちていたヤマトの評判を覆したことも含まれていた。
「答えてくれよ。俺はカイトを裏切った。自分でもクズで最低だと思う。そんな俺をどうして許してくれたんだ?」
「許してないよ。僕はヤマトを一生恨み続ける」
「ならどうして俺を救った?」
「僕の尊敬するアルドさんなら、きっと君を庇うと思ったからだ」
私欲のために殺されかけたのだ。その事実は決して消えないし、恨みが簡単に解消されるはずもない。
だがカイトは目標とするアルドに近づくために復讐心を押し殺した。正義のために、目の前の赤龍との闘いに集中する。
「お、俺も一緒に戦う」
「ヤマトは武器もないだろ。それにまだ足が震えている」
「こ、これは……武者震いだ」
「無理しなくていいさ。それよりも頼みがある」
「頼み?」
「僕の妹を守って欲しい」
村外れに住む妹が心配で赤龍との闘いに意識が割かれるかもしれない。そうならないためにも安心が欲しかった。
「分かった……カイトの妹は必ず俺が守りぬく」
「頼んだよ」
ヤマトは震えた足で立ち上がると、逃げるように、この場から立ち去る。彼ならハイゴブリン相手に後れを取ることはない。必ず妹を救ってくれるはずだ。
「ふぅ、これで心置きなく戦える」
赤龍と対峙することで、その威圧感を全身で感じ取る。巨大な肉体と、鋭い爪に牙。そのどれもが、カイトの命を容易く奪える脅威を秘めている。
「お爺さんの動きを思い出せ。必ず首を刎ねてやるんだ」
赤龍が鋭い爪をカイトへと突き立てる。刺さると即死の一撃を剣で受け止める。衝撃を受け流せたのか、彼に加わった衝撃は思いの外に小さい。
「僕の魔剣なら折れる心配はない。爪の切り裂きはすべて受け流してやる」
赤龍はそれから何度も爪を突き立てるが、そのすべてをカイトは防ぎきる。決着の付かない勝負に苛立ちを覚えたのか、赤龍は大きく息を吸い込み始めた。
「チャンスだ!」
炎のブレスこそカイトの待ち望んでいた攻撃だった。息を吐き出すまでのタイムラグは、接近を容易にしてくれる。
駆けるカイトに赤龍は口から炎を吐く。肌が焼けるような一撃だ。そのブレスをカイトは左手を盾にしながら受け止めた。
(熱いし、火傷した腕が痛いッ)
左手を犠牲にした接近はあまりに命知らずな方法である。だがカイトには秘策があった。間合いに入ると、大きく息を吸い込んで、魔剣を龍の足に突き刺す。
串刺しになった剣の先から血が零れ落ちる、『癒しの魔剣』は魔物の血を吸うことで、持ち主の傷を修復する。火傷で腫れあがった左上は瞬く間の内に元通りとなった。
「赤龍は攻撃力に特化している分、緑龍よりも防御力が低いようだね」
深紅の鱗は鋼鉄のように硬いが、カイトの剣戟であれば十分傷を付けることができる。剣を振るうたびに刀傷が増え、ボロボロになった龍の前足から血が零れ落ちた。
「この場に留めるためにも、龍の足はここで確実に潰す」
仮にカイトが敗れたとしても、足さえ潰しておけば、アルドが来るまでの時間稼ぎができる。
(呼吸を止めるな。剣を打ち込み続けるんだ)
一太刀浴びせるごとに血飛沫が舞う。連続で繰り出される剣戟が、龍の足を切り傷だらけにする。
「よしっ! これでもう満足に動けないはずだ!」
軸足を動かすたびに、切り傷の痛みが奔る。人であれば、その場に蹲るほどの重症だ。
カイトは時間稼ぎの役割を果たしたと、達成感を覚える。だがそこで想定外の事態が起きた。
「龍の羽が……」
カイトは失念していた。相手は人ではない。翼を持つ龍なのだ。足による歩行だけが移動手段ではない。
羽ばたこうとする赤龍を何とかその場に留めようと剣戟を繰り返す。しかし傷を負わせることができても致命傷にはならない。赤龍は天高く羽ばたき、カイトの剣が届かない距離まで飛翔する。
「……っ――ア、アルドさんと時間を稼ぐと約束したのに」
アルドの期待を裏切ってしまったことに罪悪感を覚える。
(空に逃げられたら僕にできることは何もない。村人にも犠牲を出してしまう)
カイトにとって赤龍は逃すことのできない宿敵だが、赤龍にとってカイトは大勢いる人間の一人でしかない。このまま無視されるに違いないと考えていた。
しかし赤龍は上空を旋回しながら、視線をカイトから外さない。彼は思い違いをしていたのだ。赤龍にとってもカイトは足を切り傷だらけにした宿敵なのだ。本能で生きる魔物が、憎い敵を見逃すはずがない。
「グオオオオッ」
赤龍は雄叫びをあげながら、大きく口を開く。鋭い牙を剥けながら、地上へと落下する。
落下地点には剣を構えるカイトがいた。迫ってくる赤龍を前にして、カイトの脳内に走馬燈が過る。
(思えば、僕はお爺さんのようになりたかったんだ)
子供の頃のカイトは、龍を討伐した祖父にいつもベッタリだった。偉大な祖父を持てたことに、誇りさえ感じていた。
しかし祖父は褒められることが苦手なのか、照れくさそうに自分は英雄ではないと否定していた。
謙遜する祖父を周囲の人たちはさらに褒めたたえた。だがどれだけ賞賛されても祖父が鼻を高くすることはなかった。銅像が建てられた時も、自分のような凡人には恐れ多いと、恥ずかしいとさえ感じていたほどだ。
(お爺さんが剣を抜いた時は、いつだって大切な人が脅かされた時だ)
龍を討伐した時も、行商人の祖母が襲われたことがキッカケだ。龍の炎でボロボロになりながらも勝利を得たからこそ、人々の心を動かし、英雄と称えられたのだ。
(僕は凡人だ。華麗な剣技で龍に勝つなんてできない。でも――)
カイトを食うために赤龍は、大口を開けて迫ってくる。このままでは食われる。だがそれでいいとさえ思えていた。
(大事なのはタイミングだ)
赤龍が口を閉じようとする。このままだと丸呑みになる。その瞬間、カイトは剣を牙に叩きつける。
だが龍の咬合力は強く、カイトの右足を巻き込む形で口が閉ざされる。足から血が溢れ、痛みが奔る。
(痛い、痛い、だが目的は果たせた)
口が閉ざされたことで赤龍の鼻先を掴むことができた。そのまま龍の頭の上へと移動する。
「俺はアルドさんじゃない。剣技で首を落とすことはできない。でも龍にも急所はあるよな」
カイトは魔剣を赤龍の眼に突き立てる。鱗で守られていない眼球だ。剣はバターを斬るように、瞳に傷を付けた。
「グオオオオッ」
赤龍は痛みで叫びながら、カイトを頭の上から落とそうと、首を振って暴れる。彼は何とか食らいつこうと、剣を必死に握って、揺れを耐えきる。
「僕の予想が正しければ、そろそろ始まるはずだ」
剣を深く刺すほどに、赤龍の眼から血が流れる。その血を魔剣が吸い込んだおかげか、カイトの足はトカゲの尻尾のように新しく生えてくる。
「赤龍の血には癒しの力がある。そこに魔剣の癒しが合わされば、欠損した足さえ復元できるはず。危険な賭けだったけど、成功して良かった」
赤龍は首の揺れでは落とせないと気づいたのか、頭を地面に叩きつける。さすがに耐えきることができずに、カイトは地面を転がった。
「グオオオオッ」
赤龍が目を潰された報復とばかりに、再び大きく口を開く。赤龍の動きは痛みのせいで鈍いが、それはカイトも同じだった。
落下した衝撃で身体中が悲鳴を上げている。先ほどのような捨て身の一撃も難しいだろう。今度こそ死を覚悟する。
(これで死んじゃうのか……でも満足だ。龍に一矢報いることができたんだから)
気弱な以前のカイトでは赤龍を相手に震えることしかできなかったはずだ。それが今やどうだ。彼の剣戟は足を切り刻み、目を潰したのだ。
悔いはないと、空を見上げる。迫りくる死の気配は足をガクガクと震えさせるが、満足感のおかげで口元には笑みが浮かんでいた。
「諦めるのはまだ早いぞ」
死を覚悟していたカイトに声がかけられる。聞こえてきた方角は頭上だ。太陽が人影に覆われ、映し出されたシルエットは剣士が刃を赤龍に向けていた。
「アルドさん!」
赤龍がカイトを口の中に含む直前で、アルドの刃が天から地上へと振り下ろされた。緑龍に放ったのと同じ一撃は、龍の首と胴体を分離する。
巨大な龍の頭が宙を舞う。カイトの眼前には七面鳥の丸焼きのように、首を失った龍の胴体が転がる。
「無事か!?」
「ア、 アルドさん、ぼ、僕……」
「よくやった。君が稼いだ時間のおかげで村人たちは救われた」
ハイゴブリンから村人たちを救ったのはアルドだ。だがその時間を得られたのは、カイトが赤龍と戦ったからこそである。
「おめでとう。君はもう立派な英雄だ」
アルドがカイトに賞賛を送る。尊敬する彼に褒められて悪い気はしない。口元に小さな笑みを浮かべるのだった。
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