それを恋とは知らなくて~約束のパンケーキ~

あさぎ かな@電子書籍二作目

第1話 出会い


『人は誰かと出会うと、今までの景色が大きく変わる』


 それを同僚から聞いた時は、「ああ、こいつはそう長くないな」と思った。

 こんな血と硝煙と闇の世界で生きてきた黒と赤の世界以外を知ったのだから、きっと外に飛び出して水中に埋没するか、落下して重力任せに死ぬ。

 案の定、同僚は翌日に死んでいた。組織から抜けようとして失敗したようだった。

 重なるように倒れていた男女は、手を握って果てていた。


 才能があったのに。

 もったいない。

 運命など信じるからだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 私の感想はそれだけだ。

 それほどまでに私にとって死とは日常に転がっていた。


 私のような人間は、日の当たる場所で生きるのは難しい。

 ぎらついた太陽と、酷い腐臭と、空腹。

 私にとっての日の当たる場所は地獄だった。

 あの地獄に比べれば、今の暗闇の方が心地よい。要領さえつかめばお腹が減る事も、寝どこにも困らない。

 たまに耳を劈く弾丸の雨が降るが、感覚を研ぎ澄ませば当たる事もなかった。

 生きることに貪欲ではあったが、人生を謳歌しているかと、問われれば言葉に困る。

 ただ、ふわふわのパンケーキ。それも山盛りホイップクリーム、アイスクリーム、チョコとアーモンド乗せを食べた時は感動した。


(これは運命の出会いっ……!)


 誰かではないけれど、このパンケーキには心動かされた。それからは出張先でも、どこでも仕事を終えたらパンケーキを食べるのが習慣になった。それこそ世界中。

 そして同僚たちがパンケーキが美味しいと話をしていた東の国。アジアの中では平和といわれている日本を訪れた。


「すみません、相席でもよろしいでしょうか?」


 ウエイターの言葉に私は頷いた。別に誰がいようと関係ない。

 そう、席で彼と出会うまでは。


「あら、アナタの髪、灰色でとてもきれいね。目も空色でとってもキュートだわ」


 青紫の長い前髪、プロレスラー並みの体躯で二メートルはあるだろうか。白いシャツに、黒のズボン、ゴツゴツした大きな手だが、指先はとてもよく手入れされて清潔感があった。

 そんな彼は、女性のような声音で私に話しかけてきたのだ。

 いろんな意味で困惑したが、私は「grazieありがとう」答えた後で、日本語でよかったと少し後悔する。しかし、彼は「イタリア語ね。出身はそこなの?」と笑顔で言葉を返した。流暢なイタリア語で。


「仕事柄、世界中を飛び回っているのだけれど、やっぱり日本のスイーツは美味しいわ」

「それには同意。……パンケーキの店がたくさんあるいい国。運命はあった」

「あら、スイーツの中でもパンケーキだけなの? ケーキやパフェは食べたことないの?」

「ない」


 彼はこの世に絶望したかのような顔で「嘘……だろ」と女口調ではなく素で驚いていた。そのギャップというか変化に私は思わず笑ってしまった。自然と口元が綻んでしまう。

 笑ったのなどいつぶりだろう。


「はい、これ私の連絡先よ。美味しいものを食べる時は呼んでちょうだい」

「いらない」


 関わりなど不要だ。

 けれど彼は「またね」とにこやかに笑った。



 ***



 それから日本に在中している間、彼とカフェで鉢合わせることが増えた。何かとその巨体で目立つ。彼は彼で外国人である私をよく見つけては、一緒に相席に誘う。確かに、行列に並ぶよりは時間短縮だと切り替えて私はテーブルに座る。


「この時期は桃がおすすめよ」

「桃のパンケーキ?」

「もちろんあるわよ。でも、ここはパフェも美味しいの」


 確かに目の前のテーブルにある桃のパフェは美味しそうだ。桜色の桃を一個丸ごと使っており、一口で食べやすいように切られている。その上に生クリームとミントが乗っており、下には桃のジュレとクリームと、オーダーに迷う。


「ほら、一口食べてみなさいって」

「…………」


 スプーンで桃と生クリームをすくって、私の口元に近づける。

 抗いがたい誘惑に負けて私は口を開く。桃の甘みと甘すぎないクリーム。


「Squisito」

「ね、美味しいでしょう。他のもとっても美味しいのよ」

「すみません、期間限定パンケーキセットを一つ」

「うんうん。……って、結局いつものじゃない!?」

「期間限定は、今じゃないと食べられない」


「確かにそうね」と彼はすんなりと引き下がった。

 無理強いしない言葉に、私は少しホッとする。彼、ユウ=カナタは何の仕事をしているのかは不明だ。けれど、警察や私のような職業とも異なる雰囲気を持っている。

 明るく、朗らかでユーモアがある彼がなぜ女言葉を使うのかは謎だったが、私はなにも聞かずに今日もパンケーキを食べた。


 深入りはしない。


 それが賢明な判断であり、この仕事を長く続ける秘訣だ。

 この世界を生き抜くためにも嗅覚を鈍らせるわけにはいかない。相変わらず彼は私に連絡先を渡すけれど、私は連絡を取ることはしなかった。それでも時折、ユウとは顔を合わせる。

 その程度でいい。

 そう、思っていた。この時は──。




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