薬師奇譚
薬師奇譚
著・陽子
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918342498
身寄りのない子供を引き取って薬にしてきた本草学の学者兼薬師の令二郎は、自身の癩病を治すべく書生の七尾を手に掛ける物語。
読後、悲しいお話だった。
ちょっと説明っぽさがある気もする。ホラー小説を読み慣れていないので、こういう書き方をするものなのかわからない。
時は明治から大正時代。
主人公の七尾は主人である令二郎の書生だ。住み込みで、主人の家事手伝いをしながら学校へ通っている。
金持ちで人柄も頭もいい令二郎は、毎晩地下室にこもって何かの研究をしている。世捨て人のように家屋敷にこもりっぱなしではなく、来客は多く、金銭の取引をしている。なにを売っているのか七尾にはわからず「副業みたいなものだよ」としか聞いていない。
令二郎の朝餉は、書生である七尾が用意している。
「健康的な一汁三菜」といわれても、どういうものなのか描写がない。描写にあまり重きを置く必要がないからだろう。ならば「健康的な」という表現は引っかかる。作者はあえて、この表現でなければならないと思ったから使っているのだ。
つまり、健康的な朝餉を食べる令二郎は、健康的ではないのだ。
薄暗い室内からでてきた令二郎が酒臭い。前夜に飲んだことを知った七尾が「お身体を大事になさって下さい。ただでさえ――」と言葉を掛けている途中で令二郎は遮り、「だって、やっていられないんだから。……しょうがない」じゃなきゃ死にたくなるじゃないか、と令二郎は呟く。
双方、あえて言葉がふせられている。それだけ令二郎の病は治りにくいものだと推測できる。
七尾は、名前の通り七番目の子供である。
昔の日本は子沢山だったが、さすがに末子となると名付けもぞんざいになっていく。長男は後継ぎとして優遇される。勉学よりも家を次ぐことを第一にされるので、学校に通えるのは下の子たちだ。
要らない子という扱いを受けるのが末子だ。七人目となると、とくにそうだろう。
「勉強熱心だからと」令二郎に引き取られている。親には多少なりとも金銭が支払われているにちがいない。
好きなことをさせてもらっている七尾はあるとき、地下室の鍵を手にする。令二郎は地下室を見るなと七尾には言っていない。
見るなと言われれば見たくなるのが人情である。
つまり「見るな」と言われてなくとも、見てはいけないのだ。
そもそも見聞きしたことは口外してはいけないという禁忌は、昔から語り継がれていることであり、文明開化がおきて久しい明治から大正時代でも廃れていない考え方だ。
好きなことをさせてもらっているとはいえ、彼は書生なのだ。しかも引き取ってくれた令二郎に対する恩を忘れていない。忘れていないのなら、好奇心に負けてはいけないのだ。
もちろん、彼は負けなかった。ただ、薬を買いに来た女性と会ってしまう。そこで令二郎が薬師であると知る。
これまでにも薬を購入しに来客するところを、彼は目撃している。 自身が留守中に七尾が鉢合わせすることも充分に考えらたはず。
なのに、令二郎はその場合どう対応すべきなのか、七尾に言付けをしていない。留守中は買いに来ない約束になっていたのか、それとも七尾に薬師だと知られても構わないと思っていたのか。
七尾から女の来客を知った令二郎は、お茶を零している。
つまり、留守中に買いに来ない約束になっていたのだろう。薬師をしていることを告げ、七尾に黙っていた理由を聞かれるも「特に理由は」ないと答えている。
七尾には隠すつもりがはじめからなかったのだ。彼に知られたとしても、困らない理由があるのだ。
七尾は地下室に入ってしまう。鍵に血がついていたため、あっさりと令二郎に知られてしまった。
夕餉のあと、素直に答える七尾。
「令二郎さま、あれは――」
「薬ですよ」
「――生薬ですか」
「さすが七尾ですね。すぐに話が通じる」
本草学の学者である令二郎の書生をしているのだから、七尾も薬用の知識を勉強していると推測できる。
ちなみに本草学とは、主に薬用となる植物や動物や鉱物を研究する中国で生まれた学問。奈良時代には日本に移入され、江戸時代に貝原益軒など国内の学者の努力もあって発展を遂げた。明治以降は、ヨーロッパ由来の博物学へと移行し、小学校からの理科教育に採用され、動植物の知識は国民にあまねく教授されていく。
生薬とは、天然物から有効成分を単離せずに用いる薬。その中にはヒト由来の生薬も存在する。
有史以前のはるか古来より、様々な物を薬として用いられ、科学的医学的知識がほとんどないなか、経験則や呪術的見地から見いだされてきた。
「髪は乱髪霜や無憂散になります。頭蓋骨は仙人蓋、肝臓は人胆丸、唾液は霊液、爪は豆女、尿は輪回酒。人体はどこでも薬になります」
令二郎に髪をつかまれて引っ張られ、前のめりに倒れ込む
「軽蔑しますか」の問に「癩病に聞きますか」着物の袖から令二郎の腕が顕に成り、赤い皮疹が現れた。
以前から、おそらく書生として入ったときから七尾は知っていたのだ。令二郎が癩病だということに。
癩菌の感染力は非常に低く、現在は治療法も確立し、重篤な後遺症や感染源になることは無い。ただし、適切な治療を受けない・受けられない場合には皮膚に重度の病変が生じ、他者への二次感染を生じる場合もある。
時の政府は一九〇七年(明治四十年)、「癩予防に関する件」という法律を制定し、「放浪癩」を療養所に入所させ、一般社会から隔離した。患者救済を図るための法律だったが、伝染力が強いと間違った考えが広まってしまい偏見を大きくしたといわれている。
このお話は、その法律ができる前の出来事かもしれない。
地下室で作られる生薬は、癩病を治す希望だと信じて薬を作っていた。だが「まだ足りない……万病に効く薬を作れない」頼りなさげにつぶやく。
「僕は最後までそばにいます。恩を返します」
「顔がぐずぐずに崩れるんですよ。手足も無くなるかもしれない。目も開きっぱなしで……忌まわしい。それでも平気だと言えますか」
「言えます。どれだけ変わっても令二郎さまです」
恩があるから励ます七尾だが内心、「くだらない、と思った。本当に人なんか食べて病が治ると信じているのだろうか。主人は本当に――信じているのだろうか。それとも、需要があるからやっているだけで、心の中では馬鹿にしているのだろうか。令二郎さまは――食べたことがあるのだろうか」令二郎のことを信じていないことがわかる。
地下室で主人を探していると、背後からガラス瓶で後頭部を殴られる。浮浪者の肝で作った薬では治らなかったのだ。健康で良質な七尾の肝をつかえば……と手にかけた。
七尾に好きなことをさせてきたのも、罪悪感からだった。つまり、令二郎は、自分のしていることは悪いことだという自覚は持っているのだ。
七尾は食べても治らないだろうと思っている。家畜みたいに飼われていたと気づいても、憐れみだけしか残っていない。「恩を返すには、これが一番ちょうどいい方法だったのかもしれない。(中略)差し出せるのは、最初からこの身体一つだけだった」
神にも仏にも見放されている令二郎を救うには誰に祈ればいいのかわからないまま、七尾は絶命していった。
はじめからこういう結末になることを見越して、令二郎は七尾を引き取ったのだ。病を治したい一念は、健康の者には理解し難い狂気に走らせるということだろうか。薬がなく、治せず、助けられないのはつらく悲しい。
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