カナちゃんが死んだ
カナちゃんが死んだ
著・高良部大佑
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918958714
友人カナの死を新たな門出を祝うように踊り念仏を踊るマリコと、悲しむのも楽しむのもすべては自己満足と悟ったように言うサキちゃんの物語。
鼻歌は歌うけれど、口を開けて「ポポポーン」と歌っているのだから、鼻歌を口ずさんでいると表現してもいいだろう。
中学の頃音楽だけ「5」だったのが自慢のマリコ。ということは、現在彼女たちは高校生だろうか。
脳天気なマリコの隣を歩くサキは、本から顔をあげない。そのことを褒めても「別に」と返事。そのあともいろいろ声をかけるもすべて「別に」「別に」「別に」。ひょっとすると、このときサキは友人のカナが亡くなったことを、すでに知っていたのかもしれない。
仮病でサボって休んでいるカナの家にいこう、と言い出すマリコ。
うかれてカナの家につくと、自宅葬の様相と喪服姿のやつれたカナの母親に驚く。
対象的にサキは家に到着したときには、「現実を透視し冷徹に判断するかのごとく、寂しげ」な目をしている。
自宅葬は珍しい。でもコロナ禍で見直されている。
友人の亡骸を前に悲しみがあふれるマリコのそばで、スマホ撮影をくり返すサキ。マリコはその様子に思わず笑い転げる。つられてカナの母も笑いが漏れる。
マリコは踊り念仏を始めた。
踊り念仏は、盆踊りの元になったものだ。
平安時代中期の僧、空也が起源とされ、鎌倉時代に一遍が門弟とともに各地を巡り、興奮の末に煩悩を捨て心は仏と一つになる、と民衆に踊り念仏を勧めたという。
また、一遍とは別に浄土宗の僧、一向俊聖も踊り念仏を行なった。以来時宗・一向宗の僧が遊行に用いるようになり、全国に広まったという。
一遍の流れをくむ時宗の踊り念仏の実演がされているのは、現在では長野県佐久市の西方寺のみ。重要無形民俗文化財に指定されている。
時宗の葬儀のスタイルは浄土宗と同じで、踊らない。
「時宗も浄土真宗も同じ浄土教出身ですから」とマリコに言われて納得するカナの父親も、かなり自由な感じだ。
アフリカの西部に位置するガーナ共和国の葬式は、棺桶を担いでダンスパフォーマンスが披露される。ガーナでは人間は死んだ後、新たな人生が始まると信じられているからだ。
故人の死は、悲しむ為のものではなく、新たな人生を得た故人をみんなで祝福するための儀式なのだ。
マリコの踊り念仏もまた、そうであるように思えてくる。
撮影した画像をツイッターにあげたサキは、マリコに画面を見せる。
「通報しました」「よく勝手に人のご遺体をネット上に晒せますね。あなた正気ですか? 誰だかは知りませんが、このようなことをして……」
という返信がついていた。
「よくいうよ。普段は死ねだの殺すなど平気でいう人がさ。本当に死んじゃったら、ないものにして、避けようとしているなんてね。少なくとも、私たちが楽しむぶんにはよくない? だって、私たちまで心が沈んでいたら、カナちゃんも悲しくなるだけでしょ」
これを言いたいための、話の流れなのだろう。
サキちゃんは最後に「いいの。自己満足だし」という。
人生とは、自己満足の連続なのだ。
生きるも死ぬも、楽しむのも悲しむのもすべてが自己満足、と気づかせてくれる作品だった。
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