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「ようこそ!マンドラゴラ研究所へ!」


 にこやかな声が聞こえる。

 声の主は、若くも見えれば成熟しているようにも見える、つかみ所の無い「美青年」であった。

 伸ばした黒髪は束ねてなおうねうねと波打ち、幾筋かの銀髪が走り、垂れた前髪が目の一部を隠す。

 彫りの深く尖った顎の不健康そうな顔には、しかし黒く潤み深く輝く瞳と桜色の頬が乗っていた。それだけの差があれば気味悪くもあろうが、その男の顔には奇妙な調和が保たれている。

 糊で固められた高いシャツの襟を金具で留め、絹のタイを銀のピンで留めた上に羽織られた白衣が、その男が博士である事を主張していた。


 マンドラゴラ研究所は帝都東京市より遥か西、武蔵野を越えて辺鄙な場所にある植物研究所である。

 周囲に玉川上水を有し、水源と土壌に優れる為にこの地に設置されたのだと云う。


 士官学校時代からの友人である中村参謀中尉の依頼を受け、私は陸蒸気の中で資料の内容を胸中で反芻しつつ、のどかな田舎風景を眺めていた。


 駅からも離れており、タクシーを名乗る何とか動く自動車で幾つもの田畠を越え、頼りないバネから車輪の衝撃を受け続けるあぜ道を抜け、ようやく着く頃には日も遠くに見える富士山の向こうへと姿を消ようとしていた。

 浅い人工の流れが足早な水音を奏で、寒さを強めている。

 片田舎にあって、研究所のトゲトゲとしたネオゴチック様式もどきの西洋風の外壁装飾は酷く捻れて目に映る。

 周囲の水路からの霧がなければ酷く間抜けに見えたのだろうが、藍色に染まりゆく空の下、寧ろ幻想的とさえ呼べた。


 運転手氏は何も言わず、石橋の手前で停車し運賃を受け取ると、そそくさと走り帰ってしまった。

 水路を跨ぐ石橋を越え、未だに電気では無くガスの灯りに照らされたゴテゴテとした扉の先で、その変に張りのある声が私を迎えてくれたのである。


「珍しいですね、中央の方がここ迄いらっしゃるなんて」

 白衣の男、浦賀満堂は笑顔でこちらに握手を求めてきた。


 まるで西洋人の様な振舞をするヤツだ。

 それが彼の第一印象であった。


「いや、こちらの研究が良好に進んでおりましたら帝国の未来は更に明るいですからね。その明るさを確認しに参りました」

 ソフト帽を脱ぎ、私も普段はしない作り笑顔で握手に応じる。


——あいつには気を付けろ。如何にも底が見えん——

——成績こそ良いが、帝国の血税を邪まに使っているかも知れん、確認を頼む——


 頭の中で中村の声が繰返される。


「それでしたら実に明るいですよ……ええっと、何とお呼びすれば?」

「やや、これは失敬。私、遠野、と申します」

 そう言うと私は偽の肩書きの書かれた名刺を浦賀に渡す。


 渡された名刺をしばし見て博士は目を細める。


「やや、こちらこそ、オーバーコートも羽織らせたまま、失礼致しました」

 改めて博士はこちらのソフト帽と外套を受け取ると、奥の方へと誘う。


「さあ、遠路お疲れでしょう。先ずはこちらでお茶でもどうぞ」


 博士に案内されるに任せる。

 博士と私の足音が響く。


——オギヤア——


 別の音が背筋を駆け抜けた気がした。


——オギヤア——

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