七章・撃発(2)

 ──正確には時間遅延。極限まで流れが遅くなった世界の中で月華げっかだけが通常の感覚で動き出す。


「我が眼前の敵を貫け」「天に瞬き駆け抜けよ」

「我が眼前の敵を貫け」「天に瞬き駆け抜けよ」


 同じ呪文を何度も唱える。これは遥かな昔、彼女が編み出した“重奏じゅうそう魔法”という技だ。メインとなる術の効果を増幅する強化専門の魔法を重ねがけして威力を数倍数十倍に引き上げる技術。

 しかし、あの偽りのシルバーホーンの全力の一撃を防ぐには、ちょっとやそっとの増幅では足りない。もっとこの術を重ねなければならない。


「我が眼前の敵を貫け」「天に瞬き駆け抜けよ!」


 さらに繰り返し合計一二回分のバフをセット。頭上に一二枚の魔方陣が重なる。これが彼女の最終手段。時間と空間に干渉できる≪時空≫の力を用いて力押しに力押しを重ねる、自分でも頭が悪いとしか言いようのない無理矢理な一手。

「私は、師匠達ほど出来が良くなかったからね……」

 霊力の強さだけなら誰にも負けないと自負している。だが、強さとはそれだけでは測れないものだと、あの人達に教えてもらった。世にはもっと様々な才があり、世界を一定の角度から眺めているだけでは深く理解しえない。

 実はコンプレックスだった。世界最高の師に学んでおきながら、彼女達のように巧みに魔法を使いこなせないことが。その劣等感から新たな能力に覚醒した。

「あわよくば、これで倒されてくれるといいんだけど……」

 この一撃はドロシーにも大きなダメージを与える。とはいえ、あの女のことだし、そう簡単に倒されてはくれないだろう。

 それでもチャンスは生み出せる。

「私はここまで。これ以上≪時空≫を使ったら本当に胎児まで逆行してしまうし、呂律が回らなくなって呪文詠唱すらままならない」


 だから後事は若者達に託そう。


「信じてるわよ、私の愛しい子供達」

 一二枚の魔方陣の下で両手を掲げる月華。その肉体がさらに縮んで緩くなっていた服は滑り落ちる。

 それでもしっかり呪文は唱えた。


「びゃっかのいかづち!」


 轟音が鳴り響き、白い光が膨れ上がって──宇宙の彼方へ駆け抜けた。




【──ッハ!?】

 この肉体になって以来、史上最大のダメージを受けて血を吐き、喘ぐドロシー。胸から上と下に分断された。とてつもなく強力な何かの魔法が、彼女の反応速度を遥かに上回る速度で発生し、駆け抜けて、巨体を二つに引き裂いた。さらにそのまま天頂にいた偽りのシルバーホーンまで、彼の放った攻撃と共に消し去られる。


(月華か!)


 あの女が強大な霊力の他にもう一つ別の何かを隠し持っていることは知っていた。おそらく時間に関係する能力だろうとも。けれど、ここまでのことができるとは思わなかった。完全に人の枠から外れている。

 超特大の雷撃は彼女の胸を貫いた。落下を始めるドロシー。その肉体が少しずつ拡散を始めて──


【なんてね】


 再び笑って空中に静止し、魔素を吸収しながら再生を始める。さっきまでは胸が輝いていたが、今度は額にその光が移動していた。さっきまでのは胸の部分に彗星の欠片があると思わせるためのフェイク。まんまとかかってくれた。


【これで月華はもう戦えない! 私も痛手を受けたけど、その価値はあった!】


 あの女が最後の一手で逆転を狙っていることもわかっていた。だから隙を見せて誘いをかけたのだ。とっておきで決められなかった以上、もう魔女は恐ろしくない。残る脅威は伊東 陽の抜け殻と朱璃、そして──


【アナタだけよ!】


 今の雷で至近距離にいたライオもまた大ダメージを受けた、ように見えた。しかし実際には無傷同然。おそらく月華が前もって攻撃することを伝えていたのだ。彼女の攻撃直前、巨体から小さな影が離脱していた。


「気付かれた!?」

【構わん、突っ込め!】


 意識を取り戻したアサヒが、上半身だけになったドロシーへ人の姿で殴りかかる。高速で突っ込んで額に拳をめり込ませる。

 しかし彼は、その勢いのまま反対側へ突き抜けてしまった。通過する際に一瞬、横目に本物の“欠片”を目撃して。

「なっ!?」

【私もね、肉体の大部分は魔素で出来ている。なら、その密度を調整してやればこういうこともできるでしょう!】

「うぐッ!?」

 思わず脚を止めた彼を、再生したばかりの右手で掴む彼女。結局、これが結末。何一つ変わりはしない。全ては自分の手の平の上。

「アサヒ!」

 朱璃が刃状障壁を放つ。一見するとアサヒを助けるため、指を斬り落とそうとするかのような軌道。けれど、それは陳腐な引っかけ。

【無駄よ】

 一度見せた技がそう何度も通じると思うか? 顔をほんの少し動かし“欠片”を狙った本命の、もう一つの刃をかわす彼女。

【残念だったわね】

「うわっ!?」

「クソッ! チクショウが!?」

「か、硬い……!」

 朱璃に、マーカスに、小波に、友之に、門司に、大谷に枷が嵌められた。朱璃が何度もやってみせたのと同じこと。再現したい物質に対する知識さえあれば魔素を用いて瞬時に構築できる。

【私にはできないと思った? そんなわけがないでしょう】

 侮ってもらっては困る。二二〇年研鑽してきたと言っただろうに。流石に、あの精巧な箱庭を構築した夫ほどではないにせよ、魔素の制御にはそれなりの自信がある。


 ともあれ、これでおしまいだ。


 彼女の額──そこに“欠片”と共に埋め込まれている抜け殻の杖が輝き、東京の周囲で渦巻いていた魔素を全て眼前に集め凝集させた。これまでの戦いでかなり消費して減ってしまったが、それでもこれからしようとしていることには必要十分な量。

 偽りのシルバーホーンによる攻撃は不発に終わった。全く問題無い。同等の破壊力なら自分にだって生み出せる。

 いや、これはそれ以上。おそらく日本の大地の何割かが消滅する。

 体内の“蛇”が抗議の声を上げた。

【大丈夫よ、拡散したってすぐに集められる。朱璃さえ手に入れてしまえばアサヒも協力するしかないもの。伊東 陽が自我を放棄して旭と同じ抜け殻になったんなら、なおさら効率が上がるわ】

 三人の“渦巻く者”の力があれば、この星の魔素を全て吸い上げるのに一ヶ月とかかるまい。

【死なれては困るから、あなたは守ってあげるわね。でも、生身の皆とはこれでお別れよ。何か言うことはある?】

 魔素の爆弾は、もういつでも起爆できる状態。勝利を確信して手の中のアサヒへと語りかける彼女。

 なんだか妙におとなしい。とうとう諦めてくれたのだろうか?

 そんなわけはない。この期に及んで何を見せる気?

 彼女はそれが知りたい。

 凄まじい力で締め上げられつつ、アサヒはふうと嘆息した。いや、これはため息というより……安堵の息?

「朱璃の言った通りだ」

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