五章・桜花(4)

 陽が名乗った直後、建物全体が大きく揺れた。

「あらら、バレたか」

「もう時間がありませんね」

 立ち上がった桜花は、立てかけておいた刀を手に取る。見覚えのある拵え。

「それ、斬花の……」

「あら、あの子が受け継いでくれたの? それは嬉しい」

 喜び、出口へ向かう彼女。外では断続的に衝撃が発生して、その度に地面が、世界そのものが揺れ動く。

「何をする気?」

「ドロシーが私達を見つけようとしている。今まで見つからなかったのは遊び好きの彼女が本気を出さなかったからでもあるの。でも今回は本気。きっとすぐに発見される」

「だから囮になると?」

「ええ、ある程度は時間を稼いでみせるわ」

 彼女は全く気負っていない。それが当たり前のことだと思っている。

 胸が疼いた。今ここで言わなければならない。

「ごめん。さっきのアタシは、嫌なやつだった。あんなこと、言うべきじゃなかった」

「そうね、少しだけ傷付いた」


 でもね、桜花は本当に、心の底から嬉しそうにはにかむ。


「私に後悔は無い。彼を本気で愛してくれる人に、彼を託せて良かった」

「そう……だったら、さっきの言葉は取り消す。ありがとう」

 謝罪よりも、感謝こそが餞としては相応しい。

「アンタのおかげでアサヒと出会えた。そんなアンタに会えて嬉しかった。アンタのことは絶対に忘れない。アイツと二人で、いつまでだって覚えてる」

「ありがとう」

 桜花もまた感謝の言葉を贈り、外へ出て行く。

 すると陽の周りに店の客が集まって来た。

 いや、自分の前にと言うべきか。

 口々に語りかけて来る。

「俺、三島。アイツのこと、よろしくお願いします」

「西川です。幸せにしてあげて」

「彼は真面目な生徒でした。きっと、貴女のことも裏切りません」

「本物の孫とは違うが、それでもやっぱり可愛くてな。まさか遠い子孫と結婚するなんて思わんかったが、まあ、日本の法律じゃいとことだって結婚できるんだ。こんだけ離れていれば、問題はなかろ」

「アサヒのこと、お願いね。私らの分まで、いっぱい愛してあげて」

「皆、アタシが言いたかったこと、全部言っちまったよ」

「ははは」


 笑って、そして彼等は消えた。同時に陽の体が輝き始める。


「アンタをここへ連れて来てもらったのは、あの子の他に、もう一つ託すため。福島の時わかったんだよ。うちの子を利用してるドロシーに対抗するにゃ、まだ少し足りないって。アサヒとあのドラゴン、そしてアンタ達が力を合わせても、あの化け物どもにはやっぱり届きそうにない。もう一押しが必要だろうって思って、それで皆で話し合って決めた」


 希望を、怪物を打ち倒すための光を、もう一つこの時代の人間に託そうと。


「受け取ってくれ。アンタに使って欲しい。アタシ達の自我もこれで消えるけど、最後に直接話せて良かった。息子の嫁と一度も会話しないなんてカッコ悪いだろ。

 ていうか、ああもう、皆に先に色々言われちゃったから、本当何言ったらいいかわかんないや。せめてさ、お役立ち情報教えていくよ。あの子、ピザめっちゃ好きなの。それもシーフードね。イカとかホタテとか乗ってるやつ。うちじゃ誕生日にケーキよりピザなの。そのくらい大好物。すぐには無理かもしんないけどさ、いつか食わせてやって。そんじゃ、ばいばい。あとよろしく」


 軽い調子で別れを告げて、次の瞬間、伊東 陽も消失した。

 代わりに床に落ちたものを拾い上げ、抱きしめる。

 ぽつぽつと涙が零れ落ちた。


「そんなもの……いくらでも、作ってやるわよ……!」

 ありがとう。そう呟き、彼女もまた出口へ向かう。揺れはなお続いていた。けれどもう恐怖は無い。

 自分達には、こんなにも心強い味方がついている。


 外へ出ると“箱庭”が滅茶苦茶になっていた。

 巨大な腕が地面に突き刺さり、掘り返す。

 記憶災害の獣達が飛び回り、獲物を探し続けている。

 道行く人々が宙を舞う。踏み潰される。それでもやはり無反応。ここは怯え、逃げ惑うことさえ許されない監獄。

 どこからか飛んで来た桜の花びらが一枚、目の前に落ちた。

 彼女もきっと、今度こそ本当に散ったのだ。


【見つけた。そこに隠れていたの?】


 頭上から声が響く。巨大な腕が伸ばされ、獣達が集まって来る。

 だからどうした?

「見つけさせてやったのよ。アンタなんぞに、これ以上好き勝手させないために!!」

 怒りのまま握り締めたものを振り上げる朱璃。それは伊東 旭の抜け殻と同じ──彼の母親が自らを変化させた、もう一本の杖。

 気付いたドロシーの腕が動きを止める。その仕種から伝わって来る怯え。

 たっぷり後悔するがいい。ここからは自分達が攻める番。朱璃の周囲で魔素が渦を巻く。杖に吸い込まれ刃を形成する。天にも届く長大な一刀を。


「ぶった斬れ!」


 朱璃はそれを、躊躇無く振り下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る