二章・進軍(5)

「あー、この吸い取られる感覚、クセになる」

 マッサージでもしてもらっているような声を出すアサヒ。彼の背中には今、体外へ放出した魔素を装置へ送り込む吸引器が取り付けられていた。これを単体で動作させ空気中の魔素を取り込むことも可能なのだが、渦巻く者ボルテックスの力に頼った方が当然ながら高効率。

 アサヒなら“心臓”から魔素を供給することもできる。でも、どのみち変換効率の壁にぶつかってしまうので供給過多になるだろう。それなら周囲の魔素を吸収することで記憶災害の抑制にも繋がるこちらの手順の方がより望ましい。

「良いペースです。朝までに二〇〇本は充填できますよ」

「そう……」

 実を言えば、満足できる成果ではない。重量の関係から持って来られた変換装置はこれ一台。フル稼働させて一晩でようやく二〇〇。今日の戦いだけで空になったカートリッジは五〇〇近くある。もちろん予備は用意してあるし初期のDAシリーズに比べたら燃費も改善された。今なら連続戦闘時間は一本で約四〇分。パワーアシストがいらない状況では機能をカットするなど、使用者がそれぞれに無駄な消耗を避けてくれれば、さらに長時間使える。東京まで辿り着く分には、おそらく問題無い。

 しかし今日と同じかそれ以上の激戦が続くようなら、到着時にはDAシリーズの大半が使用不能に陥っているだろう。もちろんカートリッジに魔素を充填してやればいい話ではあるのだが、はたして敵がその時間をくれるかどうか。やはり無理をしてでも、もう一台持って来るべきだったかもしれない。

 悩んでいる彼女を見て、アサヒは申し訳なさそうに頭を掻く。

「俺のこの力で、皆に直接魔素を分けられたらいいのにね」

「たしかに手っ取り早いけど、できないでしょ」

 同じことを思いついて試したことはあった。結果は失敗に終わっている。アサヒは単に周囲に魔素を放射しただけだったし、受け取る側もそれを自身の力に変換する術がわからなかった。

 おそらく、どちらもかなり精密な制御を行わないと不可能なこと。霊術により受け取る側のそれを簡便化することはできそうなのだが、魔素の支配権のルールを考えると放出側の彼には自力でコントロールしてもらう必要がある。今の彼にはまだ難しい。

「ライオ、アンタならできる?」

【無理だ。我も魔素の制御技能に関しては貴様らのそれと大差無い】


 ──という彼の返答を、アサヒが代わりに伝える。


「だってさ」

「そう」

 朱璃は嘆息しながら頷き、腰に右手を当てた。

「初代王には、そういう技術もあったらしいんだけどね」

「え、ほんとに?」

「自分と相性の良い何人かに力の一部を分け与えられたみたい。一時的に身体能力を向上させられる他、五感の一部が強化された例もあったそうよ」

「強化視覚、強化聴覚、強化嗅覚、強化触覚ですね。初代王と共に戦った彼等は四騎士と呼ばれています。今も軍では特に優秀な兵士に対し“騎士”の称号を与えるんですよ」

「大谷さんも護衛隊の“騎士”でしたよね、たしか」

「あ、たしか友之さんの本に……」

 高橋と三浦の言葉で思い出すアサヒ。以前読んだ友之の著作で、そういうエピソードが王国の歴史として語られていた。初代王が活躍した時代、彼の下には優れた四人の騎士がおり、共に黎明期の礎になったのだと。

「なら、やっぱり俺も頑張ればできるんじゃ?」

「可能性はある。けど、とりあえず忘れなさい。今はできないのよ。できないことに気を取られて、できることが疎かになったら意味無いでしょ」

「それもそっか……」

 味方に直接力を分け与えることはできないが、朱璃が造ってくれた装置のおかげで間接的になら実行できている。それでも足りないというなら、その分だけ実戦の場で頑張ればいいだけだ。

「朱璃、明日は俺も戦うよ」

 今日の戦闘中も、彼はずっとこの再充填作業に専念させられていた。なので全く戦えていない。

「その方がいいわね」

 アサヒを温存した理由は色々とある。新兵器が実戦に耐えるかの試験。兵士達がそれに慣れるための慣熟訓練。カートリッジを一本でも多くリチャージさせたかったし、装置の防衛もしてもらいたかった。そしてなにより敵の出方を伺っていた。

 冬の間、ドロシーは何も仕掛けて来なかった。なのに福島の地下都市から出て奴の勢力圏内に入った途端これだ。やはり彼の獲得を諦めてはいないらしい。

 他の戦力で対応できている以上、わざわざ相手の目標を前面に出す必要も無いと思った。実際あれだけの戦闘が行われたのに死者どころか重傷者の一人さえ出していない。そしてこちらは何体もの竜を屠った。一年前ならありえなかった大戦果。

 しかし、このままでは東京に着く頃、こちらの戦力の大半がその一年前の状態に逆戻りしてしまう。そう考えると、これ以上彼を温存しておくことは愚策だとしか言えない。

「わかった、なら明日からは前に出て戦って。リチャージ作業は夜だけでいい」

 日中の作業時間を減らしても、アサヒが戦ってくれれば最終的な損耗は今日より大幅に抑えられる。ざっと計算した限り、東京突入後に一度もリチャージできなかったとしても、一戦交える程度の余力は残せるはず。

 決定を下した朱璃は、魔素の渦の中に突っ込む。

「殿下!?」

「いいから」

 驚いた研究員達を制止し、立ちっぱなしで作業していたアサヒに対してはそこへ座れと指示を出す。

「なに?」

 素直に胡坐をかいた彼の、その膝の上に自分の頭を置いて寝転がった。

 ああ、落ち着く。

「朱璃?」

「高橋、三浦、アンタ達もう寝ていいわよ。アタシはここで休むから、アンタらベッドを使いなさい。あそこの建物の中。婆さんも、もう寝たそうだから必要無いでしょ」

「いや、しかし主任を差し置いて、そんな……」

「アタシがいいって言ってんの」

「高橋さん、主任の言う通りにしましょう。ここは、お二人だけで……」

「あ、そっか……」

 気を利かせた三浦が高橋の袖を引っ張り、連れて行った。朱璃は輝く渦の中、アサヒの膝枕を堪能する。胡坐なので、正しくは脚枕かもしれないが。まあ、どっちでもいい。

「それじゃ、今やってる分のリチャージが終わったら起こして」

 カートリッジの交換作業くらいは手伝おう。

「いや、大丈夫。座ったまま交換できるから、寝てていいよ」

 アサヒが言うと、彼の右腕がライオのそれに変化し、爪の先で器用に遠くにあるカートリッジをつまみあげた。

「なるほど、仲良くやってるわけね」

 けっこうなことだ、作戦成功率が上がる。

「なら、朝までこのままでいて。アンタが枕じゃないと、どうにも眠れない」

「わかった。俺も君がいないと寂しいから、ありがたい。おやすみ」

「おやすみ」

 アサヒはそっと朱璃の肩に手を置く。朱璃もその手に自分の手の平を重ねた。お互いの指輪が当たって小さな音を立てる。

 眠れない体質も悪くない。安らかな寝息を聴き、温もりを感じながら黙々と作業を継続する彼。やがてマーカス達の賑やかな声も聞こえなくなった。数人の歩哨が周囲を警戒し歩き回る気配。交代の時間が来て、目を覚ました誰かが任務を引き継ぐ。移動中の激闘が嘘のような穏やかな夜。

 昼間立ち込めていた暗雲は風に流され、今や頭上では無数の星が煌めいている。けれど、彼は一度もそれを見上げなかった。

 目の前にある輝きを一晩中、眺めていたから。

 どの星よりも綺麗な光だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る