三章・東京(1)

 福島を出発してから四日後の朝、ついに討伐軍一行は東京の眼前に立った。といってもここはまだ千葉県の袖ヶ浦そでがうら市だが。

 絶えず吹き荒ぶ突風のせいか、このあたりには木々も生えず、完全な荒野と化している。前方には見上げるだけで首が疲れるような雲の壁。以前筑波山の山腹から見た時と同じで、その壁は右から左へと絶えず回転を続けていた。

「すご……」

 それ以外に言葉が出て来ない。呆然と立ち尽くすアサヒ。彼だけでなく、ここまで接近したことはこの場の誰にも経験が無い。そもそも観測班からの報告によると、この雲の壁は一ヶ月で数倍の高さに成長してしまったそうだ。ならこれは人類の歴史上初めて現れた光景でもある。

 アサヒにとって東京は二重の意味で故郷だが、こんな有様では当然、帰って来た実感が湧くはずも無い。

「本当に、あんなところに入れるの……?」

「例の道が崩れてなけりゃね」

 嘆息する朱璃あかり。九年前、父が率いた調査隊は“崩界の日”に寸断されてしまった地下の都市間連絡通路に埼玉方面から侵入したと聞いている。誰一人帰らなかったため未だ真偽は定かでないが、そういう計画だったことは確かだ。

 そちらの道は、もう使えない。あの日のシルバーホーンの一撃で完全に崩落してしまい通れなくなっている。

 海沿いを回って来たのはドロシーの思念波に干渉されて襲って来る敵を少しでも減らす狙いだったが、同時にこちら側に位置する別の侵入経路を使うためでもある。

 直後、彼女は接近してくる霊力を捉え、空を見上げた。

「母様!」

「見て参りました!」

 先行偵察に出ていた術士の少女二人が月華げっかの前へと降り立つ。早速見て来たものを報告する彼女達。

「東京湾アクアラインのトンネル部分は無事です」

「ただ……」

「なに?」

 言い淀む娘の態度に嫌な予感を覚える月華。問い質され、ようやく彼女、名前を継いだばかりの新たな“菊花きっか”は答える。

「中に巣食っていたと思しき変異種が、全て何者かにより始末されています」

「始末?」

「争ったというより、一方的に蹂躙された感じでした」

 補足する、もう一人の術士。彼女は“凛花りんか”と呼ばれている。

「先客ですって……?」

 自分達に心当たりは無い。振り返った月華に対し「うちでもない」と反論する朱璃。

 南北が一瞬睨み合い、緊迫した空気が漂ったところへ少女達が続きを述べた。

「お待ちを。あれは少なくとも、人の手によるものではないと思います」

「記憶災害か別の変異種の仕業、ということ?」

「おそらく。あの道を使うなら警戒すべきです」

 そんな彼女達の言葉を聞き、朱璃はフンと鼻を鳴らす。

「どのみち、このへんはまんべんなく危険地帯だわ」

 東京は広い。他にも侵入可能なルートはあるだろうが、警戒が必要なのはそのいずれであっても同じこと。

 彼女の言葉に、陸軍を束ねる将と護衛隊士のリーダーに任ぜられた大谷も頷く。

「ここまで来たのです、最短距離を進みましょう」

「時間をかければかけるほど我々は不利になる。殿下と閣下の意見に賛同します。余力があるうちに速やかに作戦を実行すべきかと」

「少なくとも、ここで足を止めていては意味が無い」

「そうね」

 カトリーヌの発言を受け、月華もようやく頷いた。この先にどんな怪物が潜んでいるとしても、今の戦力なら十分に対応可能。


 信じることが大切。疑ってばかりでは身動き一つ取れなくなる。


「よし、行きましょう。カートリッジには余裕があるわね?」

「アンタとうちのダンナのおかげでね」

 自慢気に胸を張る朱璃。方針を転換して以降、敵が現れたら基本的に月華が守りアサヒが攻める。その連携で撃破してきた。底無しの霊力と疲れ知らずの超人だから他の面々はほとんど何もしていない。

 以前、大阪での戦いで小波が動けなくなってしまった経験からDAシリーズにある程度軽量化を施したことも幸いした。装着状態で騎乗できるので、戦闘にさえ参加しなければ魔素の消耗を大幅に抑え込めるのである。その気になればパワーアシストを切っても歩く程度のことならできる。

 アサヒによる連夜のリチャージ作業のおかげもあり、DAシリーズ装着者全員に予備のカートリッジが一本から二本行き渡っている。長期戦にさえもつれこまなければ必要十分な数のはずだ。


 そもそも長い戦いにはならない。

 全員がそう確信している。


「ドロシーか……」

「あのシルバーホーン以上の怪物……」

「どんだけ強いんだろうな」

「なあに、心配いらん。我々にはアサヒ様と殿下がついておられる」

「ちょっとおっちゃん、うちらの母様も忘れんといてや」

「せや、多分この中で一番強いで」

 決戦の地を前に、それぞれ感慨に耽り、覚悟を固める一同。友之ともゆきは黙って手を差し出し、小波こなみはやはり無言のまま握り返した。吸い収めになるかもしれないと、いつものタバコに火を点ける門司もんじ。秋田で待つ家族を想うウォール。マーカスはこの地で散った友と仲間達に語りかける。

「やっと、オレも着いたぜ良司りょうじ。オメエの娘と一緒によ」

「そうね。今度こそ本当に、父さんの仇が討てるわ」

「母さんも助けられる」

 ドロシーの到来で失われた命は数え切れない。そして、あの蛇は今もなお多くの人間の“記憶”を飲み込み、利用し続けている。

 やめさせるんだ。ここで奴を倒し、母を始めとする囚われた魂達を解き放つ。アサヒもオリジナルの伊東いとう あさひも、そのためにこの場所を目指した。

 そして──

「必ず帰る。朱璃と、皆と一緒に秋田へ」

「頑張れよ、少年」

 カトリーヌが背中を叩いてくれた。今回もまた、月華が最初の一歩を踏み出す。死地に向かって悠然と。

「さあ、ついてきなさい。婆さん一人を行かせちゃ恥よ?」

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