終章・応報(1)

「姉様、姉様っ!?」

 泣きながら、術士の少女達が縋りつく。

 彼女は倒れ伏し、今にも事切れようとしていた。

「カトリーヌさん……」

 友之ともゆきもまた涙を流す。あの後、頭上を覆っていた“蒼黒そうこく”が沈静化し、月華げっかが残りの敵を一掃してくれた。


 助かった。皆、そう思ったのに──まさか、こんなことになっていたなんて。


「……まあ、気に病むな」

 呼びかけられ、うっすら瞼を開くカトリーヌ。霞み、焦点の合わなくなった目で、気配だけを頼りに彼の姿を見上げる。

 そして、隣に小波こなみが並び立っているのを見つけ、微笑んだ。

「好きで、やった……ことだ」

 ずっと、やきもきしていた。北へ潜入し、調査官にされ、半年前にこの二人と出会って以来、もどかしくて仕方なかった。

 一方は、自身の気持ちに気が付いていながら、何年もそれを言えずに黙っていた不器用な娘。

 もう一方は、自分の本当の気持ちを自覚せず、目を背けるため別の女を言い訳に使っていた大馬鹿野郎だ。

 大勢の姉妹と暮らしてきたからだろう。昔から、世話を焼くのが好きなのだ。いわゆる性分なので、誰のせいにもできやしない。これは自分で招いた結末。

「大切に……してやれ、よ……」

 彼も、いいかげん心を決められただろう。なら、もう心配する必要は無い。ほっといていたって結ばれるはずだ。相思相愛なのだから。

「大阪も、救われたな……まあ、すぐに捨てる街だが……」

 それでもあんな怪物共に蹂躙させるのは忍びなかった。京都へ避難した市民達も無事なはずだし、これで安心して逝ける。

「でも、せめて、最後に……」


 あの二人とも、言葉を交わしたかった。

 そう思いながら俯くカトリーヌ。


「カトリーヌさん……」

「姉様……ッ」

 何が起きたのか、小波にも斬花きりかにも理解出来た。生き残った仲間達が次々に駆け付けて来ても、もう彼女は反応しない。何も見えず、聞こえていない。

 特異災害調査官カトリーヌ。そして天王寺てんのうじ 梅花ばいかは、今ここで、その過酷な人生を歩み終えた。
















「──なんて格好つけておきながら、なんで生き延びてんのよ、アンタは?」

「言うな。私が一番恥ずかしいんだ」

 苦い顔で朱璃あかりに言い返す彼女、天王寺 梅花ことカトリーヌは、重傷こそ負ったものの、なんだかんだで生存してしまった。今は病院のベッドの上である。

「姉様、マジでパねぇッス!」

 リンゴの皮を剥きつつ、そんな姉の生命力を賞賛する烈花れっか。笑顔だが、目の端には今も涙が浮かんでいる。

「あれでも死なないなら、姉様はきっと“竜”に踏まれても平気ですね」

「やめろ斬花。これ以上、私のイメージをマッチョにするな」

 そんな噂が流れてしまうと、いよいよ嫁の貰い手が無くなってしまう。本当に踏まれて生還したことがあるなどとは口が裂けても言えない。

「優良物件も逃がしたし、これからはもう少し清楚に振る舞うべきか……」

 冗談めかして言うと、朱璃に呆れられた。

「自分でくれてやったんでしょうに」


 ──あれからも結局、友之と小波はもどかしい関係のまま。だがまあ、一方通行だった感情が双方向になれた分、少しは進展したと言える。


「そもそも、あれが優良物件なの?」

「素材は悪くない。男なんてものは、手に入れてから磨けばいいんだよ」

「ふうん……一理あるわね」

 考え込む朱璃。アサヒを、より自分好みに仕立て上げようと企んでいるのが丸分かりの表情。

(変わったな……)

 苦笑する。そこへ再び問いかけられた。

「で、アンタ、いつごろ復帰できるの?」

「ああ、この程度なら一週間といったところだ」

「ふうん、治癒術を併用すると、そんなに早く治るのね」

「いや、普通はもっとかかりますって」

「梅花姉様だけです」

 頭を左右に振りたくる妹達。しかし姉が一週間と言った以上、本当に一週間で復帰してしまうのだろうとも思った。本当にこの姉は規格外が過ぎる。

「ボクも、よりいっそう精進しねえとなあ……」

「烈花、また姉様の伝説を真似る気? 少しは懲りなさいな。あなた、前にそれで大怪我したでしょう?」

「ハッ! ちょっと無茶するくらいじゃなきゃ強くはなれねえって!」

「烈花!」


 無謀に挑もうとする姉を諫める斬花。

 そこへ、今度は妹が戻って来た。


「姉様! お花の水、換えて来ました!」

 音響兵器並みの大声が狭い室内で炸裂する。咄嗟に耳を塞いだ朱璃と斬花は無事だった。だが、怪我のせいで対処の遅れたカトリーヌは気絶してしまう。リンゴの皮を剥いていた烈花も、両手に持っていたナイフとリンゴを安全な場所に置いて意識を失った。

「あれ? 姉様、お休みになったんですね。ふふ、烈花姉様まで」

「ええ、ゆっくり休ませてあげましょう」

 穏やかに微笑む斬花。これで二人とも、しばらくは大人しく寝ているはず。

 いっそ、風花をここに常駐させておいた方がいいかもしれない。

「ところで」

 花瓶に新しい花を活ける風花を横目に、朱璃は再度問いかける。

「あんたらの母親はどこへ行ったの? このまま大阪で待ってなさいなんて言っておいて、一向に戻って来ないんだけど?」

「母様でしたら、今は京都へ」

「京都?」

 蒼黒の脅威が去った後、向こうへ退避していた市民はすぐに呼び戻された。今は戦闘で壊れた建物などの補修工事に一丸となって当たっている。

 自分達が護衛に加わるので、すぐに福島へ移ってはどうかと提案したのだが、その前にできる限り綺麗にしておきたいのだそうだ。立つ鳥跡を濁さずというやつだろう。こちらのメンバーにも休養と治療が必要だったので、ならばとしばらく待つことにした。

 しかし、他が後始末に奔走する中、あの魔女は何故に京都へ?

(いまだに天皇への謁見が許可されないことと、何か関係あるのかしら……)

 あるいは、と別の可能性も思い浮かべたが、推察通りなら自分が気にするような話ではない。とはいえ、全く心配していないわけでもなかった。

「あんな状態で出歩いて大丈夫なの?」

「心配いりませんよ、母様ですもの」

「母様ですしね」

 姉の言葉に追従する風花。

 朱璃は苦笑しつつ、窓越しに京都の方角を見やる。

「信頼されてるのね」

 霊術は信じることが大切。そう語った魔女に寄せられる子供達の全幅の信頼。虫の名前で呼ばれたり、毎日毒を盛られたり、散々な目に遭っているのに術士達は誰一人、彼女を恨む様子が無い。

 人を信じる、信じたいという気持ちを思い出した朱璃は、少しだけそんな彼女達母子の関係を羨ましく思った。




「……これはまた、よりいっそう若返られましたなあ」

 ねっとりした口調で嫌味を吐く老人。左右に二〇名ばかりの年寄りが並び、奥には御簾。華奢な影が一つ、その向こうに座っている。

 正対する位置で部屋の中心、畳の上に正座した月華は、老人の言葉を無視して常よりも高い声を発し、御簾の向こうの御方へ挨拶を述べた。

「陛下、お久しぶりでございます」

「うん」

 応じたその声も若い。まだ年端もいかない少女のものだ。

 そして月華の姿も、さらに幼くなっていた。つい先日まで十歳児程度の外見だったのに、今はもう少し若返ってしまっている。おおむね七、八歳か。

 それを見た天皇は身を案じた。

「また、小さくなりましたね……大丈夫ですか?」

「ご心配には及びません。赤子になったこともあります」


 笑顔で答えつつ、内心舌打ちする月華。これは朱璃のせいなのだ。

 彼女にはとっておきの切り札がある。先日の一戦、あのじゃじゃ馬娘が勝手に持ち場を離れてしまったため、その奥の手を使わざるをえなくなった。

 とても強力な力なのだが、代償として“時間”を奪われてしまう。寿命を削るという話ではなく、その逆に若返り、どんどん赤子へ近付いて行くのだ。

 二五〇年前、あの崩壊の日に到るまで彼女の外見は齢八〇の老婆のそれだった。なのに今は八歳前後。我ながら無茶を重ねたものである。

 しかし、それも、もうすぐ終わる。


「陛下、本日は今後のことを相談しに参りました」

 そう前置いて、これからの計画を語る月華。すると、御簾よりこちら側にいる老人達の表情が見る間に変わっていく。

「何を言うておる!」

「ふざけるな、我が国の伝統をなんと心得るか!?」


 月華はこう言ったのだ。北日本王国との併合を目指そう。たとえ、自分達が下の立場になったとしても──と。


 激昂した議員達を一瞥し、彼女はぴしゃりと言い放つ。

「今は民を生き残らせることこそが肝要。その邪魔になるような伝統なら捨ててしまうがよろしかろう」

 外見こそ幼いが、彼女はこの場の最年長者。若僧共の言いたいことなど言われるまでもなく理解している。

 理解した上で言っているのだ、そうすることが必要だと。

「陛下、ご一考を。福島へ居を移すは好機です。北日本王国との和合を目指しましょう」

 何も、今すぐ一つの国になれと言っているわけではない。ゆくゆくはそれを目指すべき、それはたしかだが、今はまだ両国間の軋轢に配慮すべき時期でもある。

 そして、それでもなお自分達は、もっとしっかり互いの手を握らなければ駄目だ。そうできなければ、誰があの災厄に勝てるものか。

「我等は“蒼黒”ごときに苦戦しました。術士隊は死者一二名、重傷者七名。北日本からおいで頂いた援軍も、王室護衛隊の隊士に八名の死者が出ております」


 ドロシーとの戦はもっと大規模なものになるだろう。その時、二つの国がいがみ合ったままでは勝てるものも勝てなくなる。

 朱璃の開発したMWシリーズとDA一〇二。あれら疑似魔法兵器の威力は此度の戦いで十二分に証明された。あの二つを量産し、強化された王国軍と自分達術士隊が手を結べば、その力はかの大蛇さえ脅かすはず。

 そこにアサヒとライオの力、そして朱璃の頭脳を加えれば、可能性はさらに──


「馬鹿者! 向こうから頭を下げて来るならともかく、正当な日本国の後継である我々が下手に出る必要など無い!」

「そもそも貴殿の言えたことか? 女王の甥を誑かし内乱を起こさせ、強引な手段で北を我が国に取り込もうとしたのは、御身ではないか」

「当初の計画が駄目になったから別の方法で権力を手にしようとしておられるのだろうが、そのために陛下まで巻き込むなど容認できませぬぞ」

「権力……ね」

 そんなものに興味は無い。

 彼等は誤解している。

「私はただ、この国の行く末を憂いておるのみ」

「黙れ痴れ者!」

 御簾の手前に座す老人が怒鳴った。途端、月華の体に暗がりから伸びて来た荒縄が数本絡み付く。それはまるで生き物のように蠢き、彼女を瞬時に縛り上げた。

 さらに、多重の結界が彼女をその場に封じ込める。

「月華様!?」

「お下がりを、陛下。ご安心ください、命まで取るつもりはございません」

 彼の言葉を合図に一斉に立ち上がる老人達。彼等“国会議員”の半数は、古くからこの地に根付いていた陰陽師や霊能力者、その子孫なのだ。実のところ、本気を出せば月華が育てた術士達以上という強者もいる。

 科学文明が滅んだ後、彼等の先祖は抜け目無く日本という国の実権を掌握した。東京で命を落とした皇族の代わりに、民間に嫁いで皇室を抜けた女性の息子を新天皇として祀り上げ、生き残った人々の心の拠り所を作った。


 それから二五〇年──さぞや邪魔だったのだろう。自分達の手による日本国の完全掌握を阻み続け、それでいて民に慕われる“月華”という存在が、邪魔で邪魔で仕方なかったはずだ。

 だからこそ、こうして封じる手を用意していた。


「これはまた、随分強力な封印ですこと」

 身動き一つ取れない状態で素直に感心する月華。彼女の霊力でも力押しでは破れそうにない。実に見事に練り込まれた術式。込められた霊力も、かなりの人数が長い時を費やし貯め込んだものだろう。きちんとこちらの力の程を理解した上で、必要十分な出力を発揮できるよう計算してある。

「当然だ、我等の父祖、いや、さらに以前の代からこの時のために準備を進めてあったのだからな。貴殿がいかに強大な霊力を有していようと、これだけは絶対に解けぬ」

 現・日本国首相──長坂ながさか 伝馬てんまは得意気に語り、ニヤリと笑う。彼は若い頃から月華を目の敵にしていたので、今は心の底から楽しくて堪らない。

 他の議員達も同様の態度。ニヤニヤ笑いながら、訊いてもないのに勝手に自分達の計画を語り始める。

「月華殿には人柱になっていただく」

「我々が不在の間、京を守る結界を維持してくだされ」

「抗っても無駄ですぞ。すでに呪は働いています。今後、貴女はそのためだけに生かされ続ける」

「堪忍なあ、月華様。代わりにあんたの計画は、あてらが活用しますよって」

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