十三章・信雷(2)

友之ともゆき、カートリッジを交換しろ! 小波こなみのところにも持って行ってやれ!」

 そう叫んで二本の筒を投げるマーカス。DA一〇二の動力源である人工高密度魔素結晶を収めた物だ。

『ありがとうございます!』

 受け取って、素早く背面腰部に取りつけられたそれを交換する。まだ戦闘開始から一五分程度だというのに、古い方のカートリッジは中の“心臓”が消えかけていた。実戦では予想以上に消耗が激しい。

 小波もすでに限界のはず。離れた位置で戦っている彼女に届けようと、魔素を噴出して跳躍する友之。すると一瞬前まで彼がいた場所を、獰猛な変異種の振り下ろした鋭い爪が切り裂く。その先端は術士の一人に致命傷を負わせた。

「あぐっ!?」

『あ、クソッ!』

 残って、あれを倒してから移動すべきだった。深手を負った術士は、それでも歯を食い縛りながら目の前の敵を凍結させ、長刀の柄で打ち砕く。

 今さら後悔しても遅い。友之は激戦が続く戦場で、怪物達と仲間達の攻防の間隙を潜り抜けながら小波の姿を探す。

『いた!』

 やがて斬花きりかと共に戦う彼女を見つけた時、彼の意識は一瞬、ここが戦場だという事実を忘れてしまった。

 その油断が命取りになった。

 突然、建物を砕いて飛び出して来た鮫型の竜に食いつかれる。

『うぐっ!?』

 瞬時に装甲がひしゃげ、合金製の外骨格も折れた。水圧シリンダーの中の赤黒い液体が血飛沫の如く周囲に飛び散る。

「友之!?」

 彼の窮地に気付いた小波は助けに走ろうとする。

 しかし、そこでちょうど“残量”が尽きた。

『あっ!?』

 カートリッジ内の魔素を使い果たしたことで、彼女の身に着けているアシストスーツは逆に拘束具と化してしまった。

「小波さん!」

 彼女に襲い掛かろうとした変異種を斬り伏せる斬花。だが、好機と見て取った敵は一斉に二人へ群がる。剣一本では間に合わないと悟った少女は苦し紛れに障壁を展開し自分と小波を守った。その障壁にもすぐに亀裂が入り始める。


「オオッ!」


 どこからか調達した太刀で友之を咥えた竜に斬りつけるカトリーヌ。彼女の全身全霊の一撃は巨体を真っ二つにした。噛力が緩み、その瞬間に魔素を噴出して無理矢理口をこじ開け脱出する友之。

 九死に一生を脱した彼は、しかし選択を迫られた。

「ぐッ!?」

「カトリーヌさん!」

 イソギンチャクのような不気味な生物の触手が彼女を殴り、地面に叩きつけた。さらに上下に分かたれた鮫型の竜も頭部の方から再生を始めている。


 先に彼女を助けるか、それとも小波達か?

 どちらも絶望的な状況。

 迷った彼を、彼女は叱咤する。


「行け!」

「!」

「どちらもなんて欲張るな! お前にとって、一番大切な方を選べ!」

 カトリーヌがそう叫んだ時、友之はもう走り出していた。

 涙を堪え、小波達の方へと。

(あの時──)

 屋上で、気持ちを打ち明けていれば良かった。

 そしたらカトリーヌを先に助けようと思えたかもしれない。

 けれど彼は、言われた通り、自分の気持ちを優先した。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 MW五〇四を連射して変異種達を蹴散らす。こちらに向かって来た敵を殴り、蹴飛ばし、噛みつかれても怯まずに突進して、手に持っていたカートリッジを投げつけた。

「これは!?」

 受け取った斬花が戸惑う。

「交換してやってくれ! それで動ける!」

「あっ」

 以前、国会議員達が訪問した時の門司の説明を思い出す彼女。障壁を維持したまま小波のDA一〇二に取りつけられた同じ筒を外し、新しい方に取り替える。

「ありがとう!」

 動けるようになった小波は障壁から飛び出し、残りの敵を蹴散らした。友之と合流して斬花も交え、復活した鮫型の竜に戦いを挑む。


「……それでいい」


 カトリーヌは満足気に笑った。烈花れっかも風花と力を合わせ、風の結界に炎を纏わせ母様を守っている。他の皆も、まだ闘志は失っていない。多くの姉妹が命を落としたが、救護所に運び込まれた者は門司が助けてくれるだろう。北日本から来た仲間達も頼もしい。朱璃というリーダーがおらずとも、その代わりを務めた自分がいなくなってもまだ大谷がいる。彼女が彼等を導いてくれる。

 だから静かに瞼を閉じた。もう、指一本動かす力も残っていない。

(頑張れよ……)

 思い浮かべたのは、赤い髪の少女と、その伴侶の姿。

 そして──


 両手を広げて「頑張ったね」と言ってくれる、実の姉の笑顔だった。




「な、なんだ、これ……」

 ようやく決着がついた。そう思った直後、異変は始まった。

 力を合わせ爆発から身を守ったアサヒ達は、再び水が押し寄せてくる前に素早く上空へ逃れたのだ。

 すると、そんな彼と朱璃の視線の先で海が激しく渦巻き始める。そこからは、先程までよりもさらに禍々しい気配が噴き上がって来るのを感じた。

【奴ら、新しい“核”を決めようとしているぞ】

「なっ!?」

 ライオの言葉に愕然とするアサヒ。一つ“核”を破壊しても、また別の魂が中枢になり、あの怪異を維持してしまうというのか?

 なら、いったいあと何回、同じことを繰り返したらいい? 数千、数万、下手をしたら、その何倍も──


 蒼黒は海そのもの。

 月華のその言葉に、改めて恐怖を感じるアサヒ。

 だが朱璃は違った。彼女は一人、冷静に対抗策を考えていた。

 そして、その頭脳が思いもしなかった解答を導き出す。


「シルバーホーン」

「なんだ?」

 アサヒの口を借りて応じるライオ。瞳が金色に変化した彼を、夫の半身と認識した少女は穏やかな表情のまま問いかける。

「アンタ、角から放出する電流の強弱を調整できるんでしょ?」

 福島でのアサヒとの戦い。そして秋田の地下洞窟での戦い。その二つの話を聞いて朱璃は知っていた。シルバーホーンという呼び名の由来になった放電能力を備える銀色の鼻角。そこから放出する雷の電圧を、彼が自在に変化させられるという事実を。

「何をする気だ?」

「あの海に突っ込んで放出するのよ、アンタの雷を。アタシ達、人間の神経を流れる電気信号の代わりに」


 馬鹿な、そんなことをして何になる?

 訝った彼に少女は答えた。


「あの海には膨大な量の魔素が溶け込んでいて、たくさんの人間の意識も保存されている。福島で偽のアンタの中に閉じ込められていた人達がアサヒを助けてくれたように、あれの中にも味方は残っているはずだわ。彼等に呼びかけるのよ」

「……面白い」


 何が面白いかと言えば、この少女の変化がだ。

 以前なら絶対、そんな不確実な作戦は提案しなかっただろう。

 他人の善意に自分達の運命をゆだねるような真似は。

 それを、受け入れたいと思う自分もいた。

 その変化もまた、愉悦である。


「わかった、行くぞ」

「うん、行こう」

【三人で】

 アサヒも頷いた。朱璃の手の中で、月華から借りたホウキが“四人だ”とでも主張するように輝きを放つ。

 まるで、それを脅威に感じたかのように海面の一部が盛り上がり、巨大な人の頭を作り出した。


『お、おお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


 続けて無数の腕が生み出され迫って来る。だがもう一歩も引くものか。

 ライオに体を返してもらったアサヒは、左手で朱璃を抱く。触れたところから伝わって来る温もりが彼の中の恐怖を打ち払った。


「帰りたいよな」


 あの警官も、自分もそうだった。

 あなた達もそうなんだろう。

 だったら戦う必要なんて無い。

 大きく息を吸い込み、呼びかける。


「来い!」


 次の瞬間、二人を無数の“腕”が掴んだ。目一杯握り締め、潰して自分達の一部として取り込もうとする。

 だが、その手の中で小さな輝きが生じた。

 アサヒの額から角が生えている。その角の先端から出力を押さえた雷が放たれる。

 人間の脳内に流れる電気信号と同じ、儚い電圧の、弱々しい輝き。

 それは魔素を介し、その中に保存されてしまった死者達の魂へ語りかけた。帰る場所を見つけられず、彷徨い続けた魂達に。


 ──せや、帰らな。

 ──見て、お父ちゃん! うちが見えた!

 ──なんで今まで、わからなかったんだろうな。こんなに近くにあったのに。


 死者達の中には目指していたどこかを見つけ、歩き出す者達がいた。朱璃が同じことをしているからだ。思い返す、父と母がいた日々の記憶を。マーカスと共に過ごした日々を。アサヒと出会ってからの毎日を。

 彼女が故郷に思いを馳せ、その思念をアサヒが受け取り、シルバーホーンが電流に変換して放出する。朱璃の望郷の念を受け取った魔素は、死者達の記憶の中にある、それぞれの最も愛おしい場所の記憶を蘇らせる。


 ──なんだか長いこと、迷っとったな。

 ──はよ帰ろう、子供らが待っとる。

 ──オカン! 帰ったで!


 手の平の中で生じた光は、腕を伝って頭の方へ移動していった。それは帰るべき場所を見つけた魂達の歩み。救いを得た彼等の姿に他の魂も追従する。

 腕も頭も崩れ去った。非業の死を遂げた死者達の怨念が霧散したようだ。

 やがて海水の中から、次々に青い光の球が生じた。ウミホタルのようなその淡い輝きは次々に数を増し、周囲の海も明るく照らし出す。


【……どうやら、成功したようだな】

「うん」

 ライオの言葉に頷くアサヒ。視線を持ち上げ、夜空に向ける。

 無数の光は海面を飛び出し、その星空へ吸い込まれて行った。よく死んだ人の魂は星になるなんて言うが、ひょっとしたら同じような光景を見たことのある誰かが最初に言った喩えだったのかもしれない。


【ありがとう】

「!」

 聞き覚えのある声に驚いて振り返ると、あの警官が立っていた。傍らに、女性が一人と、男の子と女の子、二人の子供が寄り添っている。

【やっと、会えました】

 そう言って頭を下げた彼と、彼の家族も、また光の球になって天へ昇った。


 すると朱璃が、何故か強くアサヒの腕を掴む。


「朱璃?」

「行かないでよ。アンタまで、成仏する必要なんか無いからね」

「……行かないよ」

 こんなに可愛い人を置いて行ったりするものか。安心させたかったアサヒは、これまで秘密にしていた話を打ち明ける。

「福島にいた時、カトリーヌさんに連れられて、夜中まで働いている君を見た」

「……で?」

「次の日、それでも君は俺より早く起きていたよね。いつだってそうだった。絶対に先に起きて待ってるんだ。だからさ」

「だから……?」

「だから、好きになった。君が俺に酷いことをするのも、無茶をするのも、みんな朱璃が一生懸命なだけだってわかったから。頑張る君の姿に、少しずつ惹かれていったんだ」


 本当に些細なきっかけだ。

 でも、人が人を好きになる理由なんて、そんなものだと思う。


「君が大好きだ。君を守りたい。君に守って欲しい。だから朱璃、今度こそ本当に誓うよ。俺は絶対、君を置いて行ったりしない」


 天へ昇って行く無数の光に囲まれつつ、アサヒは誓う。いつかの、中断された結婚式の続きをここで始めようと思った。

 朱璃はしばし呆然としていたが、やがて目に涙を浮かべて頷く。


「だったら、信じる」


 ──かつて父に置き去りされた。母に捨てられ、拾ってくれたマーカスも心を開いてはくれなかった。

 今、本当に理解出来た。それは自分が心を閉ざしていたからなのだと。

 誰にも本心を見せず、隠していた。誰一人大切な人などいないと強がり、再び失う恐怖から目を背けた。

 そんな日々が、たった今、終わりを迎えた。


 少年の方から口付ける。

 朱璃もそれを素直に受け入れる。


 見守っているのは死者達の魂と、一匹の竜と、一本のホウキだけ。なのに二人の耳には万雷の拍手と祝福の声が聴こえる。

 ありがとう。今まで出会った全てのものに感謝しつつ、朱璃はアサヒの首に腕を回して、より近く彼の体を抱き寄せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る