九章・開眼(2)

 ──森だ。巨大な木々がそびえ立つ森。その中心に都市があった。人間が作った街ではなくドラゴンによって築かれた高度な文明の産物。

 巨竜達が人間のように暮らしている。建物を築き、道具を作り、友人と語らい、家族と共に平和を享受する。

 そんな都市の中央にそびえ立つ、岩山を削って造り出した御座に彼はいた。


【よく来たな、アサヒ】


 シルバーホーン。彼は王として半身を迎える。突如見知らぬ風景の中に現れたアサヒは困惑の色を浮かべ、問いかけた。

「な、なんだよここ?」

【我が国だ。我が支配し、統率し、守っていた故郷。貴様らの世界とは別の界球器かいきゅうきに実在していた楽園。その記憶である】

「かいきゅうき……?」

【全く別の宇宙と解釈すればよい。誕生の瞬間から貴様らの宇宙とは異なる歴史を歩んでいた。部分的には物理法則にも違いがある。似ていても非なる時空】


 よくわからない。しかし、ともかくシルバー・ホーンが自分達の知る世界とは全く別の世界から来たという事実だけは、なんとか飲み込むことができた。


「それで、どうして“竜の心臓”を通って俺達の世界に?」

【今見ている、この世界が滅ぼされたからだ】

「滅ぼされた?」

 剣呑な話に眉をひそめた瞬間、アサヒの目の前に六つの“影”が現れた。人の形をしている文字通りの影。真っ黒で立体感が無い。なのに立った姿でそこにいる。

「なっ……何、こいつら?」

【それが我が国、我が星、我らのいた宇宙を滅ぼした存在。────だ】

「え? ちょっと待って、最後が聞き取れなかった」

【人間には、この呼び名は知覚できんか。そうだな……日本語にすると“崩壊の呪い”になる】

「崩壊の呪い……」

 語感からして、生きた人間ではなさそうな気がする。

 そんなアサヒの想像を肯定するドラゴンの王。

【奴らは“始まりの神”の影だ。神々の後悔の念が“魔素”により実体を得たもの。我や貴様と同じよ】

「記憶災害ってこと?」

【そう、史上最大のな。奴らは貴様と同じように……いや、正しくは貴様が奴らの影響を受けてそうなったのだが、ともかく維持限界を超越し“消えない記憶災害”となった。

 そして数多の世界を滅ぼし眷属を増やし続けた。やがて我の故郷にも現れ、殺戮を行い、我等の魂を取り込んで呪いの一部に変えた】


 次の瞬間、爆発が生じる。


「あれは……!」

 自分が東京を半壊させた時と同じ魔素の光の膨張。それが竜の王国の全てを飲み込んで消し去っていく。

 止める間も無く何もかもが光の中に飲み込まれ、その輝きの中に様々な像が浮かんでは消えた。走馬灯のように。

 どれもこれも、破壊と殺戮の暴力的な光景。

【これは、我が奴らの眷属となってからの数多の戦いの記憶だ】

「なっ、なんで……」


 無数の世界が滅ぼされていく。六体の黒い影と、それに率いられた記憶災害の巨獣達によって。


「神様の影が、なんでこんなことを?」

【言っただろう、奴らは後悔だと。神々は、自分達の創り出した全てを滅ぼしたかったのだろうよ。その理由までは知らんが】


 シルバーホーンも命じられるまま戦い続けた。影とはいえど、崩壊の呪いは自分達より遥かに上位の存在。その命令に抗う術を彼も他の獣達も持っていなかった。


【しかし世界の数は無限に近い。ならばその全てを消し去ろうとする奴らの戦いも、我の闘争も等しく永久に続く。そう思っていた】

「思っていた?」

【ある日、唐突に終わったのだ。あの戦いはな】


 何が起きたのか、彼にも正確なことはわからない。こことは別の世界でいつものようにそれを滅ぼすための戦いに加えられた。

 その最中、彼は人間の“魔女”に敗れ、記憶はそこで途切れている。

 思い出したことにより敗北の記憶が投影された。長い黒髪の魔女が拳銃を二挺こちらに向けて構えている。それが、あの世界で見た最後の光景。


「誰?」

【我を倒した女だ。記憶災害の天敵。記憶そのものを凍らせる魔女。後にも先にも、正真正銘“ただの人間”に敗れたのは、あの一度きりだった】

 語るシルバーホーンの声に怒りは感じられない。むしろ偉大な存在に対する崇敬の念が感じられた。

 ともかく、その敗北後、彼ら“記憶災害の獣”は全て解き放たれた。

【あの女が成したことかは知らん。だが、どうやら“崩壊の呪い”は消えたらしい。奴らの支配下にあった我らは魔素の海の中を漂う単なる“記憶”に戻り、高密度魔素結晶体を通じ、時折どこかの世界で再現されては維持限界までの一〇分間を気ままに過ごす。そういう存在になった】


 それは、いつ覚める時が訪れるのかわからない長い夢のようだったという。

 ただ、彼はその夢を楽しんでいた。上位存在の支配から解放され自由になれただけでも十分に救われていたのだ。

 なのに──


【……アサヒよ】

 再び景色が変わる。あの日あの場所の光景へと。自分達が初めて出会った、東京は新宿の地下都市。炎で満たされた地獄絵図の世界に。

 巨竜は少年を見下ろし、問いかける。

【何故、我を許した?】

 その理由が知りたかった。だから、あえてこの場を選択した。ここで自分がしたことは憎まれて当然の所業。なのに目の前の少年は落ち着いた表情で対峙している。先程まで瞳に満ちていた憎悪は、もはや跡形も無い。

 いや、瞳の奥底には、まだ赤く燃える炎が見て取れた。しかし、それを抑え込んでいる。怒りを御することができたようだ。それはどうして?


 問いかけられ、アサヒはさっきまで繰り返されていたループの記憶を思い出す。本当に何度繰り返したかわからない。この場所に戻される度、眼前の巨竜に対する怒りと憎しみが蓄積していった。こんなことをさせる月華に対する感情も黒く染まっていった。神々の後悔が実体化したという、あの影達のように。

 でも、あまりに憎み過ぎて自分を保てなくなりそうになった瞬間、不意に冷静さを取り戻すことができた。


「感情ってさ……多分、限界があるんだ。どんな感情でも、それ以上は膨れ上がることのできない天井がある。俺は、そこまで行っちゃったんだよ。お前のことが憎くて頭の中がそればっかりになって、おかげで逆に気が付けた。お前も、本当に憎くて憎くてしょうがなかったんだよな」

【……ああ】


 そう、いつも彼の金色の瞳は人間達を見下していた。

 憎しみの篭もった眼差しで。


【この世界で再現された我は、ドロシーによって再び自由を奪われた。貴様と貴様の母の持つ特殊な因子を取り込めと、そのための傀儡にされてしまった。その事実に気が付いた瞬間、我の中でまだ燻っていた憎悪に火が点いた】


 ──かつて“崩壊の呪い”に操られていた頃の感情が蘇った。怒りを滾らせ、たまたま目の前にいた者達に叩きつけた。つまるところ、ここで行われた虐殺は単なる八つ当たりだったのだ。

 冷静になることができたのは、オリジナルの伊東 旭に消し飛ばされた後だ。完全消滅することは叶わなかったが、再生中、僅かな時間ながらもドロシーの支配が解けて自由を取り戻せた。

 そして何が起きたかを理解した。ドロシーがどこから来た何者で、何を目的として自分達を操っているのか。その目的が達成された時、この星の生命がどうなるかを悟り、抵抗を決意した。


「あいつがずっと東京にいたのは、お前が止めていてくれたからだったんだな」

【奴にとって都合が良かったからでもある。あの地は複数の龍脈が交差している。時こそかかるが、何をせずとも確実に魔素を集積できる。貴様のオリジナルと戦い再び拡散するリスクを取るより、その方が安全だと説得した】


 結果、北日本は伊東 旭を擁しながらもドロシーの攻撃を受けずに済んだ。


「だからだよ、お前は恩人だ。仇だけど、お前のおかげで今がある。それに気付けたから許すことにしたんだ」

【そうか……】

 シルバーホーンも同じだった。あの崩界の日から数十年後、母親を取り戻すため東京へ舞い戻った伊東 旭。彼を体内に取り込み、今のこの状況と同じようにドロシーを介さず直接対話する機会を得た。それによって少しずつ憎悪が薄れ、それを媒介にした精神支配も解けていった。

 伊東 旭は彼にとって怒りと憎しみをぶつけ合った強敵で、同時に、本当の自分を思い出すキッカケをくれた恩人なのだ。


 そしてアサヒは、そんな彼と伊東 旭が共同で生み出した決戦兵器。


【……これで良いのだな?】

 突然、アサヒとは別の方向に顔を向ける彼。訝る少年の目の前で何度か頷き、再び振り返る。

【お前は“鍵”を見つけた。そろそろ戻るが良い、伴侶も帰る頃合いだ】

「朱璃? そういえば、現実ではあれからどのくらい経ったんだ!?」

 焦るアサヒに、まだ、たったの数時間だと教えてやる。

【夜になったばかりだ】

「なんだ、そんなもんだったのか」

 流石は夢だ。都合が良い。

 でも、結局これはどういう試練だったのだろう? アサヒには今もそこのところがよくわからない。

【現実であの女に聞くがいい。奴も、お前の帰りを待っている】

「そうだな。じゃあ、また向こうで」

【ああ】

 気さくな友人と別れるように手を振るアサヒ。

 その姿を見て、巨竜は一つ思い出す。

【待て】

「え?」

【人間が我につけた呼び名は、長ったらしくて好かぬ。我の本来の名は──だ。以後そう呼べ】

「いや待て、そう呼べって言われても……」

【むっ……】

 戸惑う様子から理由を察した彼は、やはり渋い表情で舌打ちする。

【我の名も人間には知覚できぬ音か。日本語に直すなら“雷の王”なのだが】

「それ、シルバーホーンより言いにくい」

【だろうな。さて、どうしたものか……】

 二人揃って腕を組み、首を傾げて考え込んで、やがてアサヒが提案する。

「いかずち……かみなり……らい……あっ、そうだ!」

【ん?】

「雷王……らいおう……ライオなんてどうだ?」

【ふむ】

 ライオ、ライオ、ライオ……なるほど覚えやすい。響きも悪くない。満足げに頷く赤い巨竜。

【ならば我のことは、その名で呼べ】

「ああ、改めてよろしく、ライオ!」


 次の瞬間、アサヒはようやく長い夢から抜け出せた。

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